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Wantedly Journal | 仕事でココロオドルってなんだろう?

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「旅がすぐそばにある暮らし」を日本に浸透させるために

シティガイド『タイムアウト東京』のトップが語る、これからの旅と仕事の話(前編)

ORIGINAL Inc.

2016/09/29

1968年、イギリス人のトニー・エリオット氏によって創刊された『タイムアウト』は、「Know more. Do more.(もっと知って、もっと行動しよう)」をスローガンに、音楽・演劇・アート・食・レジャーなど、その街で体験できるトピックを提案するシティガイド。現在、世界109都市41カ国13言語で展開されています。

今回、お話をしていただくのは2009年に『タイムアウト東京』を立ち上げた伏谷博之さん。制作・発行元のタイムアウト東京株式会社で代表取締役を務めています。

タイムアウト東京では、同名のウェブサイトをはじめ、ラグジュアリーホテル、空港、駅や観光案内所などを中心に配布されている『タイムアウト東京マガジン』、『東京でしかできない88のことマップ』をはじめとするガイドマップシリーズの制作をメインに、東京というまち、ひいては日本という国の魅力を伝える役割を担ってきました。

まずは、伏谷さんと『タイムアウト』との出会いから振り返ってもらいました。

「ことの発端は、それまでタワレコやナップスターといったグローバルな仕事をしていたので、次に何かをやるならドメスティックなサービスをやってみたいなと思っていたことでした。今ならSNSも発達しているし、何かを発信しようと思えば直接やってしまうこともできるけれど、当時は、『メディアが取り上げる』というワンステップが不可欠だと思っていたんです。それで海外に向けて発信できるメディアで、かつ『ここは信用できるよね』と認知されているブランドを探していて、タイムアウトが浮かんだんです。たまたまタワレコにいた頃にタイムアウトを紹介してくれた人がいたので、その人に連絡をしてファウンダーのトニーに東京版を作りたいと直談判しに行きました」

タイムアウト東京を立ち上げる以前は、大学在学中にアルバイトとして入社したタワーレコードで30代という若さで代表取締役に就任し、最高顧問まで務めた伏谷さん。タワーレコードを離れ、さて次は何をしようかと考えるなかで、タイムアウトとタワーレコードの共通点を見出します。それまで培ってきた経験や人との繋がりを活かすことができる。大きな一歩を踏み出した背景には、そんな確信があったのだと言います。

伏谷博之さん

「タワレコの場合は、アメリカだけを見てもロサンゼルス、ニューオーリンズ、シカゴ、NYというふうにまちが違うだけで、規模が大きな分、市場が全く異なるんですよ。だから、タワーレコードというひとつのブランドがありながらも、ビジネスの仕方はローカルなんです。ローカルのミュージックファンが求めているものを品揃えに反映するようにって。タイムアウトの場合、日本でいう『地球の歩き方』といったトラベルガイドとは違って、ローカルエキスパート、つまりは地元の目利きがおもしろいと思う情報を掲載しています。タイムアウトというブランドはあるけれど、編集方針は都市ごとに任されているんですね。そういうところはとてもよく似ているし、自分の経験が活かせると思いました。

どうして直接ファウンダーに会いに行ったのか? それもタワレコでの経験からです。タワレコにはラス(・ソロモン)さんという素敵なファウンダーがいて、彼に会うと、LAのサクラメントというまちで生まれたレコードショップが、なぜ世界に広がっていったのかということがものすごくよくわかるんですよ。『会えば納得』という存在感。ファウンダーが健在で、現役で経営をしているのであれば会いに行く以外に選択肢はないなと」

リーマンショック、東日本大震災、幕開けは波乱の連続

直談判の結果、伏谷さんはライセンスの取得に成功します。しかし、数年の間に世の中は大きく変化し、良いときも、そうでないときもその影響を直に受けることになりました。

「ウェブサイトの展開を始めたころは、麻布十番にオフィスがありました。今じゃ考えられないですけど、当時麻布十番で外国人を見かけることがほとんどなくて、外国人に向けたメディアを運営しているのに、これじゃあ感覚が掴めないなということで大使館の多い広尾に越してきたんです。クール・ジャパンという言葉もまだなく、観光庁ができてまもなかった。

