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【レポート】栄養×国際協力対談 塚原絵理さん×島袋尚美

都内のカフェにて、2人の法人代表女性による対談が行われました。

弊社代表の島袋尚美と、NPO Aozoraの代表で、インドで出会った青空教室をきっかけに国際協力に取り組み、栄養士やJICAなどの経験を生かして現在は業務委託でミャンマーにて病院食と学校給食をデリバリーする事業の立ち上げなども行っている塚原絵理さん。

今世界的に取り組まれているSDGsともからめ、栄養や貧困、途上国についてをテーマに、行動力あふれる魅力的な対談が実現しました。

2人とも海外暮らし経験が長く、国際協力に興味があり、自分が「こうしたい」と思ったことに素直に行動してきて、現在は事業を立ち上げている女性。

そんな行動力満載の2人の対談を、広報部から贈ります。


第1話:きっかけはインドのさいばば!?旅行中に出会った青空スクールが国際協力の第一歩に

第2話:いろいろな経験を経て、途上国支援も栄養改善も全部どりの道へ!食の常識の違いに苦戦?

第3話:ものすごい行動力に対する周りの反応は?コツは、自分と他の人を区分けしないこと!?

第4話:この子供たちに人生を捧げる!人生のキーパーソンの圧倒的ビジョンが原動力

第5話:ビジョンは、世界の食問題解決!貧困層の人は、お金があってもバランスのいい食事をとれない!?

第6話:行動力のコツは、まずやってみる!自分で自分のことを幸せにしていこう

第7話:貧困は日本にもある!?すぐ傍にある問題にも取り組んでいく


第1話:きっかけはインドのさいばば!?旅行中に出会った青空スクールが国際協力の第一歩に

島袋尚美(以下・尚美):今日はよろしくお願いします。

私は、元々IBMでSEをしながら会社を立ち上げてきて、今は自分で会社を経営しています。

学生時代は国際協力について学んだり、NPO団体で活動したりしていたのですが、社会人になってから随分社会貢献とかの活動から離れていて、やりたいと思いつつ、手をつけられていなかったんです。

ただ、2年前の出産を期に、何かやりたいなという思いで、仲間とSDGsに取り組んで、微力ながら発信していけたらと思って。

もともと教員免許も取っていたので、いつかは塚原さんがやられているみたいに、子供が未来を考えられる場を作りたいなと思うし、お金の勉強とかも、日本の子供たちにはしてほしいと思ってるんです。

塚原さんのNPOについて拝見したのですが、NPOを立ち上げたのは大学を出てからすぐですか?

塚原絵理さん(以下・塚原):いえ、大学を出てからは食品メーカーで勤務をしていて。

今まで管理栄養士のキャリアと国際協力でのキャリアを行ったり来たりしてきて、今ちょうど2つが合わさってきたところなんです。

インド人が代表のNPOで仕事をしたりもしていました。

尚美:インドですか!私実はインドにご縁があって。夫がインド人なんです。

塚原:すごい。インド人の旦那さんだなんて、興奮です。

尚美:私あの濃い顔が好きなんですよ。

私はもともと沖縄出身で、ああいう顔も見慣れていて(笑)

塚原さんは何がきっかけでインドなんですか?

塚原:大学在学中に、友人と初めてインドに行ったのですが、マザーテレサの施設でボランティアをやっていました。その時に、のちにNPOを立ち上て支援することになるインドの村(ブッダガヤ)に行って。

その時に今支援している青空スクールに出会って、その時に、途上国の子供ってみんな可愛いんですが、青空にいる子は何か違っていて。それからずっと頭から離れないものがあったんです。

青空の名前は日本語ですが、ボランティアにきた日本人が「青空がいいんじゃないか」と言っただけで、立ち上げたのは現地のインド人なんです。彼はそんなに裕福な家の生まれではないんですが、私立の学校の先生をしている時に道端で生活している子どもたちを見て、このままでいけないという想いから始めたみたいで。

そこから私自身、ずっと青空スクールに通い始めました。

尚美:旅行中にピンときて??

すごい行動力ですね!

大学は休学されたんですか?

