みんな僕のことをクリエイターって言うけど、僕はどこかで自分のことをクリエイターじゃなくて会社員なんだなって思ったり……。ひょっとするとアニメというものに命を懸けてはいないんだろうなって。
前編に続きお話を伺ったのは株式会社ディー・エル・イーに所属するFROGMANさん。『秘密結社 鷹の爪』『古墳ギャルのコフィー』『働け!吉田くん』などのヒット作を次々と生み出してきたにもかかわらず、自身のことを冷静にそう表現します。
前編▶東京下町生まれ。男だらけの7人兄弟の末っ子が、なぜ島根県松江市の観光大使にたどり着いたのか?
アニメからエンタテイメント全体を見据えて。DLEの使命は新たな体験を提供すること。
2014年には東証マザーズへの上場も果たしていますよね。クリエイターとして物作りをすることよりも、取締役として会社のビジョンを考えることの方がFROGMANさんの中で大きくなってきているのかなと思いました。今後の展望について教えてください。
「アニメ業界でトップを狙うのではなく、エンタテイメントという大きなカテゴリーで何ができるかということを考えています。アニメってすごく可能性のある分野だとは思うんですけど、一方で限界もあると思ってる。サブカルチャーから、次のステージに上がっているかのようにも見えるけれど、世界を見回したときに産業としての母数が小さいですよね。例えばサッカーやハリウッド映画と比べると、関わる人数がアニメの比じゃない。日本はアニメに力を入れてがんばろうとしているけれど、僕自身は日本型アニメは絶対にメジャーコンテンツにはなりえないと最近思うようになってきたんです。
今はSNSの時代。みんな『いいね』って言ってくれる承認欲求を満たすためにお金を投じていく。今までは家、車、家電といった耐久消費財に費やしていたお金を、周りの人間が経験していない場所に出向いたり、食べたり、着たり。それをスマホで撮って拡散する。今後10~20年は観光産業が右肩上がりになると言われていますし、そうなるとみんなが体験したことのない体験を提供するのが今後のDLEの仕事なんじゃないかなと。
そう考えるようになったのはひとつきっかけがあったんです。『鷹の爪GO』という映画を作ったときに、それまで好調だったDVDも売れなくなってきたんですよね。売れない売れない言われるなかでも売ってきたのに、思ったようにいかなくなった。自分の中での常勝軍団が初めての敗北をしたというか。そのときに「あぁ、鷹の爪でも神通力が通じないときがあるんだな」っていうのはショックでしたね。そこでちゃんと戦略を立ててものづくりをしないとだめだなと。そこから鷹の爪をどうしていくといいのかなと考えるようになりました。
そこで始めたのが城攻めです。昨年11月に『鷹の爪団のSHIROZEME』というタイトルで、うちのキャラクターをシンボルにしました。大きな丸太で門を突き破ったり、矢狭間(やさま)といって穴が空いた壁から弓を引いたり。
写真提供:DLE
他にも社長の椎木は、東京ガールズコレクションの商標権を獲得して、ファッションとキャラクターを結びつけ世界に打って出ます。アニメを作って、DVDに焼いて売ったり、配信したりしたところでたかが知れてる。今後はキャラクターの使い方も変わっていくだろうというのがうちの幹部の中での共通認識です。オリジナルIPをいかに大きくしていくかが重要だと思うし、その点に関してはかなり慎重にはなってますけどね」
※IP:Interllectual Properyの略。知的財産。
クリエイターが代替わりしても衰えぬ人気。目指すはそんなディズニーの在り方。
今はクリエイターとしてはどんなお仕事をされているんですか?
「最近はデスクでみっちりアニメ作りをするというよりも、監修、監督としてスタッフに指示を出したりすることが多いかもしれないですね」
デビュー作『菅井君と家族石』では、監督、脚本、キャラクターデザイン、声優まですべてをひとりで担当されていましたし、十代の頃から映画監督になりたいという夢を抱いていましたよね。「表現したくてたまらない!」といった欲望みたいなものはないのでしょうか?
「それがないんです。僕はDLEのいち社員として、スタッフを育てていかなきゃいけない。鷹の爪事業部でいうとスタッフは全員で20名くらいいて、アニメを作ってくれる仲間が4~5人います。NHK Eテレで放送している『鷹の爪DO』に関しては、僕がシナリオとキャラクターデザインを担当して、それ以外は周りにやってもらっています」
上場して以降、株主が最も気にしていることは『FROGMANがこけたらこの会社はどうなるんだ?』というとことだと思うんです。僕から手が離れても、鷹の爪も、会社もどんどん大きくなる状況を作らないといけない。例えば、ディズニーは何代もクリエイターが代わってきたけれど成長しつづけていますよね。目指すところはそっち。
僕はどこかで自分のことをクリエイターじゃなくて会社員なんだなって思ったり。ひょっとするとアニメというものに命を懸けてはないんだろうなって。でもそんなスタンスだからこそ、従来にない作品を作ってくることができたんだと思うし、アニメで何かを成し遂げようとしていたら10年も続かなかったかも。この妙な立ち位置がちょうどよかったのかもしれない」
そこには誰かを喜ばせたい、夢を与えたいという気持ちがあったんですか?それとも、自分のため?
