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Wantedly Journal | 仕事でココロオドルってなんだろう?

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「ほぼ日」のエンジニア、「宇宙部」が支える、 ごきげんな働き方とは?

保守や開発からイベント音響、ロケット打ち上げの生中継まで、電源があるところのすべてが仕事になる。

株式会社ほぼ日

2015/10/30

お話をうかがったのは、「ほぼ日刊イトイ新聞(以下、ほぼ日)」を運営している、株式会社 東京糸井重里事務所。1998年に創刊した「ほぼ日」では、ウェブメディアだけでなく、宮城県気仙沼市に支社「気仙沼のほぼ日」を設立したり、東京南青山にリアル店舗の「HOBONICHI の TOBICHI」を立ち上げたりと 、精力的に活動の場を広げています。

17周年を迎える今年。「ほぼ日」の土台を支えるエンジニアが、これまでにどんなことをやってきたのか、現在の課題、今後の展望などを聞くべく、エンジニア(以下、「宇宙部」)の佐藤智行さん(2005年入社)と、多田秀章さん(2014 年入社)にお話をうかがいました。

「ほぼ日」の中では、スタッフのことを、ひとつの船をともにする「乗組員」と呼ぶように、独特な呼び名が読者の方にも認識されています。社内エンジニアは、親しみと尊敬をこめて「宇宙部」と呼ばれていますが、その理由は、エンジニア同士のやりとりを見ていた「ほぼ日」乗組員のひとりが、「宇宙のことばでしゃべってるみたい」と表現したことがきっかけなのだそう。

オフィスに入って、まず目に入るのが、木製の机。机だけでなく壁や床まで木に囲まれているおかげで、事務所全体からあたたかさを感じます。間仕切りも少なく、席の間隔もゆったり。隣の席の人と話しながら、笑い合って仕事をしている様子がありました。年に数回、乗組員の全員がくじ引きで席替えをするそうで、職種にかかわらずバラバラに座り、定期的に空気を入れ替えているのだそうです。

「ほぼ日」に宇宙部が誕生するまで

はじめにお話を伺った佐藤さんは、「ほぼ日」創刊時の 1998年からシステムに携わっている方です。当時は大学生で、HTML を手打ちで書いてページを作成していたのだとか。

そんな佐藤さんに、「ほぼ日」と出会ったきっかけを聞いてみました。

「大学2年生のころに所属していた立花隆さんのゼミに、糸井が興味をもってメールを送ってきたことがきっかけですね。講義で話した内容をインターネット上にテキストで公開していたこと、ゼミで行っていた『二十歳のころ』という企画に強く興味を抱いたこと、さらに、その作業を、私を含めた何人もの学生ボランティアが担っていたことを、面白いと思ったようです」

二十歳のころ』とは、赤川次郎さん、黒柳徹子さん、坂本龍一さん、筑紫哲也さん、松本零士さん、水木しげるさん、そして糸井重里さんなど、様々なジャンルの人に二十歳のころを聞きに行くという企画のこと。現在は、新潮社から文庫本も出ています。

「糸井がゼミの見学に来てから、何人かの学生が事務所を訪れるようになりました。ゼミ生の一人に『明日サイトがオープンするんだけどHTML書ける人が足りないから手伝って』という感じで糸井に誘われて、創刊の前日から「ほぼ日」に関わりはじめました。98年の創刊から1年半ぐらいは、ただ遊びにいく感覚で糸井事務所に行っては、みんなで夕飯を食べたり、ページ制作を手伝ったりという生活をしていて、途中からバイト代も出るようになりました」

創刊から関わっていた佐藤さんですが、2000年に「ほぼ日」のプロバイダー候補にあがっていたキールネットワークスというベンチャー企業に入社されます。それから「ほぼ日」に乗組員として戻ってくる2005年まで、キールネットワークスのエンジニアとして「ほぼ日」のサポートをしていました。

「創刊から2000年までは、ストレージ容量が50MBというレンタルサーバーで運営していました。さすがに容量が少なすぎますし、帯域不足などの不具合があったので、2000年にキールネットワークスに入社した直後に、サーバーを用意しました。秋葉原でPCを購入して、LinuxやApacheを入れて。たしか20GBのHDDだったと思います。データセンターに直接置いたので帯域も100Mbpsがフルで出せるようになりました」

佐藤さんが「ほぼ日」に戻ってきた後、2007年に2人目のエンジニアである川本さんが加わって「宇宙部」が誕生したのです。

読者やお客さまとの距離がすごく近い

つづいてお話しいただいたのは、入社2年目の多田さん。2013年の「宇宙部」乗組員募集ページを見て入社された、宇宙部の4人目の乗組員です。

「ほぼ日」に応募をしたきっかけや動機を聞いてみました。

「応募のきっかけは、じぶんと同じチームで働いていた『ほぼ日』ファンの先輩です。『ほぼ日で募集が始まったから応募しなさい』と言われて(笑)」

急ですね(笑)。ちなみに、その先輩は応募しなかったんですか?

