【崔志遠】コーヒーに砂糖を入れすぎた朝に思いつく新事業
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毎朝、決まった時間にコーヒーを淹れるという儀式は、私にとって脳の再起動スイッチのようなものです。しかし今朝は少し指先が滑ったのか、あるいは無意識が甘い休息を求めていたのか、いつもより多すぎるほどの砂糖がカップの中に吸い込まれていきました。真っ黒な液体が底の方から白く濁り、かき混ぜるたびに重厚な甘みが立ち昇る。その光景を眺めているうちに、私はビジネスにおける「過剰さ」の価値について、これまでにない確信を得ることになったのです。
現代の仕事選びや組織づくりにおいて、私たちは常にスマートであることや、無駄を削ぎ落とすことを美徳としてきました。洗練された経歴、無駄のないプレゼン、そして最短距離での目標達成。それらは確かに効率的ですが、あまりにも味がなさすぎるのではないかと思うことがあります。今朝の甘すぎるコーヒーのように、一見すると失敗に思えるような過剰な熱量や、誰にも理解されないこだわりこそが、実は停滞した市場を揺さぶり、新しい価値を生むための起爆剤になるのではないでしょうか。
私が一緒に働きたいと思うのは、自分の中に隠しきれないほどの砂糖、つまり「偏愛」を持っている人です。例えば、誰も気に留めないような細部のデザインに数日間悩んだり、効率を無視してまでもユーザーの感動を追求したりする。そんな過剰なまでのこだわりは、論理的なデータ分析からは決して生まれません。でも、その行き過ぎた情熱が周囲を巻き込み、いつの間にか誰も見たことがないような景色を作り出していくのです。効率化を突き詰めるエンジニアの端くれとして、私はあえて言いたい。計算が合うことよりも、心が躍ることの方が、ビジネスとしての持続可能性は遥かに高いのだと。
もしあなたが今、自分のキャリアに対して「自分は少し尖りすぎているのではないか」とか「周りと馴染めないこだわりがある」と悩んでいるなら、その過剰さを誇りに思ってください。カップの底に沈んだ溶けきらない砂糖は、いつかあなたの人生を劇的に甘く、そして深く変えるための大切な資産です。私たちは機械のパーツを探しているのではなく、不完全で、熱く、時には失敗するほど過剰な人間を探しています。甘すぎるコーヒーを飲み干した後に訪れる、あの目が覚めるような感覚。そんな刺激を分かち合える仲間と共に、これからの不確実な世界を面白がっていきたい。
会社という器は、単に利益を出すための場所ではなく、個々人の過剰なエネルギーを混ぜ合わせ、見たこともない色に変えていく実験室のようなものであるべきです。効率や正論の裏側に隠された、あなたの「やりすぎ」な部分。それこそが、私たちが最も必要としている才能かもしれません。今朝の失敗したコーヒーが、結果として最高にクリエイティブな思考を運んできてくれたように。完璧を求めるのを一度やめて、自分の中に眠る過剰な情熱に素直になってみる。そこから始まる物語こそが、これからの時代を動かす本物のストーリーになると信じています。