【増汐義信】プログラムのバグが、私の人生を修正してきた話
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システムエンジニアという仕事をしていると、毎日が“エラーとの対話”になる。画面に真っ赤な文字が出るたびに、心臓が少し止まる。まるで自分の中の欠点を見せつけられているような気分になる。でも、最近気づいた。あのバグたちは、単なる不具合ではなく、私を少しずつ変えてくれた教師だったのだ。
初めて大きなシステムを任されたとき、私は完璧主義だった。誰よりも綺麗なコードを書き、テストを通し、納期通りに仕上げることだけを考えていた。でも現実はそんなに甘くない。徹夜で修正しても、なぜかエラーは消えず、納品直前にシステムが落ちた。焦って、泣きそうになって、そして思った。プログラムって、まるで人間みたいだ。間違いながら成長していく。
その日を境に、私はエラーを“敵”ではなく“メッセージ”として見るようになった。コードのどこが間違っているのか、それを追う時間は、まるで自分の思考を点検している時間に似ている。焦りや不安の奥に、何か大切なヒントが隠れている気がしてならない。人間関係だって同じだ。ぶつかり合いの裏には、まだ知らない理解が眠っている。
ある日、チームの後輩が「全然うまく動かないんです」と言って私の席に来た。画面を覗くと、ほんの一文字のミス。でもそれを指摘する前に、私はこう言った。「このエラー、何を伝えようとしてると思う?」彼は一瞬きょとんとしてから笑った。「プログラムが僕を試してるんですね」と。あの笑顔を見たとき、私は確信した。エラーを恐れない文化がチームを強くする。
人生もシステムも、動かしてみないと分からない。計画書の中では完璧でも、実際に動かすと予期せぬ結果が出る。思っていた反応が返ってこない。けれど、それこそが“実装の喜び”だ。コードも人も、動かして初めて何かを学ぶ。静止した完璧よりも、失敗を含んだ動的な美しさのほうが、私は好きだ。
最近では、エラーが出るたびに心の中で「ありがとう」と言っている。少し気持ち悪い習慣かもしれないが、本当にそう思う。あの赤い文字たちが、私を柔らかくしてくれた。効率だけを追っていた頃には見えなかった景色が、今は見える。バグを直すたびに、私は少しずつ人間らしくなっていく。
仕事で壁にぶつかるとき、私はいつも考える。この問題、もし“人生のコード”だとしたら、どの変数が間違ってるんだろう?それを探す作業は、どこか哲学的ですらある。エラーは痛い。でも、それがなければ、成長の場所を見失う。だから私は今日も、バグに救われながら生きている。
「完璧なプログラム」なんて存在しない。だけど、未完成のまま進化を続けるシステムには、確かな希望がある。人間も同じだ。私は今日も、自分というプログラムを少しずつデバッグしながら、更新していく。