「何でだろう…、応募はしませんでしたね。『君にいいと思うから、応募する気があるのかをまず考えてみなさい』って、飲み会の場で言われました」

この会社にいるよりも向いていると思う、ということを伝えてくれようとしたのかもしれないですね。

「そうかもしれないですね。それで、『ほぼ日』の応募要項を読んで応募してみます、と伝えたら『じゃあ私が推薦状を書こう』と言ってくれて応募しました」

多田さんが募集ページを読んだとき、エンジニア目線で、どんな点に惹かれたんですか?

「お客さまとの距離がすごく近い、というのが魅力的でした。それまではずっと、SIerだったので、受注して納品してからお客さまに使ってもらうまでの期間が長かったりして、ユーザーの顔が見えないことが多かったんです。でも、『ほぼ日』だったら、つくったものをすぐに使ってもらえて反応も直接もらえる。そこがいいなぁと思いました」

「あとは、WEBだけでなくリアルのイベントやコンテンツに関われるところにも魅力を感じました。あと、『ただいま製作中!』を、転職活動中によく見ていたんですが、そこに『宇宙部』メンバーの顔が出てくるのがいいなぁと。完全に主役になるというよりは、ちらっと活躍しているのが見えるくらいなんですけど」

ただいま製作中!』とは、乗組員なら誰でも投稿できる「ほぼ日」メンバーのブログのようなもの。「ほぼ日」がいま、どんな活動をしているのかを見ることができる、人気コンテンツのひとつです。

「入社してから、それを見たうちの子どもが『パパが出てる!』って言ってくれるんです。じぶんの仕事にどんな価値があるのかを、子どもにも伝えられるのは、すごくいいなぁと思います」

ちなみに「ほぼ日」のコンテンツに登場する機会の多い佐藤さんは、家の最寄りの図書館で図書カードをつくったとき、司書さんに「ベイさん(佐藤さんの愛称)ですよね?」と聞かれたこともあるのだとか。

「こんな近くにも読んでくださっている人がいるんだな、とびっくりしました(笑)。『ほぼ日』にいると、読者やお客さまの目の前で仕事をしている意識が強くなると思います」

宇宙部の一風変わったエンジニア文化

「ほぼ日」のエンジニアは、Wantedly編集部が想像しているエンジニアの枠をはるかに超えていました。サーバー、ネットワークの管理・運用をはじめとするインフラの整備や、販売や業務に関わるアプリケーションの開発だけではないようです。佐藤さんは、人工衛星のロケット打ち上げを生中継するため、種子島や南米のギアナまで行ったこともあるんだそう。そのときの記事がこちら。

ロケット発射を生中継しに種子島に行く。( 2011/01 )
ロケット発射を生中継しに仏領ギアナに行く。( 2011/05 )

そのときの話を聞いてみました。

「最初は種子島で『こうのとり2号機』の打ち上げを生中継したんです。その後、縁があって商用衛星の打ち上げがさかんな南米のギアナにも行けることになりまして。現地にはWi-Fiや3G回線がないので、BGANという衛星通信ができるポータブルアンテナを借りて行きました。電波が強すぎて健康を害するため、使用中にアンテナの前に立ってはいけないという代物なのですが(笑)。リハーサルでは通信が毎回不安定だったのが、本番では途切れることなく中継できました。中継時間が日本時間で朝の5時だったので、視聴者は500人ぐらいでしたが、視聴者数よりも地球の裏側から無事に中継できたことの方がうれしかったですね。ただ、リハを念入りにやりすぎて、通信費が40万円近くかかってしまいました」

なんと、通信費だけで40万円近くも!

「他にも、『気まぐれラジお』というラジオに見立てた遊びのコンテンツ配信もしています。ページ内でTwitterのストリーミングを流したり、著作権が絡む音楽に関しては、『ほぼ日』側でボタンを操作するとページ内にYouTubeが立ち上がって同じタイミングで曲が流れる、といった細工を仕掛けたりと、けっこう遊び心をもってつくっていますね」

「実は『ほぼ日』での生中継は、USTREAMが出来る前からやっています。それこそ、2000年初頭のWindows MediaやRealPlayerが全盛期だったころから。写真とテキストを使ってリアルタイムで更新する『テキスト中継』も含めて、『生中継する』ことは、『ほぼ日』の文化のひとつかもしれないですね」

