【渡部遼・埼玉県朝霞市】バグに恋をしたエンジニアの話
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ある夜、私はひとつのバグに出会った。何度修正しても消えない、まるで意志を持ったようなコードの歪み。最初はただの不具合だと思っていた。でも、何度も向き合ううちに、それが自分の心のどこかに住みついている「癖」みたいなものだと気づいた。
システムエンジニアという仕事は、論理と整合性の世界に生きる職業だ。けれど、完璧な論理の裏には必ず“人間の不完全さ”が隠れている。バグはその不完全さの証であり、時にそれが最も人間らしい瞬間でもある。私がコードに惹かれる理由は、実はそこにあるのかもしれない。
あるプロジェクトで、どうしても解決できないバグが出た。チームで何時間も調べても原因がわからない。深夜、最後に一人残ってログを追いかけながら、ふと思った。このバグは、私たちのコミュニケーションのズレを映しているんじゃないか、と。仕様の理解が人によって違い、コメントの書き方に温度差があり、レビューの指摘のトーンにも個性がある。つまり、このバグは私たちの“チームの性格”のようなものだった。
翌朝、それを話したら笑われた。でも誰も否定しなかった。結局、そのバグは仕様を見直すきっかけになり、チーム全体のコード設計が少しずつ整っていった。あの夜のログ解析は、エラーを追う作業ではなく、チームの心をデバッグする時間だったんだと思う。
それ以来、私はバグを嫌わなくなった。バグは「問題」ではなく、「対話の入口」だ。完璧なコードより、何かがうまくいかない瞬間の方が、人は本気で考え、深く繋がる。プロジェクトの空気が詰まっている場所は、たいていバグの真ん中だ。そこにはエンジニアの癖や情熱や迷いが全部詰まっている。
もちろん、現場ではスケジュールがある。理想ばかり語っても納期は延びる。でも、それでも私は、あの“しぶといバグ”を愛してしまう。バグを潰すというより、理解して、仲良くなる感覚に近い。対話を重ねるうちに、コードが少しずつ自分に馴染んでいく。まるで、人と人との関係のように。
エンジニアという仕事をしていると、日々、目に見えない世界を扱う。見えないロジック、見えない通信、見えない責任。その中で、唯一確かに「そこにある」と感じられるのが、バグだ。バグは現実の証拠であり、エンジニアが人間である証拠でもある。
今日もまた、新しいバグが現れる。最初は眉をひそめる。でも、画面の向こうで待っているのは、きっと昨日より少し深い理解だ。そう思うと、バグの赤いエラー表示が少しだけ美しく見える。
私は今日もまた、バグに恋をしている。