私の好きな考え方❶「広告×教育」
統計データやアンケート結果を分かりやすくする自社メディア「月刊インフォグラフィック」の制作運営を続ける中で、私の中には厄介な想いがありました。
「分かりやすくすることが、悪いことをしているように感じる」
分かりやすくすると、ユーザーは疑問を持たなくなる。調べなくなる。
分かりやすさとは思考停止を作ること?
目次
広告的×教育的
選択肢を減らす、広告的なアプローチ
選択肢を残す、教育的アプローチ
2つを時間軸でコントロールする
おわりに
広告的×教育的
選択肢を減らす、広告的なアプローチ
広告であれば、それは正しいのかもしれません。広告の目的は売ることです。決断のアクションまで導くことができれば成功です。むしろ余計な選択肢は邪魔になります。
例えば、
・田舎=最高
・田舎は最高です
・本物の最高は田舎にしかない
こういった表現には考える余地がない。他の選択肢が見えないため行動しやすい。
目的を持って作られる広告は、選択肢を減らす技術だと言えるのかもしれません。
選択肢を残す、教育的アプローチ
一方で教育的な問いかけは少し違います。例えば、
・田舎は最高と言える
・田舎は最高な側面がある
・なぜ田舎は最高なのか
選択肢を残すためユーザーの想像はあちこちに飛び、自分で考える余地が生まれます。しかしその分、発信者の狙ったアクションは起こしにくくなる。
私が「分かりやすくすることは悪いこと」と感じたのは、こちらのアプローチの方が個人的に好きで、且つ前者を作り続けてきた身として逆に、余地を残す表現の方が信頼できるように感じるからだと思います。
ビジネスの場であまり良くないとされている「〜と思った」という文章も私は好きです。
ふとぼんやり思ったサブ視点の気づきが、案外核心を突いていることが、たまに、割と、あるからです。
2つを時間軸でコントロールする
先ほど、私は個人的に教育的アプローチの方が好きと書きましたが、仕事は仕事。
前提として、選択肢を減らす広告的アプローチのプロであるべきです。
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広告的と教育的。この二つは共存できるのかと考えると、難しいように思えます。なぜなら選択肢の「数」でどちらかに偏るから。
しかし時間軸で並べることはできます。
まずは選択肢を絞り、分かりやすい扉を作る。興味関心が生まれ、扉を開いたタイミングで他の選択肢が見えてくる。
この考え方は、自社で運営している「月刊インフォグラフィック」でもよく悩みます。
例えば下の作品では、コロナ禍で「増えたと思うもの」を1枚のマンガ型インフォグラフィックに整理しています。元データへの導線としてQRコードを掲載していますが、実際に読み取る人はほとんどいないと思っています。
インフォグラフィックは、情報を整理し理解しやすくすることができます。その一方で、整理された情報はそれだけで完結して見えてしまう。
私が考えたいのは、QRコードを置くことではなく、「その先が気になる状態」をどう作るかです。分かりやすさを入口にしながら、自分で調べたり、別の見方を探したくなったりする。
学びをテーマとしたコンテンツの場合、分かりやすさはゴールではなく扉なのかもしれません。その先に別の見方や選択肢、より詳細な情報があることを、どこかで感じられる状態を探っていきたいのです。
おわりに
広告的×教育的という対立構造で書いてしまいましたが、それぞれの分野の方からすると「そんな単純な話ではない」と指摘されるかも、と思いながら後半は書いていました。
こうして分かりやすいラベルをつけて説明してしまうのもまた、ちょっと悪いことをした気分になってしまいます。