地域に密着したラグビーを推進するNPO法人「ARUKAS KUMAGAYA」でキャプテンを務める竹内亜弥(たけうち あや)さんにお話を伺っています。竹内さんは、2016年夏季オリンピックで「男女7人制ラグビー」に出場した代表選手のひとり。前編では、竹内さんがどのようにラグビーに打ち込んでいったのかという経緯と、会社勤めと選手生活の両立についてお話を伺いました。
▶︎前編:会社とラグビー、キャリアと夢。女子ラグビー日本代表選手 竹内亜弥が二足のワラジから見い出した自分の道とは
後編では、そんな竹内さんが代表選手となりリオオリンピックに挑むまでのドラマ、そして今後のビジョンをお話いただきたいと思います。
代表選手への“覚悟”
チャンスを生かし、国際大会に派遣される7人制ラグビーの女子日本代表チーム、通称「サクラセブンズ」の代表選手候補となった竹内さん。しかしそこでも自分に自信を持てないまま過ごし、一年近くもの間、代表に選ばれることはありませんでした。
「他の代表候補の人は、足が速いとかタックルが強いとかなにかしらの特技があるのに、自分は地味で、細くて、自信もなくて…『候補に呼ばれたはいいけど、どうせ選ばれないだろう』と半ば諦めていました。その半年後にワールドカップの選手選抜があり、案の定選ばれなかったわけなんですが、そのときも『やっぱりね』というような気持ちで。
でもそのあと『今後の2〜3ヶ月間は代表メンバーのみで練習をおこないます』と宣告されたときは、衝撃を受けました。代表メンバーは週4で練習するのに、自分は参加できない。当然、差は開いていく一方です。『どうせ選ばれない』じゃなくて『選ばれないと本当に先がないんだな』という危機感を抱きました」
−いわゆる挫折経験というものでしょうか。
「挫折っていうのは、自信がある状態から挫けることを指すと思うんですけど、そのときは挫折というより、最初から自信がなかったんです。それに、危機感を抱いたと言ってもあまり深刻になるタイプではないんです。その期間は何かひとつでも自信の持てることを身につけてみんなと合流できるようにしようという考えで、ずっとウェイトトレーニングをしていました。世田谷のチームで同い年の子がいるんですが、その子が毎日ウェイトトレーニングに付き合ってくれたので楽しかったです」
−悲観せず、建設的な方向に向かっていけたんですね。
「達成したい目標があるとき、やるべきことを描いたらそれをやっていけば大丈夫だろうと思うし、逆にこれでだめならだめなんだなって思えるレベルのことはやりたいので、だめかもしれないという焦りはあまり抱きません」
実際、代表選手たちと合流した後の練習で、自身のウェイトトレーニングの成果に手応えを感じる機会もありました。
「練習に合流した初回のときに、今まではぶつかったときに私がよろけていたのに、思い切ってバンっと当たりに行ったら相手が倒れて。『私強くなったんだな!』と思ってその後のプレイスタイルも変わりました。そして翌年の2013年、ついに代表メンバーに呼んでもらえたんです」
−ついに代表に選ばれたんですね!徐々にラグビー選手としての活動が本格化する中で、会社勤めとの両立は困難になっていったのではありませんか?
「そうですね。代表選手としての活動が始まってからは、水曜日と金曜日に半休をいただくことになりました。会社の人は理解を示してくれたというよりも、面白がってくれたという印象です。たとえばお休みを取るというときも、『じゃあこういう制度使ったら?』という返しではなく、『いつ試合するの?見に行くよ』と言ってくれたり、ほかにもルールについてや海外の選手について聞いてきてくれたりもして、私をきっかけにラグビー自体に興味を示してくれたことが嬉しかったです」
ARUKAS KUMAGAYAでの挑戦
ついに代表選手となり、海外のチームとも対戦するようになった竹内さん。「こんなに体格差がある中でどうやって戦えば良いんだろう」と悩んだと言います。
「忘れられないのが、2014年に3週間にわたってブラジル遠征に行ったときのことです。ニュージーランドと対戦する機会があったのですが、ニュージーランドはそのときどこも倒せないというくらい圧倒的に強かったんです。しかも私と同じポジションに、サラ・ゴス選手という強い選手がいて。自分としては持久力とセットプレイ(空中プレイ)が得意なつもりだったんですが、いざ対戦してみたらボールに触ることもできずにチャンスをあっけなく渡してしまいました。
これが本当に悔しくて…それまで憧れの選手はサラ・ゴス選手って答えていましたが、その人を憧れと言っている時点で負けているし、倒したい選手って言わないとだめなんだと気づきました。海外の選手と対戦したことで、今のままじゃ練習量やラグビーにかける時間が全然足りないんだということを思い知ったんです」
もっとラグビーに打ち込みたい。そう考えていた矢先、ARUKAS KUMAGAYAを作るという話を耳にし、所属を決めました。
−ARUKAS KUMAGAYAに入ってからは、ラグビーにどっぷりですか?