塚原:いえ、もうそのときは食品メーカーに就職することが決まっていたので、働き始めてからは休みの期間を利用したり、仕事を辞めてインドに行ったりしていました。あるいは、NPOで働きながらちょこちょこと行ったり。

尚美:(インドに)掴んで離さないものがあったんですね。

そこにいるのは、孤児とか貧しすぎて預けられたり、捨てられてしまっている子ども達なんでしょうか。

塚原:(青空スクールのあるところは)最貧困層の村なんですが、通ってくる子供たちもいます。

お父さんがなくなってしまうと、お母さんだけでは育てられないので、そういった片親の子供たちが10人くらい。

教室の床の上で生活しているような環境です。

尚美:国境も近くにありますし、最貧困層の村というととにかく危ないイメージがあります。

塚原:若かったので、最初は飛びこめました(笑)

今は中東に行くときとか、怖いなと思うこともあるんですが、あのときは何でも飛び込めましたね。

電車で会った男の子のところに泊めてもらったりとか。今思えば、すごく危ないことしてたなと(笑)

治安は悪いですね。実際に日本人女性がレイプされたみたいなこともありましたし、外務省からも要注意区域に指定されていたり。

でも、インド人の方も99%はいい人なんですよね。なので、自分が気をつけて、変な行動を取らないでいれば大丈夫と思ったんです。

尚美:間違いないです。それにしても、大学で栄養学を学んでいて、お友達と二人でなぜ旅行先にインドというコアな場所を選ばれたんですか。

塚原:友人ももともと児童福祉を専攻していて。途上国支援や教育、国際協力には興味があったんです。でも、本当のきっかけは、私が友達に「アフロのさいばばに会いたい!」と言ったことだったんですよ。結局全然会えなかったんですけれど(笑)

尚美:そのインタビュー記事、見ました。本当?と思ってみていました(笑)

第2話:いろいろな経験を経て、途上国支援も栄養改善も全部どりの道へ!食の常識の違いに苦戦?

塚原:立ち上げたNPOは青空スクールをメインに支援しているのですが、立ち上げて運営しているのは現地の方なんです。立ち上げは2006年くらいだったかと。最初は私はNPOでの活動と、フリーランスでの栄養指導の仕事と、両方で活動していました。

具体的には、大学生を連れてスタディツアーに行ったり、助成金をもらって現地の雇用を生むプロジェクトをやったりしていたのですが、だんだん辛くなってしまって。

というのも、いただいた寄付金を自分たちのお給料にしたり、生活費にするというのがどうしてもできなくて。インドの子供たちのためにいただいてるお金なのに、と。

そうしているうちに、経済的にも気持ち的にもつらくなったので、NPOの活動は継続しながら、お声かけいただいたタニタのグループ起業に就職して、大きな活動は少しお休みをしたんです。

タニタのグループ企業に勤務していたときは、企業の健康経営の支援、市区町村で市民の方向けの健康プログラムの仕事をしていました。

そうやって健康改善の仕事がやっぱり面白いなと思って働いているときに、偶然ケニアの子供たちの栄養改善指導の仕事がきたんです。

塚原:そのときは、「途上国支援と栄養の両方ができる仕事を、よく引き寄せたな」って思いました。

その時に、「やっぱり途上国の支援も、栄養改善の仕事も好き!」と気づいたので、両方やりたいという気持ちになりました。自分の中で好きなことが重なったイメージです。

そこで、途上国支援をする人たちの憧れの一つにJICAがあると思うんですが、私もJICAで働きたいと思って。

国としての支援なので、途上国支援をしたい人は一度は働いてみたいと思う組織ですよね。

島袋尚美(以下・尚美):すごい行動力!JICAって入るの難しいんですよね。「入りたいなあ」では入れない

塚原:JICAでインドのODA案件形成等を担当する課に入って、1年経験を積みました。

その後、コンサル会社の知人がミャンマーで学校給食等、食事のデリバリー事業をたちあげたいというので、そこでメニューを作ったり、栄養指導したり、ということをしていました。

塚原:ミャンマーでは国が認めた栄養士の資格がないので、現地の方にその教育をして、栄養アドバイザーとまでは行かないでも、それに近いことや献立組みをできるようになればと。

本当であれば、いま現地にいっていたタイミングなんですけれど、この状況なので(2021年1月現在)GOがでるまでは。

尚美:現地の食べ物って日本の常識と違ったりしませんか。

ヨーグルトはカレーにかけるとか、そこにサンバル混ぜて、とか。

塚原:自分でミャンマー料理のレシピを作る、とかは無理なので、現地の方にレシピをつくってもらって、その栄養価計算をした上で、ここはもっと改善できるよね、とかっていう話をしてちょっと調整をするんです。現地の人が美味しいと思わないといけないので、基本のベースは現地のものにして。

「そこで、揚げる?!」みたいな、作り方から何から本当に違うことだらけでした。

尚美:アフリカとかだと、(私たちには)食事の常識がわからないですよね。栄養指導…タロイモとかキャッサバばっかり食べているようなイメージです。

塚原:でも、そんな感じでしたね。

小学校の授業で、身長と体重を正しく測る、みたいなことをしていて、食事に関してはそれほどアドバイスをしなかったのですが、食べたものを書いてねというと、ほとんど同じものが出てくる。

第3話:ものすごい行動力に対する周りの反応は?コツは、自分と他の人を区分けしないこと!?

