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Basics to college

私は中学生までは音楽に真剣に取り組んでおりました。クラシックピアノは10年以上続け、中学からはサクソフォンも演奏し始めました。中学の途中から言語に興味を持ち始め、高校では英語や国際教育に力を入れている少人数制のクラスで英語のスキルをあげることや、国際的な時事問題について集中的に取り組んでおりました。そこで出会った先生たちは、世の中な様々な「形」について批判的思考を持ちながらも、一つのことに対し多角的に分析することで様々な考えに理解を示そうとする人たちでした。高校で培った英語力や考え方、および多くの経験は大学に入るためではなく、それ以降の人生を支える柱となっていると自負しております。高校二年の秋にNewYorkへ修学旅行で一週間ほど渡航しました。海外経験は家族旅行でそれまでも何度かありましたが、10代の時に自分の目で見て経験したことは人生で一番忘れがたい経験となっています。一般的に、主張が弱いとされる日本人と主張することが教育で培われているアメリカの人たちと、その違いについても考えるキッカケにもなりました。人それぞれの性格があるので人種で括った全体論的な考えは決して正解ではありませんが、海外に踏み出したことで、日本人である自分を俯瞰しているような気持ちになりました。修学旅行を通して一つだけ確かになったのは、どんな人種や社会ステータスを持っていようとも、優しさや思いやりがある人は常に魅力的だということでした。

  大学では分野を絞らずに勉強することができたため、起業家の多いSFCにいる利点を生かし事業創造に関する講義を受けたり、心理学に触れてみたり、環境学、政治学など様々なことを学びました。言語に関しては、中国語、アラビア語、フランス語、イタリア語に挑戦してみました。英語はやはり自分の軸であるため、自主的に勉強したり触れ続けました。言語を学ぶということは、ただ喋れるようになるだけでなく、触れる時間が長ければ長いほど新しい文化や考え方に巡り合う機会も増えるため、それが一つの楽しみでもありました。 

 その延長線上で、大学では「ことば」に関わる勉強を主に行いました。大学生活の前半は、言語学に費やしました。人が言語を習得する過程について学び、認知科学的な視点から言語と思考の関わりについて研究しました。大学生活の後半は、文学を入り口として翻訳から読み取れる価値観やニュアンスの違いについて研究しました。霜崎實先生の研究会では翻訳分析を学び、実際に翻訳の指導を受ける傍ら、既存の訳文を分析していました。文章を作るということの面白さや、それを他言語に置き換えることの難しさ、また文章を読むことの奥深さを学びました。福田和也先生の研究会では、小説の執筆活動を行い、子供の頃にやっていた自分で創作することの楽しさを思い出すことができました。また他人の作品の批評も行なっていたため、自分にはない価値観や世界観を感じることは、自分の生活自体にも影響を与えるほどの貴重な経験でした。双方の研究会において共通していたのは、「伝わる表現」について模索していたという点でした。

 このような研究の傍で、大学5年間また今も継続してダンスをしています。ダンスは身体的な活動ですが、その奥深さと身体表現に含まれるメッセージ性は研究に共通する部分もありました。ダンサーは踊りを「ことば」として常に創り続けています。練習はスポーツのような一面もありますが、個人のダンスに集中すればするほど自分に向き合う必要があるため、本当に好きでないと続けられないと感じております。ダンスサークルでは、練習場所を確保する役割を担う、施設管理という役職につき、サークルに参加する100人以上のメンバーに対して責任のある仕事をしていました。基本的な、施設の予約という仕事以外にも、他団体と交渉をして場所を譲ってもらったり、学校側と交渉して協力を要請したり、書類仕事だけでなく対ヒトの関わりも多くあった仕事でした。自分がサークルを代表しているという点においては、リーダー職と似たような重みのある役職でした。