「人のためにというのはあんまりないですね(笑)。なんだろうなぁ……。他のクリエイターでもそうだと思うんですけど、そんなに見ず知らずの人を喜ばせようと思って作ることってないんですよ。『あのアシスタント、これ見たらおもしろがるんじゃないか』とか身近な人を思うことが多いです。だから、イベントで知らない方から『あれ、おもしろかったですよ!(ジェスチャー付きで)た〜か〜の〜つ〜め〜』とかやられちゃうと、『こわいこわい!』って(笑)。
高倉健さんも何かのインタビューで『お母さんに褒められたくて俳優の仕事をしている』って言ってたんですけど、身近な誰かのために作ったものが結果的に世間で評価されるっていうパターンは多いんじゃないかなぁ。みんなに夢を与えるとかそんな大仰なことを考えてやってる人って多くないと思うんだよな」
ライブハウスで子どもがシャウト!ヘビメタライブで“叫活”(きょうかつ)?!
2016年はどんな1年にしたいですか?
「鷹の爪が10周年なんです。いろいろと仕込んでますよ。あ、誰も体験したことのない体験をって話をしましたけど、ライブをやりたいんですよ。子ども向けへビメタライブ。子どもたちと一緒に”叫活”(きょうかつ)をしようって」
叫活?
「ヘビメタの人ってペイントしたり、マスクかぶったり、子どもが好きそうな恰好してるじゃないですか。僕も子ども時代はKISSが好きだったし、マンガチックなヘビメタの世界っていいなって思ってて。何よりいいのは、ライブハウスならおもくそ叫んでも怒られないってこと(笑)。前にテレビで見たんですけどね、ある塾が特集されていて、そこでは生徒を極限までわーわー、ぎゃーぎゃー遊ばせるんですよ。情操教育に叫ぶ、騒ぐことってすごく大事らしくて。
今の時代って子どもが発散できる場所がないじゃないですか。学校の校庭でもぶつかると危ないから走っちゃいけない決まりがあったり、公園でもボールを蹴れない、大声出せない。そんな子供時代を過ごしたら、ちょっと心のバランスを崩すんではないかと。今、そういう症状が多いのも子供時代に発散できなかったことが原因なんじゃないかと僕は思っていて。
ライブハウスに小学校低学年くらいまでの子どもと、おもしろいヘビメタのおじさんたちを集めてひたすらロックの名曲からオリジナル曲まで叫んで歌って踊る。子供がヘトヘトになるまで騒がせるライブをやりたいんですよね。これこそまさしく体験ですよ」
仕事とは一生の同志を得るもの
最後に教えてください。FROGMANさんにとって"仕事"とは?
「”命懸けで働くことによって仲間を得ること”ですかね。もちろんお金を得ることでもあるんですけど……。僕の場合、働くことがどういうことかというのは映画やドラマの現場で学ばせてもらった感じです。
映画って作品1本作るのに下準備1ヶ月、撮影1ヶ月のトータル2ヶ月くらいしかかけられないんです。それでもいまだに当時のスタッフと連絡をとって呑みに行くし、お互いの悩みを打ち明けて家族ぐるみの付き合いができる。同じ目標に向かって突進していくときのあのテンションというのかな。同じ釜の飯を食った仲間って、ゆるく2~3年一緒に働くより、濃いんです」
DLEでも、そんな状況を経験できますか?
「ありますね、今でもやっぱり。物騒だけど、『命懸けでここを乗り切らねぇと、うちの会社やべーぞ!」ってときもありますしね。適当にやるんじゃなく、いかに突進していくか。がむしゃらとか、モーレツ社員なんて今時流行らないかもしれないですけど、本当に生きるか死ぬかのギリギリのところで一緒になって働くと間違いなく大きく成長できるし、そこで一緒に働いた仲間は一生の同志になり得るんです」
FROGMANさんにお会いするまでは、映画の現場に身を置き、Flashアニメで脚光を浴び、現在までヒット作を世に送り出してきた経歴から、人生に表現が不可欠な方なのだと思っていたけれど、実際は驚くほど自然にDLEという組織の一員としてどうあるべきかを考え、動いていました。
自分の手から作品が離れても、質が落ちることなく続いていく仕組みは今後どのように完成されていくのでしょう。境界を越え、未知の掛け合わせを生み出し、DLEはエンタテイメントの可能性を広げていきます。