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プログラムを書けない理由とストーリーを書く理由

↑の写真は十和田湖現代美術館のゴーストです。

ゴースト / アンノウン・マス » 十和田市現代美術館 | Towada Art Center

去年の夏は自分で作ったプログラムをアップしたりしていた自分が急にそういうことを止めたのは、子供が不登園になったことが原因でした。子供が保育園に行かないので毎日家にいる。そうなるとパートナーは仕事に行くので、時間のある自分が一人でみるしかない。そうなると就活もプログラム作りも勉強も何も出来なる。という状況でした。

そんなこと言っても出来るでしょう? と思う人もいるかと思いますが、今日も、パソコンを立ち上げようと席を立った瞬間にPC用の椅子を占拠され、なんとか席を返してもらっても「動画見たい」と背後に陣取る子供に「人のディスプレイは勝手に見て良いんだっけ?」「見て良い?」「ダメ。ちゃんと許可を求めたのは良かったけど、必ずしも良いと言ってもらえるわけじゃないよ」「見たいー」というやり取りをして、ほかの部屋で遊んでもらい、やっとPCの電源を入れ、wantedlyにログインしたところで「見て」とブロック作品を持ってくる子供に「またすごいの作ったね」「もっと大きなもの作れる?」と返事して、やっと上の4行が書けます。もう、しゃべりながら書いているのでミスタイプも多々発生です。文章は、まだ大学時代まで毎日毎日暇さえあれば書いていた名残で何とか書けますが、プログラムはなかなか作れません。早く子供と話しながらでもプログラム書けるようになりたいですが、それにはまだ時間がかかりそうです。

それでも、毎日何かをPCに向かって作業することで、少しずつでも子供に親がPCの前にいるときは遊んでるわけじゃなく、何か大事なことをしているところだと思ってもらうべく、これからも極力毎日ストーリーを書いていきたいと思っています。ちなみに今後ろで子供が「なんか見たい」の行進をしています。にぎやかです。なんか光線を撃たれました。一般人なのに撃たれました。ひどい。パタリ。