第一幕|うちの担当者は優秀だから
とある中小企業。
社長「うちの事務員は優秀だからね! 何でも任せてるんですよ!」
社長は取引先に、いつもそう自慢していた。
請求書の発行、顧客対応、出張手配、スケジュール管理。
担当者の田中さんは、会社のあらゆる業務を把握していた。
社長「田中さんに聞けば何でもわかるから!」
取引先「では、この件の最終決裁は社長にお願いできますか?」
社長「ああ、それも田中さんに聞いて!」
取引先「……社長の決裁ですよね?」
社長「そうそう。田中さんに確認してもらって!」
その頃、田中さんのスマホには未読通知が37件。
田中さん「……私、いつから社長になったんやろ」
田中さんは定期的に社長へ業務報告をしていた。
しかし、専門的な話になると社長の返事は決まっていた。
社長「僕、その分野は詳しくないから。田中さんに任せるよ!」
田中さんは説明を重ねた。
判断が必要なことも伝えた。
それでも、最後には同じ言葉が返ってきた。
「田中さんのいいようにやって!」
そんな日々が続いたある日。
田中さんは退職を申し出た。
第二幕|引き継ぎは完璧だった
社長「えっ、辞めるの? でも引き継ぎさえしてくれれば大丈夫だよね?」
田中さん「はい。業務一覧とマニュアルをまとめます」
田中さんは担当業務を整理した。
手順、保存先、取引先ごとの注意事項、年間スケジュール。
判断が必要な箇所には、承認者も明記した。
後任者と一緒に作業を確認し、質問にも答えた。
後任者「ありがとうございます。これなら基本的な作業は進められそうです」
田中さん「ただ、例外対応や最終判断は社長に確認してくださいね」
後任者「はい!」
引き継ぎは予定どおり完了した。
社長「田中さん、今までありがとう! あとは任せて!」
田中さんは会社を去った。
社長は安心していた。
引き継ぎ資料もある。
後任者もいる。
何も問題はないはずだった。
第三幕|退職した人に聞けばいい
退職から1か月。
後任者のもとには、判断に困る案件が増えていた。
後任者「社長、この取引先から契約条件の変更依頼が来ています」
社長「前はどうしてたの?」
後任者「通常の手順は資料にありますが、今回は例外なので社長の判断が必要です」
社長「じゃあ、田中さんに聞いてみて」
後任者「……もう退職されていますが」
社長「引き継ぎした本人なんだから、わかるでしょ?」
後任者は仕方なく田中さんに連絡した。
後任者「お忙しいところ申し訳ありません。この件、どうすればいいでしょうか?」
田中さん「その件は社長の決裁事項です。資料にも記載していますので、社内でご確認ください」
ところが翌週も、その翌週も、問い合わせが続いた。
とうとう田中さんは社長に連絡した。
田中さん「退職後も業務の問い合わせが続いています。今後は社内で判断できる体制を整えていただけませんか?」
社長「でも、あなたが引き継ぎしたんだから、後任に直接言えばいいじゃない」
田中さん「引き継ぎは完了しています。現在の運営判断は、御社でお願いします」
社長「そんなこと言われても、こっちは困るんだけど」
田中さんは、しばらく画面を見つめた。
田中さん「承知しました。今後の運営については、御社でご判断ください」
それ以降、田中さんからの返信はなくなった。
第四幕|静かに始まる異変
ある日、会社に一本の電話が入った。
取引先A「先月お願いした件、まだお返事いただけていないんですが……」
後任者「申し訳ありません。確認して折り返します」
翌日。
取引先B「請求書の内容が、先月と違うんですけど」
後任者「確認いたします」
さらに数日後。
取引先C「以前はすぐ対応していただけたんですが、最近遅くなりましたね」
後任者「……申し訳ありません」
後任者は、その日三度目の謝罪をした。
社長に報告する。
後任者「お客様からの問い合わせが増えています。判断待ちの案件もたまっています」
社長「え? そんなに問題になってるの?」
後任者「はい。対応方針を決めていただけませんか?」
社長「でも、田中さんのときは問題なかったよね?」
後任者「…………」
社長「引き継ぎが足りなかったんじゃない?」
後任者は机に戻り、マニュアルを開いた。
手順は書いてある。
保存先も書いてある。
確認事項も書いてある。
そして、判断が必要な箇所には、こう記されていた。
「最終判断:代表取締役」
後任者は、静かに資料を閉じた。
第五幕|構造設計プロデューサー、現る
取引先からの苦情が増え、社長は知人の紹介で構造設計プロデューサーに相談した。
社長「優秀な担当者が辞めてから、会社がうまく回らなくなったんです」
構造設計P「引き継ぎはしたん?」
社長「もちろん! マニュアルもあります!」
構造設計P「ほな、後任者は何に困ってるん?」
