祈りの塩
祈りの塩
― 海から生まれる“浄めと恵み”の記憶 ―
昼下がり、海沿いの道を車で走る。
潮の香りが強くなるにつれて、胸の奥まで清らかに洗われていく気がする。
目的地は、友人の新里さんが営む小さな塩工房。
白い砂浜の向こう、風を受けながら、静かに光る平釜がある。
新里さんは、長年ホテルの厨房で働いたあと、
五十を過ぎてから塩づくりの道に入った人だ。
「一度、海の声を聞いてみたかったんですよ」
そう笑う彼の顔には、深い皺が刻まれている。
その皺のひとつひとつが、塩の結晶のように輝いて見える。
工房の中では、海水がゆっくりと蒸発していく。
風と太陽がつくり手。人はただ、それを“見守る”だけ。
「人間はね、塩を“つくる”んじゃなく、“生まれる瞬間を待つ”んです」と新里さん。
その言葉に、心の奥が静かになった。
焦ることのない時間。
そこに流れているのは、自然への信頼と、深い祈りのようなものだ。
指先でつまんだばかりの塩は、角がなく、まるで海の息のようにやわらかい。
口に含むと、しょっぱさのあとに甘みが広がる。
「これはね、風の味なんです」と新里さん。
「北風が多い日は少し辛く、南風のときはやさしくなる。
海はその日の心を、ちゃんと塩に写すんですよ。」
その話を聞いて、思い出したのは比嘉さんの言葉だった。
──「手を抜いたら、風が抜けてしまう」
豆腐も塩も、同じなのだ。
自然と向き合いながら、
人の手が最後の“祈り”を添えることで、命薬(ぬちぐすい)になる。
店に戻り、その塩をひとつまみ手に取る。
炙った島豆腐に振ると、湯気の向こうに小さな光が揺れた。
海の記憶が、音もなく舌の上に広がる。
それは、どこか懐かしい“いのちの味”。
夜、店の灯りを落とすとき、ふと思う。
祈りとは、特別な場所で捧げるものではなく、
こうして日々の手の中で、静かに息づいているのかもしれない。
塩も、豆腐も、料理も──みな、人と自然の間に生まれた祈りの結晶。
明日もまた、海の風に耳を澄ませながら、
一皿の中に、島の祈りを映していきたい。