「7人制ラグビーは試合自体も短いので、練習も朝に1時間、夕方に長くても2時間くらいする程度です。早朝、午前、午後と練習がありますが、トータルで一日5〜6時間でしょうか。他の時間は自分のトレーニングをしたり体のクセを直したり、みんなでごはんを食べたり、遠征があればその準備や片付けもしたり…あ、あとは毎日洗濯に追われています(笑)3〜4セットの練習着を毎日使うので」
−丸一日オフの日などは何をして過ごしているのでしょう。
「うーん、何をしているんだろう……ひとりで喫茶店行ってぼーっとしたり考え事をしたりするのが好きです。スタバで海外の試合見たり本を読んだり。書き物も好きで、新聞コラムを書くことも。あとスポーツジムのティップネスからトレーニングのサポートを受けていて、体の使い方とかを見てもらいに行ったりします。それが、けがの予防につながったりするので」
−ARUKAS KUMAGAYAではキャプテンとしての役割も果たさなくてはならないと思うのですが、それは負担ではありませんか?
「うちはリーダー陣が何人もいるので、キャプテンならではの苦労というはあんまりありません。大学生チームにも別にキャプテンがいますし、私はただいるだけなんです。考えることは、みんなの雰囲気を見てどういう言葉をかけようかということと、あとはチームの中で年齢が高い方なので、スタッフと学生の間で両者をうまくつなげられたらいいなということですね」
リオ五輪を振り返って
2016年夏季のオリンピックでは、7人制ラグビーが初めて正式種目として採用されました。初めてのオリンピックでの鮮烈な思い出を語ってもらいます。
「結果は10位だったので望んでいたものではありませんでしたが、それでも本当に幸せな時間だったと終わってみて思いました。開催地のブラジルは、オリンピック前は準備不足などが騒がれていましたが、いざ行ってみたら盛り上がりがすごくて、その中に関われたというのが本当に毎日わくわくして幸せだったんです。さらに、時間が経つにつれて、そこに向かう4年間が全部幸せだったなと思うようになりました。好きなラグビーで勝負できるということが幸せだと改めて気づいたというか…」
−オリンピックという大舞台に立つまでになって、ご家族の反応などはどうでしたか?
「母はそもそもわたしがラグビーを始めたときからすごく喜んでくれていたんですよ。母は息子ができたらラグビーをやらせたかったらしいのですが弟は興味を示さなくて。代わりということではないですが、娘がラグビーをやってくれて嬉しいと言っていました(笑)
両親はフットワークが軽いのでラグビーを口実にあちこち応援にきてくれて、リオにも来てくれました。もちろんラグビー自体も楽しんでくれていますし、私を通して楽しんでくれているということがが嬉しいです」
−代表活動が忙しくなってからは、会社を休職されていたんですよね。
「はい。会社に出社できるのも月に4〜5日まで減少していたということに加え、純粋に代表選手としての責任もそれまで以上に感じ始めて、休職に踏み切りました。なんというか、ラグビーの方がそのときしかできないことですし、年齢的にもタイムリミットのあることなので一瞬一瞬の時間がもったいないと感じ始めていたんです。
それからオリンピックが終わったタイミングで、退職を決意しました。世界を見て純粋にもっとうまくなりたいなと思ったのが理由です。本当は、オリンピックに対するプレッシャーが大きすぎたこともあって、オリンピックが終わったら会社に戻るつもりでいたんですが…(笑)自分の中で伸び代を感じた以上会社に戻るのは違うなと決断できました」
その決断を後押しするかのように、竹内さんの元に新しいお話も舞い込んできたそうです。
「具体的にはまだ言えないのですが、選手を続けながらこういうふうに働いてほしいというお話があって。東京オリンピックがある2020年に自分がどういう形でいるかわからないですが、選手を引退したあとも仕事としてラグビーに関わっていけるのであれば幸せだなと思います」
−竹内さんのお話を伺っていると、運命的なタイミングで次のチャンスが舞い込んでくることが多いように感じます。
「タイミングには本当に恵まれていると思います。こうしたいなと思ったとき自然とその道が出てくるんですよね。もしくは常に『こうしたいな』というビジョンがあるからこそチャンスに気づけるのかもしれません。そのビジョンというのも『絶対にこの道じゃないとやだ』という性質のものではなくて、『こういう社会を目指したい』という大枠さえ合っていれば良いんです」
分かれ道が現れたとき、いつも自然体で選択を重ねてきた竹内さん。その時々でいつもラグビーを続けるためにベストな道が拓けてきました。竹内さんにとってラグビーとは一体、どのような存在なのでしょうか。
「いろんなタイミングやラッキーが重なって出会えた宝物です。これまで、ラグビーで全てが良い作用に働いているなと感じてきました。
私は小さい頃に芝生の上を走りまわったりするのが大好きだったので、その頃の遊びの記憶がラグビーを好きでいさせてくれるんだと思います。そうやって『楽しみながら取り組める』ということが私の取り柄だと思うし、幸せだなって思える。なのでラグビーをやめようと思ったことは一度もありません。私からもラグビーに近づいていっていますが、ラグビーの方も私に近づいてきてくれていると感じるんです」
ラグビーと真摯に向き合い、一途に愛する姿に思わず胸を打たれた竹内さんのインタビュー。その考え方はまっすぐだけれども柔軟性があり、体はすごく鍛えているのに物腰は柔らかくて、知性と無邪気さが同居しているような不思議な魅力を持った方でした。
運命に導かれるようにラグビー選手となり、リオ五輪の舞台にまで立った竹内さん。この先にはさらにスケールの大きな舞台が待ち受けているに違いないと感じました。