社長「それが、前任者に聞かないとわからないことが多くて……」
構造設計P「マニュアル、見せてもらっていい?」
資料を確認した構造設計プロデューサーは、ある一文で手を止めた。
構造設計P「『最終判断:代表取締役』って書いてあるね」
社長「はい」
構造設計P「これ、誰が判断するん?」
社長「……私ですね」
構造設計P「今までは?」
社長「田中さんが、だいたい判断してくれてました」
構造設計P「それ、任せてたん? 丸投げしてたん?」
社長は黙り込んだ。
構造設計P「社長、もうひとつ聞いていい?」
社長「はい……」
構造設計P「田中さんが普段どんな仕事をしてるか、知ってた?」
社長「もちろんです。請求書とか、顧客対応とか、いろいろ……」
構造設計P「その仕事がどういう流れで進んで、どこで判断が必要になるかは?」
社長「……そこまでは」
構造設計P「田中さんが困ってることや、改善したいことを聞いたことは?」
社長「…………」
構造設計P「もしかして社長、田中さんの業務そのものには、あんまり興味なかったんじゃないの?」
社長「いや、そんなことはないですよ!」
社長「ただ、僕はその分野に疎くて。だから詳しい田中さんに任せていたんです」
構造設計P「なるほど。報告は受けてた?」
社長「もちろんです! 定期的に報告してもらっていました」
構造設計P「その内容は理解できてた?」
社長「……正直、何を言っているのかよくわからないことも多くて」
構造設計P「そのとき、どうしてたん?」
社長「田中さんが大丈夫だと言うので、お任せしていました」
構造設計P「……社長、それ報告を受けてただけで、確認はしてなかったんやね」
社長「でも、僕には専門知識がないので……」
構造設計P「専門的な作業まで社長ができる必要はないよ」
社長「ですよね!」
構造設計P「でも、何のためにやっていて、どんな問題があって、何を判断してほしいのか。それは理解しないといけないんじゃない?」
社長「…………」
構造設計P「わからなかったら聞けばよかったんよ。社長が判断できるように説明してもらうこともできたはずやし」
社長「……そうですね」
構造設計P「田中さんに仕事を任せてたんじゃなくて、わからないことを全部預けて、結果だけ受け取ってたんと違う?」
社長は、黙ってうつむいた。
構造設計プロデューサーは、ホワイトボードに書いた。
依頼受付 → 内容確認 → 判断・承認 → 実行 → 完了報告
そして「判断・承認」の部分に丸をつけた。
構造設計P「ここ、誰が担当するか決め直そう。社長が判断するものと、後任者に権限を渡せるものを分けるんよ」
社長「それで元に戻りますか?」
構造設計P「元に戻すんじゃなくて、田中さんがいなくても回る会社にするんやで」
最終幕|信頼していたつもりだった
社長は、改めて業務一覧を見直した。
そこには、田中さんが日々こなしていた仕事だけでなく、社長の代わりに調整し、判断を仰ぎ、問題を未然に防いでいた記録が残っていた。
社長「……こんなに任せていたんですね」
構造設計P「人に任せるのは悪いことじゃないよ。むしろ大事なこと。でも、任せた仕事の責任までなくなるわけじゃないからね」
社長はうなずいた。
後任者の机には、今日も未処理の案件が残っている。
その一件一件を、今度は社長自身が確認することになった。
「任せる」と「丸投げ」は違う
ここまでのお話はフィクションです。
優秀な担当者がいることは、会社にとって大きな財産です。
経営者がすべての実務を抱える必要もありません。
ただし、担当者が優秀だからといって、業務の全体像や判断基準を把握しなくてよいわけではありません。
特定の人がいる間は問題なく回っていても、その人が休んだり、退職したりした途端に仕事が止まる。
それは、個人の能力によって組織の課題が見えなくなっていた状態ともいえます。
そして、引き継ぎ資料があることと、引き継いだ業務が正常に回ることも別です。
手順を引き継ぐことはできても、経営者が行うべき判断まで、前任者に背負わせ続けることはできません。
報告は存在していたのに、経営判断が存在していなかった。
社長が専門家になる必要はありません。
しかし、専門家からの報告を理解し、必要な判断につなげることは、経営者の役割です。
わからないことがあれば質問する。判断に必要な情報を整理してもらう。権限を委譲するなら、その範囲と責任を明確にする。
そして、担当者が不在でも仕事が止まらない体制をつくる。
優秀な人に仕事を任せることと、優秀な人に依存することは違います。
担当者が辞めたから会社が回らなくなったのではなく、担当者がいる間だけ、会社が回っているように見えていたのかもしれません。
「任せる」とは、仕事から目を離すことではない。
人を信頼することと、仕組みをつくる責任を手放すことは、別なのです。