尚美:そもそも「栄養課を出たのに、国際協力の分野で活動する」ことに対して、ぶっちゃけご両親や周りの反応ってどうでしたか?活動したての20代の時と、今と。

塚原:両親は、海外経験があまりない人たちだったので、「危ない所には行かないでね」とは毎回言われます。それで、「わかった気をつける」とは、とりあえず言いながらも、ずっと行き続けていて(笑)

塚原:ただ、特に私の方向転換について何か言われたことはないです。

周りの友人からも、「今何してるの?」とか「いつ日本にいるの?」とか聞かれたことはありますが、なにかマイナスなことを言われたことはないです。

尚美:素晴らしいですね。日本って周りと違うことをすると、ネガティブな印象を持たれたりしませんか?会社に長く勤め続けるのが良いことというか。周りにそういう人はいなかったですか?

塚原:なんかもう、まわりから、違う人種扱い?「すごいねえりちゃん」みたいな(笑)

尚美:(笑)

いま、21,2才の、「これから就職だ!」という人からOB・OG訪問を受けたり、就活支援のようなことをやっているんです。その中でよく聞くのが、

尚美:私はこういう仕事がしたいけど、「周りの友達から不安定な仕事だと言われた」「親に反対されたからこの会社には入らない」という話で。そうやって周りの目を気にしたり、「起業すると言ったら洗脳されてると言われた」と話したりしていて

塚原:え、そうなんですか?

尚美:私、なんでだろう?って不思議で。塚原さんはそういうことなかったのかなと。

塚原:私は、そういったことは言われはしなくて、「私たちと違ってすごいよね」みたいなことはありました。

尚美:でもそこに「あんたは違うから」とか嫌味みたいな意図はないんですよね。

塚原:そうですそうです。

また、私自身は、人と違う、みたいな意識はないです。

第4話:この子供たちに人生を捧げる!人生のキーパーソンの圧倒的ビジョンが原動力

尚美:自分で道を決めていくときに、とても支えられたとか、逆にすごく喝をいれてくれたとか、自分を自分たらしめたキーパーソンはいますか?親以外の、どちらかというと、大学卒業から今までの社会人経験の中で。

塚原:一人に絞るのは難しいですが、青空教室で出会った校長先生からは、やはり強く影響を受けています。ニケシュさんというんですけど。

塚原:初めて出会ったとき彼は26、7歳だったのですが、その時点で「私はこの人生をこの子達に捧げる」と言っていて、それが心にグサッときました。そこから自分の人生が変わりはじめたと感じています。

あとはマザーハウスをたちあげた山口絵里子さんの「裸でも生きる」も読んで。

尚美:私も読みました。大好きです、マザーハウス。

塚原:マザーテレサとか、ダライ・ラマとか、そういう方にも影響を受けました。マザーテレサの「愛の反対は無関心」という言葉も大きいです。始めたての時、それほど多くはないのですが、やはり「どうして日本にも大変な人がいるのに途上国支援なの?」と言われたこともありました。でも、無関心でいるのではなく、関心を持つのが大事という思いでやっています。

「自分は何かしたいけど何もできない。少額の寄付をすることくらいしか」というようなこともよく聞くのですが、私自身はそう言ったマザーテレサの言葉に勇気付けられた部分もあります。

尚美:青空スクールの男性の方は、出会った時、塚原さんと5.6才しか変わらなかったんですよね。

塚原:そうですね。しかも、裕福だからやっているわけでもないという。本当にニケシュさんとの信頼関係があるから続けています。あんなに腰が低いインド人はみたことがないです。いつも何かにありがとうとお礼を言っていて。