幅広く仕事をしているのは、佐藤さんだけではありません。多田さんにも印象に残っている仕事について聞いてみました。

「入社前から大ファンだった、さだまさしさんが宮城県気仙沼市で3.11のコンサートを開催するときに、生中継をさせてもらったんです。そのときは、YouTube Liveでの配信や、コンサート中のコメント係を担当しました」

そのときの記事がこちら。当時の多田さんは、ちゃんと知っている芸能人がさだまさしさんぐらいで、面接のときに「本当に芸能人を知らないですけどいいですか?」と質問したほど。イベントの音響についての経験も、もちろんありません。

「スイッチングや音響に関する知識も、『ほぼ日』に入ってから学びました。エンジニアとして体験する機会は、ほぼありませんから。もともと少しだけ演劇をやっていたので、舞台裏には慣れていたんですけど、プロの音響さんや照明さんとオペレーションをした経験はすごく刺激的でした」

専門外の仕事で、戸惑いもあったのでは?

「『ほぼ日』で宇宙部の担当は、電気が通るものすべて。社内でもそういうチームだと認識されているので、音響に関しても、スピーカーとかミキサーの使い方を実戦でどんどん身につけていきます。エンジニアのキャリアで言うと、かなり変わっているかもしれないですね。」

日常の開発業務を属人化させない

現在 4 人体制の宇宙部では、どのように役割分担を決めているのでしょうか。佐藤さんに聞いてみました。

「毛色の変わった仕事のご紹介が続いていましたが、日常の仕事としては、糸井事務所の収益を支える『ほぼ日ストア』の EC システム開発から運用までの一連の業務がメインです」

「『ほぼ日』でWEB通販をはじめた1999年から、外部のECパッケージやベンダーを利用することなく、すべての機能を社内で一から構築しています。社内の各部門や梱包などを行う外部協力会社、そして、『ほぼ日ストア』で購入してくださるお客さまの要望を取り入れながら、日々、バージョンアップを行っています」

「その他にも、サーバー構築、ネットワーク設計・構築などのインフラ系の業務も内製で行っていますし、コンテンツで通常のページにはない仕掛けが必要なときには、社内の他のメンバーから宇宙部にも相談があります」

「それがベースにあったうえで、イベントの音響や中継といったことも4人で分担しています。ただ、少ない人数なのであえて役割を分担せずに、同じことを全員ができるように共有しています」

4人になって、チームの体制はどのように変わりましたか?

「ひとりでやったことは共有する、ペアでやったときには3人目にわかるように心がけ、GitHubのプルリクエストベースでコードを見ています。お客さまに関わるものは 2 人以上がコードレビューしてOKが出ないと、本番には入らないようにしています。急いでいるときは隣に座ってもらって作業したり、週末に急ぎで対応するときはHipChatに繋いでやり取りしたりと、単独行動はしないよう心がけていますね」

開発にはどういった言語を使われているのですか?

「『ほぼ日ストア』など、過去に開発したものはPerlが多いですが、企画ごとに分けられるものはRubyなど他の言語で開発することもあります」

多田さんは、「ほぼ日」の開発環境について、次のように語ります。

「企画を実現するために、どういう技術で達成するかを選べるのは、エンジニアの裁量が大きくていいところだなと思います。いくらでも最先端技術の可能性を探れるし、逆に、むやみに最先端を追いかけなくてもいい。わりと体にあった言語とフレームワークで開発していますね」

宇宙部のこれから向かう先

宇宙部が、これからの展望として考えていることはありますか?

「『ほぼ日』創刊時に比べると、サーバーひとつ作るのもかなり簡単になりました。新しい技術は積極的に取り入れて、仕組みのせいで待たされることをなくせたらと思います。『ほぼ日』では、プロジェクトを進める際に『動機・実行・集合』というサイクルで考えるのですが、『実行』の無駄をなくして、その分だけ自分たちの流量を増やせたらいいですね。やっぱり、取材もののコンテンツにしても、鮮度が高いうちに公開できたほうが、読者の方にもうれしいはずなので」

「現在は、『ほぼ日』にまつわる仕事が大半ですが、これから先『ほぼ日』の枠から出て、新しいお客さんに出会う企画も、少しずつですが準備が進んでいます。東京糸井重里事務所の宇宙部としては、ここにあげた範囲の仕事には限定されず、もっともっと広がっていく、と想像しています」

ちなみに取材後、オフィスのキッチンに呼んでいただき、給食のおいしいコロッケをごちそうになりました。給食は週に一度、「ほぼ日」乗組員のみんなで食べるそうです。

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Tomoyuki Sato
情報システム部, 株式会社ほぼ日
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Hideaki Tada
情報システム部, 株式会社ほぼ日
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