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Seiki Takashima
1991年生まれ。関西外国語大学 外国語学部卒業。 2014年、株式会社G.Oホールディングスに3人目の社員(初の新入社員)として入社。入社後に、顧客対応、WEBデザイン、マーケティング、商品開発等、一通りの物販の流れを経験し、会社の様々な業務に従事。 2015年、事業部長に就任。
Takanori Fukuda
3歳からサッカーを始め、 学生時代のほとんどをスポーツに費やしてきました。 中学、高校をインターナショナルスクールで過ごし、もちろん勉強もしたと思います。少しは。 サッカー、アイスホッケー、 そして最近オリンピック競技にもなったスケートボード。 高校1年〜3年生までアイスホッケー冬季国体に3度出場。 スケートボードではDVDや雑誌にも掲載されました。 しかし、学生時代の僕はプロスポーツ選手になりたいというぼんやりした夢はあったものの一般的な"仕事"というものにはあまり関心がありませんでした。 仕事は生きていくために仕方なく 大人がしてるもの… そんな感じで考えていたような気もします。 そして、23歳の時に初めて就職した企業でも、それは変わることがなく、何となく流れるように毎日をただ過ごしていました。 世の中でいう"出世"も少し経験しましたが、 それでも"仕事"の魅力が理解出来ない自分がいました。 そんな中、僕が27歳の時に代表の川下が当時スタートさせたばかりの企業に入社することになります。 当時彼は22歳、僕は27歳。 彼とはもともと、同じお店で働くバーテンダーとして出会い、その職を離れてからは、特に何の接点もなかったのですが、きっかけというものは突然に現れるもので、そこからすぐに入社するまでにいたります。 今、考えるとそこが僕にとって、1つの転換期だったのだと思います。 当時はスタートしたばかりの企業だったため、何かを "0"から作っていくことがほとんどでした。 それは誰でもなく、自分が作っていくもの。 誰からも何も言われない代わりに時に多くのプレッシャーを背負うこともあります。 しかし、僕にとってそれはとても居心地の良い空間でした。 常にチャレンジと失敗を繰り返しながら、前に進んで成長していく"企業"と共に自分の成長も手に取るようにわかる毎日を過ごすことが今もできています。 いつのまにか、僕にとって"仕事"は"仕事ではなく"スポーツ"や"遊び"のような楽しさと苦しさが同居するとても魅力的な場所になりました。 代表の川下、一緒に働いている仲間、そしてG.Oホールディングスという多くの人と出会える仕事に感謝して、今日も"遊ぶように"働いています。
Yuto Kawamoto
株式会社G.Oホールディングス システム・エンジニアリング担当 TL;DR やりたいことずっとやってたら、Webエンジニアになってました。 ■ プログラミングとの出会い 小学4年生の時、父親にお下がりのノートパソコンをもらいプログラミングを始めます。 といっても当時は英語がわかるほどできた子ではなかったので、日本語プログラミング言語「なでしこ」でWin32アプリを作って遊んでました。 ■ バンドとの出会い ある程度月日が流れ、高校生になるとベースに出会います。 最初はちょっとモテたいぐらいで始めたのですが、気づいたらどハマりし、勉強もせずにバンド活動に明け暮れる日々になります。 この頃もパソコンは大好きで、近所の音楽スタジオのホームページとか作ったりしていました。 ■ バンドマンとしての生活 高校を卒業すると、バンドマンとしての生活が始まります。 最初は飲食店や古本屋で働いていたのですが、バイトってしんどい割りにお金が残らないなぁと思い、せめて楽しいことをしようとWebデザインやプログラミングのバイトを始めました。 「せっかくクリエイティブな仕事をするのに、既存の枠組みの中で作業をするだけなら他のバイトと変わらない」 なんとなくそんな風に考えていたので、これからWebを始めようという企業の様々な案件に携っていきました。 一方、バンドの方はといえば、この間にシングルを2つとミニアルバムを1つ制作しています。 これもレーベルに所属していたとかではなく、自費で作って自分たちのライブで売るといった自給自足な活動です。 これらの経験はとても有意義で、 「常識にとらわれず、自分たちのいいと思ったものを徹底的に研究し、作品にしていく」 といった、クリエイティブな仕事をする際のマインドセットを与えてくれました。 ■ フリーのWebエンジニアとしての生活 そんな感じでバンドマンとしての生活を4年ぐらい続けていると、 ・自分の「音楽の才能」と「エンジニアリングの才能」を比べると 同じ努力の量に対してエンジニアリングの方が圧倒的に結果を出している ・そして、自分がなりたいものはメジャーアーティストでもアルファギークでもなく ”想像したものが何でも作れる”存在である ということにふと気がつきました。 自らの途方もない願望と音楽への未練で小一時間ぐらいは悩みましたが、やれるだけやってみようと思いバンドを解散して、フリーのエンジニアになりました。 そこから2年近くフリーランスとして、更に多種多様な案件に携わるようになります。 この頃になると、企業の社内システムや専用のCMSをフルスクラッチで開発をしたり、Webシステムと連携した業務フローのコンサルティングをしたりとバイトでやっていた頃より少しスケールアップした幅広い業務に携われるようになりました。 ■ G.Oとの出会い 2年近くフリーランスで仕事を続けていると、その働き方に成長といった面での2つの限界があることに気づきました。 ひとつは外注として業務に携わるフリーランスはクライアントの予算以上の仕事ができないということ、もうひとつは1人でできることしかできないということです。 つまり、いくらひとりでモノを作り続けても”想像したものが何でも作れる”ようにはならないということに気がついたのです。 そこでチームで何かを作っていくという活動をやろうと、就職活動をした結果、今の株式会社G.Oホールディングスで働くことになりました。
前田純
デザイン事務所に入社し、当然残業も多く忙しい時には週に4日ほど徹夜で作業になることもありました。しんどいと感じる時はありましたが、仕事を上げて先輩と飲む一杯のビールが驚く程美味しかったり、忙しくても充実していました。 今では自分のスケジュールで仕事を進めて、定時で上がって自分の好きなことができる環境で働けています!
Company info
Founded on 05/2011
52 members
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