尚美:すごいコミットですよね。私立の先生のほうが収入もいいだろうのに、なぜ、と思いますよね。

塚原:路上にいる貧しい子供たちを見て放っておけなかった、と言ってます。

尚美:25.6で一生この子どもたちと生きて決めていくとコミットしているのってすごくないですか。そうやって決めて進んでいる方と出会うと、自分も考えますよね。

私の夫の家族は、彼の目に障害がある関係で、彼が10歳のときにアメリカに移住していて。

インドでは比較的裕福な家庭だったのですが、アメリカでは皿洗いみたいな仕事からのスタートだったと聞いています。

尚美:彼は将来目が見えなくなる障害をかかえているのですが、私が学生だったころ、「弁護士になるためにロースクールにいく」と言っていて。

わたしは五体満足なのに、その自分よりもしかしたら大変な状況にある人が、自分より頑張っていることにはっとさせられたはじめての瞬間でした。

塚原:私も彼を見ていると、この活動に本当に人生を捧げているなと思いますね。30歳をすぎるとほとんどの人が結婚しているインドの田舎で、学校のためにも結婚しないとずっと言っていたんです。

結局、結婚しないと本当に自殺するとまで親に言われたこともあって、結婚はしたんですけど、そこまで命を捧げていることをみると、支えたいと思いました。

国際協力に興味を持ったのも、ニケシュさんの青空スクールがきっかけだったし、ニケシュさんの想いが一番強かったんですよね。

第5話:ビジョンは、世界の食問題解決!貧困層の人は、お金があってもバランスのいい食事をとれない!?

ゆいまーる広報部:そんな中で、今塚原さんが描いている「こんな風にしていきたいな」とか、「ここに影響を与えていきたい」というのはありますか。

また、今の自分を突き動かしているものは何かありますか。

塚原:私は、管理栄養士の資格を持っていることもあり、食の仕事にやはり興味があって。

塚原:インドでは低栄養の問題もあるんですが、同時に過栄養による肥満・生活習慣病の課題もあるんです。安いものは糖分・油分が多いので。インドは中国に次ぐ、世界第二位の糖尿病大国です。

JICA時代も栄養関係の仕事に関わせてもらって、いろいろ調べていたのですが、

貧しい人たちが収入を得たとしても、バランスのいい食事を取れないんです。

知識がないために油や塩分の多いスナック菓子や糖質の多いジュース類を多く摂ってしまったり、またいつお金がなくなるか分からない不安から穀物等の必需品を買い込んでしまうという課題がありました。


エネルギー量は足りてきているけれど、栄養指導の面では途上国で出来ることがたくさんあると思っています。なので、そういう部分で仕事をしていきたい思いはあります。

島袋尚美(以下・尚美):びっくりするくらい、我々の中で常識であるような基礎知識がないですよね。

穀物が多いとか、野菜を食べる習慣がないのかな、とか、ポテト食べておけばいいと思っているのかな、とか。日本人は家庭科の授業とかテレビとかでいつのまにか得ている知識がありますが、そういうのがないですものね。

現場に行くとなおさら感じられるでしょうね。

塚原:本当に。インドの貧困層のかたは、肉はそもそも宗教上の理由で食べられない。卵や牛乳は買えない。そうなると、穀物、豆、安い野菜しかない。青空スクールで育てている子どもたちは、3食学校の給食を食べるのですが、それも出てくる野菜が一緒なんですよね。じゃがいもとたまねぎがほぼ占めている。

尚美:生野菜も食べないですよね。

塚原:たまに、トマト、たまねぎ、キュウリが添えられるくらいです。それも毎日ではないですし。

尚美:考えるだけでも生きていけないです…。それを改善していくというのは結構タフですね。

アメリカ人ですら貧困層のかたは栄養バランスを気にしないですもんね。

塚原:日本でもそうかと思うのですが、家計に余裕のない方ほど、安くてお腹にたまる100円のスティックパンやカップラーメンなど糖質や脂質、塩分が多いものを食べてしまう傾向にあります。

安くてお腹がいっぱいになるじゃないですか。野菜は高いですもんね。それに合わせて、途上国の方は、そもそも知識がないというのもある。

知識があって少し工夫すれば、バランスのとれた食事がとれて、将来の医療費や健康で働ける期間など長期的にみてプラスになるのになと思います。

尚美:経済問題もありますしね。子供はちゃんといい栄養で育ってほしいですよね。

第6話:行動力のコツは、まずやってみる!自分で自分のことを幸せにしていこう

尚美:では塚原さんは、今後も栄養と教育の二軸で活動していかれるんですね。

ちなみに、自己分析ではご自身でも行動力があるほうだと思っていますか?

