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Wantedly Journal | 仕事でココロオドルってなんだろう?

Company

「まずはやってみたらいいやん」。新しい人材とアイデアがつくる大幸薬品の現在

「お薬」で人の暮らしをよりよく豊かに。自社の役割を果たすために、大幸薬品が大事にしていること【後編】

2016/04/01

2009年の入社後、営業部を経て、現在マーケティング部で働く松本貴之さん。

前編▶今年で創業70周年。ラッパのマークの『正露丸』を支える幸福なコミュニケーションの在り方

仕事をするうえで大事にしていることは、ドラッグストアの店舗など、現場に足を運ぶ営業部のスタッフとこまめなコミュニケーションをとり、情報交換することだと言います。松本さんが他の部署と積極的にコミュニケーションをとっているように、大幸薬品では先輩と後輩、社長と社員の距離が近く、そんな関係性が新たなアイデアが生まれることも多いそうです。

例えば年に1度開催される業界向けの展示会でも、独自のアイデアで来場者の注目を集めました。

浅草演芸場ならぬ大幸演芸場?! “笑い”で商品をアピール

毎年3月に開催される医薬品業界の展示会「JAPANドラッグストアショー」。2014年は、他のブースが商品を並べてお客さんを呼び込むなか、大幸薬品のブースでは「大幸演芸場」と銘打ち、落語や漫才を行い来場者に商品をアピールしたそうです。

手の込んだ大幸演芸場のポスターは、本物と見紛うクオリティ。

「弊社も2012年まではきれいなブースにきれいに商品を並べてというスタイルをとっていたんですけど、なかなか他社との差別化もできないし、埋もれてしまってるなぁと。結論として笑いの要素を入れようと先輩の発案がありました。関西の企業ですし、そういうのが好きな人間がいるんですね(笑)。とりあえず人に来ていただかないと商品のことも知ってもらえないし、話を聞いてもらえないので、アテンション、フックの部分として親しみやすいお笑いの要素を取り入れたブースづくりになりました」

時代劇を披露し、お芝居を通じて商材をアピールする年もあり、海外からの来場者とサムライ姿の大幸薬品社員との記念撮影が長蛇の列になったんだとか。独自の道を行くスタイルで、同展示会の「ブースコンテスト」では、内容・構成・表現力を高く評価され、2013年と2015年は優秀賞を受賞。大幸演芸場を披露した2014年は特別企画賞を受賞しました。

「こういう流れになるまでにはいろんな要因がありました。まず、予算が限られている。自分たちで準備して、舞台に立つしかないと。劇形式で商品紹介をやってみたら、手応えがあったんですよ。ある程度『この路線やな』という確信がこの企画を立ち上げたリーダーや私たちスタッフに生まれました。それを踏まえての大幸演芸場です。浅草演芸場そっくりのブースを作り、衣装にもこだわって。

私は相方がいまして、コンビで漫才をしました。それまで学芸会ですら漫才をやったことはなかったんですけど、そういう(笑いの)文化で育っていますので、できなくはないかな?という感じで最初は恐る恐るやっていましたね」

コンビ名は「アメリカンドッグ」。そうしたのは「相方の好物がアメリカンドッグ」だから。本当にいそうなコンビ名の2人の漫才を観た人のなかには、「どこの事務所の方ですか?」と尋ねてきた人もいたそうです。

「人は集まりました。他社と違うことをやろうという点においては成功やったと思います。でも、そんなに面白くはないですよ」と松本さんは笑います。

「とりあえず行ったらわかるわ」。手厚く、おおらかな先輩社員たち

「正露丸」という誰もが知っている商品が会社を支えているからこそ、既に届いているところに、より深く届ける、知ってもらうようアイデアを出すことが重要だと松本さん。

いつまでに何本アイデアを出すといった具体的なノルマはあるんですか?

「そういう縛りはなく、何か思いついたときに各自提案をするという感じです。もちろん検討段階はあるので、すべてが実現するわけではないですが、新人でも、どんなアイデアであっても、話は聞いてもらえますね」

ここで大阪本社で広報を担当する富田美貴さんも続きます。

「老舗の会社というと決まりごとがいっぱいあるように感じられるかもしれませんが、若い人に任せてみて『どうや?』って様子を見るようなところがありますね。営業部はとくにそうですけど、準備は先輩たちが一緒にやってくれるんです。あとは『行ってこい』って。

富田美貴さん

私がよく言われるのが、『去年もやっていたから今年もやります、というのは無しにして』ということ。去年と同じことを当たり前のこととしてやろうとしたら『なんでやるの?』と聞かれるんです。『去年やってみて、結果がついてきたのでやります』であればいいんですけど、ルーティンでなんとなくやるのは『無し』だよって」

