メーデー・働き方をめぐる政府と労働者の溝 時事雑感(53)
*この記事はnoteに公開したものの転載です。
みなさん、こんにちは。
5月1日はメーデー。
5月の日(May Day)が語源です。
祝日ではありませんが、労働者にとって特別な日であり、休日にしている会社も多いです。
今年のメーデーでは、裁量労働制をめぐって政府と連合の立場の違いが改めて浮き彫りになりました。
①高市総理、メーデー中央大会に出席。労働裁量性をめぐる対立
(参照:読売新聞 ほか)
4月29日、連合主催のメーデー中央大会に高市総理が出席。
政府は裁量労働制の拡大を「成長戦略の柱」と位置づける一方、連合は「長時間労働につながる」と反対し、立場の違いが鮮明になりました。
- 政府:
裁量労働制拡大を「成長戦略の柱」と位置づけ - 連合(労働組合の中央組織):
労働時間規制の必要性を強調し、拡大に反対
メーデーは、1886年のアメリカでの「1日8時間労働」を求めた運動を起源とする、労働者の権利を訴える国際的な日です。
連合の芳野会長は、その起源を引き合いに出し長時間労働の助長につながると批判。
政府と労働者組合の主張が真っ向から対立した構図です。
以下、私の感想です。
②今日の雑感
政府は裁量労働制の拡大に「成長戦略の柱」・「働き方の柔軟化」・「生産性向上」の達成を掲げています。
しかし、抽象的な言葉を並べられても、いまひとつピンと来ません。
慎重に表現を選んでいるのかもしれませんが、やはり伝わりにくく感じてしまいます。
「働いて、働いて、働いて、働いて」を国民にも求めたいのであれば、率直に説明した方が理解は早いはずです。
私は、働き方は本来もっと多様であっていいと思います。
長時間働きたい人もいれば、家庭や健康の事情で短時間しか働けない人もいる。
収入を優先する人もいれば、生活とのバランスを重視する人もいる。
大切なのは、労働者と雇用者が対等であること。
政府が介入すべきなのは、その対等性を確保する部分だけで、働き方そのものを誘導することではないと考えます。
労使の関係は、どちらかが強く出ればよいというものではありません。
雇う側が労働者に無理を強いることはもちろん、労働者に対して雇う側が媚びる姿勢をとることも不健全に感じます。
日本国憲法は、公共の福祉に反しない限り、生命・自由・幸福追求の権利を保障しています。
柔らかく言えば、「社会や他人に迷惑をかけない範囲で、自分の生き方を選んでいい」ということです。
人生に対する向き合い方、仕事に対する向き合い方は千差万別で他人にとやかく言われることではありません。
連合の芳野会長が引き合いに出した140年前のアメリカでは、労使の関係が対等ではなく、一日12〜16時間労働が一般的だったと言われています。
現代の日本では、過労死ラインが「時間外労働が1か月で100時間以上、または2〜6か月平均で月80時間」とされています。 つまり、一日4時間を超える残業が続けば、法に抵触する可能性があるということです。
140年前と違い、現代では技術が飛躍的に進歩し、生産性を高める手段はいくらでもあります。
上手に活用すれば、少ない労働力で、当時とは比べものにならない成果を生み出せるはずです。
だからこそ、人を使いつぶす方向に舵を切るのではなく、積み重ねてきた技術や制度を、現代のニーズに合わせて活かすことが重要だと思います。
その方が、個々人の幸福や自由、そして豊かさにつながるのではないでしょうか。
政府の方針は、かつての精神論的な価値観が色濃く残っており、現代へのアップデートがなされていないように私には思えます。
ここまで読んでくださって有難うございます。
気が向いたらまた、ふらりと寄って行ってください。