塚原:はい。そのときやりたいと思ったことをずっとやってきたので。

尚美:ご自身で、そのフットワークの軽さはどこから来ていると思いますか?

尚美:最初の一歩を踏み出しにくい若者がいます。親に「あんたは無理」と言われてダメだと思ってしまっている、そういう人たちに向けて、フットワークが軽くなる渾身の一言をお願いしたいです。

塚原:自分が本当に好きで興味があると思っていることなら頑張ると思います。また、そういう仕事であれば、自己学習もしますし、一生懸命取り組みますし。そういった経験は方向性が変わったとしても必ず自分の経験値になります。自信を積み重ねていけば次の糧になる。

尚美:そこを、「これでいいのか!?」と思って足を止めてしまうんですよね。

塚原:やってみないとわからないですしね。

「これだったら頑張れる」ということをまずやってみて、それが変わったとしても経験値を生かせばいい。これを一生の仕事に!と思うと腰が引けてしまう。(やりたいことは)変わっても大丈夫だと思います。

ゆいまーる広報部:そうやって、自分自身を自分の力で幸せにしていく!という人が増えたらいいなと思います。

塚原:先日、岐阜で高校教師をしている友人から「子どもたちに刺激を与えたいからこれまでのキャリアについて話して」とお願いされて、高校生へお話しする機会をいただいたのですが、外に出る・行動するというモチベーションがあまりなく、岐阜から出ることさえもハードルが高いそうです。


尚美:なんと…。でも、そうやって塚原さんのような方を知ったら、もしかしたら、100人に1人は、「動いていいんだ!」って思う子もいるかも。岐阜から出ないはけっこうやばいですね。

塚原:彼らの勇気になるといいなと思いますね。

尚美:2.3年前に、中学生がなりたい職業の3位?いや1位かな?に公務員が入っていたんです。悪いことではないんですけれど、アナウンサーとかが私たちの時代は1位で、それとは違うんだなと思いました。

景気が良くないから、ガンガン行く空気じゃないのかな。

塚原:どうしてそんなに安定を求めてしまっているんでしょう。自分が好きなことを一生懸命やれば大丈夫だと思うんですよね。

尚美:金銭的に困ったらそのときまた考えたらいいとか、塚原さんはご自身が経験した上で言っているので、それがまたすごいですよね。

日本人でなかなかいないと思いますよ。やばい生活費がない、とか(笑)

第7話:貧困は日本にもある!?すぐ傍にある問題にも取り組んでいく

塚原絵理さん(以下・塚原):最近は日本のことも気になっています。

ニュースを見ていて、仕事が無くなってしまって路上で生活している方とかが、生活保護を申請すれば支援を受けられるのに、こういう状況になるなんて思いもしなかったから制度を知らなかったとか、生活保護を受けることに対するプライドというか、恥ずかしいというか…。

大晦日も路上で過ごしたというニュースを見まして。

NHKのニュースだったんですが。

島袋尚美(以下・尚美):私も見ました!衝撃でした。

塚原:私はあれで結構はっとして。私は自分の仕事があって楽しく暮らせていて、幸せだなと思っていたんですけど、恥ずかしいなと思って。そういう方がいるのに横目で見ながらあまり考えてなかったなと。ちょうど調べだしたところなんです。

尚美:私は沖縄出身なんですが、沖縄の貧困が気になっています。今回コロナがあって、学校が休校になったとき、給食が主食だった子達が食べるものがなくて困っているという話を聞いて。

離婚率が47都道府県の中で一番高いので、母子家庭の子供も多くて。そういった子供たちへの食べ物の支援もはじめたんです。お腹がすくって一番かわいそうで。

塚原:できれば簡単でもいいから親の作ったご飯を食べられたら一番なんですけどね。

尚美:本当に感心です…とても心が綺麗な方で、涙腺を刺激されてましいました。世界一涙腺のゆるい女なので気にしないでください(笑)

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行動力あふれる女性のお2人、ありがとうございました。

人生のキーパーソンとの出会いや、願望に素直に行動していく姿、途上国だけでなく日本にもある貧困への協力など、濃密な時間でした。

ゆいまーる広報部の他ブログや対談記事でも、尚美社長始め様々な経営者の方々のお話に触れることができます。

ぜひご覧ください。


<公式サイト>

株式会社ゆいまーる 公式HP

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Itoop 公式HP

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