それでも、お金を集めなくてはいけなかったので、資本家に『これから外国人がもっと増えますから』とプレゼンしたりしていたんですけど、リーマンショック、さらには東日本大震災が起きた影響で、六本木ヒルズにいた外国企業も見事に撤退してしまってね。ほんとうにどうしようって感じでした」

タイムアウト東京を始めるにあたり、伏谷さんがまず声をかけたというコンテンツディレクターの東谷彰子さんも当時のことを「いろんなところから強く当たられました」と続けます。

東谷彰子さん

「ウェブでお店の情報を掲載していたら、そのお店から電話がかかってきて『ただちに削除してほしい』とか、『取材を受ける必要はない』とか。ほとんどがネガティブな反応でした。ロンドンが作ったガイドブックに載っていた情報を転載していたんですけど、『よくわからないものに載せないでくれ』って」

風向きが大きく変わったのは、2013年9月。2020年の夏季オリンピック・パラリンピックの開催地が東京に決まったのをきっかけに、周りの反応がゆるやかに変わっていったそう。

「その半年前に、招致が決まっても、決まらなくても、東京が盛り上がらないことにはタイムアウトも盛り上がらないなと思って、最後の勝負としてマガジンを創刊しようと決めました。それまでは初期の段階での大きな投資は避けたかったのと、ファウンダーからも『これからはスマホの時代になるから、マガジンは出さなくていいんじゃない?』って言われていたこともあって、ウェブとマップを軸に展開していたのですが、何年か続けてみてわかったのは、東京版が出る前からタイムアウトを知っている人からすると、タイムアウト=マガジンなんですよね。マガジンというかたちをとらないと、どうしてもニセモノという感じを受けるんだと要所要所で感じました。ブランドを体現してマーケットに見せるということに挑戦しないとダメなんだと。それで2013年の9月にあの発表があって、翌月にタイムアウト東京マガジンを創刊したんです。


羽田空港、成田空港をはじめ、観光案内所、駅、書店などを中心に年4回のペースで10万部を発行している。最新号となる12号は9月末に配布開始。
2012年に創刊され好評を持しているマップシリーズ。

やっぱりオリンピックの開催が決まったことによってインバウンドとか、クール・ジャパンのマーケットは盛り上がってきていると思いますね。僕らタイムアウトの『こういう役割を担いたい』という思いと、世の中の『こういう役割を任せたい』という思いがマッチしてきているのを感じます。『絶対に外国人がきますから』と自分でプレゼンしておきながら『ほんとにそうなったよ。なっちゃったんだ!』って。劇的に変わりましたね」

デビューは、とんがっていた方がいい

地元のエキスパートによる、地元の人間のためのシティガイドとして産声をあげたタイムアウト。ところが、東京版ではウェブは日英バイリンガルに対応しているものの、マガジンでは英語版と中国版のみに絞っている。日本人による日本人のためのメディアではないのはどうしてなのか。そこには成熟したマーケットで勝ち残っていくための戦略がありました。

「『東京ウォーカー』『OZmagazine』『Hanako』……。情報誌だけでも強豪がひしめき合っている世界ですよね。わざわざそこに入っていかなくてもいいんじゃないかと思いました。仮に僕が大手出版社の社長だったら、そこに入っていくことも考えたんでしょうけど、個人レベルの小さなベンチャーとしてスタートした身だから、競っても意味がないし、まずはこの媒体を必要としている人たちがいる場所にちゃんと届ける作業をしようと思ったんです。