富田さんが中途採用で入社したのは2011年。2009年に豚インフルエンザが流行し、クレベリンの認知度が一気に広がったタイミングを経て、社内ではより会社が成長するために情報の発信を重要視していた時期でした。

「私は以前勤めていた会社ではマーケティングコミュニケーションという部署にいて、広報専任の仕事はやったことがなかったんですけど、『企業価値を上げるアイデアがあるならどんどんやってみたらいいやん』と、採用してもらいました」

採用でも、人事でも、常に新しい可能性にかけるということが基本にあるんですね。

「採用の話でいえば、松本が入社した年から現在までに100人以上が入社しています。理由はいろいろありますが、会社のフェーズ、状態によって必要な人間は変わってくるじゃないですか。上場のタイミングであれば上場の知識のある人が、二酸化塩素の商材を開発したいのであれば二酸化塩素に関する理系のプロがというふうに。社内に適切な人材がいなければ、必要な人材を外から積極的に採り、新卒の人間も大事に育てる。その両方をやっていますね。

東京オフィス。席は、ほぼフリーアドレス制。

製造に関しては、『親子三代、正露丸を作っています』という社員もいます。会社に対して愛着を持っているんでしょうね。おばあちゃん、お母さん、私もっていう。私は社内報を作るので、若いスタッフに話を聞くことが多いんですけど、先輩は優しく教えてくれるけど、『まぁ、やってみろ』と言われるとよく聞きます。働きやすいと感じるのは、上司や先輩に見守られながら自由にやれるからかもしれない」

松本さんも続けます。

「どちらかというと自由ですね。最初戸惑ったときもあったんです。『もうちょっと教えてほしい』って(笑)。でも『とりあえず行ったらわかるわ』って」

自分たちの使命を説く、元外科医の社長の言葉

最後にお聞きしたいのですが、松本さんにとって働くとは?

「自分のためというのもありますが、周りの人のためという気持ちの方が意識としては強くて。この仕事は、衣食住に直接関わるわけではありませんが、みなさんがよりよい生活、豊かな生活を送るためのひとつの仕事、役割だと思っています。社会貢献とはまた違うんですけど、そんな意識でやっています。

そう思うようになったのは、働きはじめて3~4年して、いいことも悪いことも経験してからです。助けてもらったこともいっぱいありますし、逆に同じような人がいたら自分が助けてあげなあかんし、と、お互い助け合って仕事をしている。商品が販売できるのも、それを作ってくれている人がいるから。売る人間もいないといけないし、当然それはお店の協力も得ないといけない。いろいろな人に関わってもらってひとつのことが成り立っていると思うんです」

自分たちは、人がよりよい生活、豊かな生活をするための役割を背負っている。そんな意識を強くもち続けられるのは、元外科医である社長の影響も大きいそうです。以前、富田さんが社長に「なぜお医者さんを辞めて、うちに来たんですか?」と尋ねたとき、社長はこう答えたといいます。「医者は目の前の命を救うことはできるけど、救える数は実際に会った人だけ。でもお薬の会社は会ったこともない世界中の人を沢山救える。そっちの方がええやんか」と。

「社長が社員に向かって話をする機会も多いんですけど、毎回いわゆる社長の挨拶のような話はしないですね。お医者さんの実体験に基づいた話が多いです」

印象に残っている話はありますか?

「二酸化塩素についてはやっぱり熱く語りますね。普段仕事をしていると、どうしても慣れてきてしまう部分があるのですが、社長は「お前らもう1回自覚しろ、すごいもん売ってるんやぞ」と、いろんな角度から話をして我々のお尻を叩く。目の前の数字ばかりを見て、本来の使命を忘れかけてしまう瞬間に、社長の言葉で「あ、そうやそうや!命を救う仕事をしているんだ」って気付くことができるんです」

商品へ、そして一緒に働くスタッフへ、真心の詰まった会社。それが話を伺って感じたことです。松本さんと富田さんは、「スタッフ同士の距離が近く、お互いを思いやる風土が、これまでずっと続いてきたことかは正直なところわからない」と語っていましたが、おふたりをはじめ、現在働いている皆さんが、この穏やかで柔軟なムードを経験しているという事実が、未来に濃く太く繋がり、10年後、20年後には「ずっと続いてきたこと」として語られるのではないでしょうか。

Interviewee Profiles

松本貴之
大幸薬品株式会社マーケティング部
兵庫県出身。同志社大学卒業後、2009年に新卒採用で大幸薬品株式会社に入社。営業部を経て、2014年マーケティング部販促グループ、2015年よりマーケティング部医薬品チームでPOPなどの装飾ツールや、展示会・イベントの企画運営を行う。
  • Written by

    梶山ひろみ

  • Photo by

    岩本良介

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