新しいオフィスに移転して最初に驚いたのは、会議室に置かれている椅子の座り心地だった。柔らかすぎず、硬すぎず、背中を預けると自然と深呼吸をしたくなるような感覚になる。たかが椅子、されど椅子。数分そこに座っているだけで、気持ちが整い、会話のトーンまでもが変わっていくのを感じた。
以前のオフィスでは、長時間座っていると腰が痛くなり、無意識に早く会議を終わらせたいと思っていた。それは議題に集中するよりも、体の不快感から逃れることを優先していたということだ。つまり、椅子の性能ひとつで、議論の質やチームの空気まで変わってしまうのだと気づいた。
そこで私はふと考えた。もしオフィスの環境ひとつひとつが、社員のパフォーマンスや気持ちに直結しているとしたら、会社の未来はどうデザインされるべきなのだろうか。最新のテクノロジーや効率的な仕組みを導入することはもちろん重要だ。しかし、人が集まり、言葉を交わし、共に時間を過ごす場所の「居心地」こそ、最も根本的で見落とされやすい部分なのではないか。
座り心地の良い椅子に座ると、相手の話を自然と最後まで聞きたくなる。言葉を遮らず、呼吸を合わせるように対話が進む。逆に落ち着かない椅子では、心も落ち着かず、つい表面的なやり取りで終わってしまう。会議室という小さな空間の中でさえ、椅子ひとつが関係性を左右するのだとすれば、オフィス全体の設計や組織文化もまた、無意識の影響を与え続けているのだろう。
人は椅子に座るたびに、安心感や緊張感、解放感や制約感といった感覚を体験している。それは数字には表れにくいが、確実に成果やモチベーションに積み重なっていく。つまり、組織の未来を考えるとき、実は「どんな椅子を選ぶか」という小さな選択が、大きな結果を導いているのだ。
この気づきをチームに共有すると、誰もが一様に笑った。しかし次第に「確かに」「思い返すとそうだよね」という声が増えていき、やがて会議室だけでなく、執務スペースや休憩エリアについても同じ視点で考えるようになった。結果として、ただの備品選びが組織の文化づくりに直結しているのだと実感することになった。
未来の会社は、最新のデバイスやデータ分析だけでは語れない。社員一人ひとりが居心地の良さを感じながら、自分の力を自然に発揮できる環境を持つことが必要だ。その第一歩は案外、椅子の座り心地から始まっているのかもしれない。
だからこそ、今日も会議室に入るたびに、私は無意識に背もたれに体を預けて深呼吸する。その瞬間、組織の未来に少しだけ前向きな予感を抱くのだ。