僕がイメージしているのはできるビジネスマンやビジネスウーマンが山手線でうちのマガジン(もしくはタイムアウト東京マガジン)を小脇に抱えて、オフィスに出勤して、その人のデスクには英語版が置いてあるという絵。それを見た中間管理職のおじさんが『みんなアレを持ってるけど、なんなんだろう?英語だからわからないな』と。そんな人のために有料で日本語版も売ってますよって、目指すはそんな感じです(笑)。


ブランドってデビューしたときはとんがっていた方がいいんですよ。『コレ、なんだろう?』というインパクトがないと、世の中に新しいものとして認知されていかないから。たとえ、10人中9人が『気持ち悪い』と思ったとしても、たった1人が『最高!』って言ってやっていると、同じように『最高』って思ってくれた人たちが集まってきて広がっていくものです。強烈なサポーターが生まれるわけです。そういう意味で、最初から日本語版を作るのではなく、英語版のみでいくというカッティングエッジな方針で、巨大な市場に入っていくことを考えた方がいいと思ったんです」

ローカルを知ることが、世界と自分をつなげてくれる

いよいよ開催まで4年を切った東京オリンピックに向けて、今後はさらに外国人観光客が増え、タイムアウトにとって大きな流れがくるのは目に見えていること。まだ先の話ではあるけれど、オリンピックが終わった後についてはどのようなビジョンを描いているのでしょうか。

「ビジネスの世界でも経営者育成のために英語で事業を行ったり、若い人も語学研修をという時代になりましたが、世界で通用する人間になるにはビジネススクールで学んだりするだけではなく、普段からいろんな経験をすることが必要だと、海外に行くたびに思うんですよ。『今、東京ってどうなっているの? 何が流行っているの? それって日本の伝統文化とどういうつながりがあるの?』。そういうことを聞かれた時に、シンプルな英語でいいから、おもしろおかしく伝えられることが大事だなと。僕が最終的にやりたいのは、タイムアウト東京を読むことで自然とそういった情報が身に付く流れを作ることなんです。

もうひとつは、日本だとまだまだ国内の移動にお金がかかるので実感がないかもしれませんが、海外、とくにアジアやEU圏内では数千円で国をまたいでいろんなところに行けるわけじゃないですか。二子玉川に住んで、週末に渋谷でショッピングをしていたのが、『じゃあ来週はシンガポールでショッピングね』という時代がこないとも限らない。そういうライフスタイルが浸透していくためのガイドになれたらいいなって。

すでにタイムアウトのグローバルのアプリがあるんです。

例えば、今バルセロナにいて、バルセロナ版を見ているとする。そこで、『Change City』をクリックし『Tokyo』を選ぶと、同じフォーマットで東京の情報に切り替わるんですよ。今は共通語が英語になっているけれど、うちの会社が大きくなって日本語に訳すことができたらそれはそれでおもしろくなる。2020年よりさらに先の話になってしまうかもしれないけれど、それが最終目標です」

世界に向けつつ、一方でより日本人に向けて動いていくというわけですね。

「そうそう。ノマドで移動するのもいいけど、ローカルに軸足を置いていろんなところに出て行くのが大事だと思うんですよね」


「世界中にタイムアウトに関わる仲間がいるんです」と楽しそうに話してくれた伏谷さん。世界を追う広い視点とローカルへのまなざしの両方を大切に、まちを歩き、旅をしていくなかで、現在と未来、東京と世界をどう切り取って見せてくれるのでしょう。後編では現在の伏谷さんを形成するルーツにまつわる話や、仕事観についてお話をしていただきます。

Interviewee Profiles

伏谷博之
タイムアウト東京株式会社代表取締役社長
1966年島根県生まれ。大学在学中の1990年にアルバイトとしてタワーレコードに入社。2005年タワーレコード代表取締役社長就任し、日本初の音楽サブスクリプションサービス「ナップスタージャパン」を開設。タワーレコード最高顧問を経て、2009年タイムアウト東京株式会社設立。
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  • Written by

    梶山ひろみ

  • Photo by

    岩本良介

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