今回は「攻殻機動隊」シリーズ、「ハイキュー!!」など数々のアニメを手掛けてきた制作会社「Production I.G」で取締役企画室担当、そして企画室室長を兼任する森下勝司さんにロングイングタビューを敢行しました。後編では企画室という立場から、アニメーション業界にどういったイノベーションを起こそうとしているのかをうかがいました。
▶前編:アニメビジネスを成功させる「Production I.G」の企画力 企画室室長・森下勝司さんが目指すリアルと二次元の融合
森下さんはアニメーション制作会社である「Production I.G」でアニメ関連商品のグッズ展開、海外での放映ライセンスなどの獲得、原作をもとにした朗読劇『シアトリカル・ライブ』の開催など多種多彩な仕掛けをしていく企画室で室長を務めています。前編ではその業務について語りつくしてくれましたが、自らの業務とともに自らを取り巻く業界の現状、そして未来についても考えていると言います。
上に立つことで気づく視野の広がり
「これは部下にもよく言っている話なのですが、弊社も企業なので、一般の会社と同じピラミッド型の組織構造になっているんですよね。そのピラミッド下にいるときは足元、つまり自分が今こなすべき業務しかなかなか見えてこないのですが、徐々に上に上がっていくことで全体的な視野が広がっていくんです。私も『イノセンス』を制作していた平社員の時と比べると、今はグループ会社の社長もやらせてもらっているので見えるものが違ってきています」
現在の森下さんが口にした「グループ会社の社長」とは、『SIGNAL.MD』という一昨年設立したIGグループの新会社です。この会社ではアニメ制作のデジタル化を推進していて、PCやタブレットなどで作画作業に取り組める環境づくりに邁進しているそうです。会社設立の理由を以下のように話します。
「アニメ業界っていまだに大半が紙や鉛筆で制作しているんですよ。あまり信じてもらえないかと思いますが、紙に一枚一枚書いているんです。人口減少社会の中で効率化を計っていくのはどの業界にも共通することです。昔は100人で制作していたところ、機械を導入ですることで10人ほどでも回せるケースが出てきました。それは悪いことではなくて、そうやって効率化を計らないと立ち行かなくなると思うのです。作画のデジタル化を推進することでアニメーションの従来の作り方を変えて、より少ない人数でより良いものを作れるようにしたいと思っています」
ピラミッドの上部に立つことで視野が広がる、とは森下さんの言葉ですが、グループ会社の社長を務めることでさらに鳥瞰的な視線を持つようになったそうです。
「企画室長として、企画をどう進めるか、部下をどうしていくかというところを考えていくようになりました。それと同じく『SIGNAL.MD』の社長になってみて感じるのは、会社、そしてアニメーション業界全体の今後をどうするかという目線に立つようになったんですね。私の目標も1つ1つ達成させまた次に新しい段階になると別の目標ができる。それが常に続いている状況です」
固定概念を変え、働きやすさを追求する
「以前のステータスで思いつかなかったことがより考えられるようになった」という森下さん。長年身を置く業界のどのようにとらえているのでしょうか?
「いい面で言えば、アニメ業界って世界に通用するコンテンツで、ビジネス的にもカルチャー的にも日本をけん引していると位置付けられています。一方では悪い面で言うとキツイ、厳しい、安月給という“ブラック業界”のイメージもいまだに付きまとっています。取り上げ方によっては両極端な、表裏一体の業界に見えるのではないでしょうか。日本の人口自体が減少している中で、アニメ業界に入りたいって人も減ってくるのではないかと危惧する部分はあります」
「環境とか作り方を含めて、今までの通りやればいいんだという“固定観念”があるのも確かです。もちろん昔ながらの伝統で大事な考え方もあるのですが、時代が変わって求められるコンテンツが変わってきたり、何よりも働く世代の考え方が変わってきている。以前の考え方などを押し付けると業界自体が成り立たなくなってしまうおそれがある。そういったところを私ができる範囲でいい方向に改善しようとしています」
その環境改善を推し進めるために『Production I.G』では様々なアプローチでクリエイターの働きやすい空間を設けています。制作オフィスを訪れてみると一目瞭然ですが、エントランスは吹き抜けになっていて、様々なアニメ関連グッズが並ぶ中での打ち合わせスペースも多く設けられているなど、スッキリとしたスペースづくりがなされています。
「いまだに狭くいところでやっている会社さんが多いですが、アニメーターの方がそういった環境で長時間仕事をするとなると、非常に肉体的にも精神的にも負担がかかってきます。それを踏まえれば職場環境がきれいな方が絶対にいいと思い、その辺りの整備もI.Gでは留意しています。」
Production I.Gがつくるクリエイター支援制度
また、クリエイター支援制度を設けているのも同社の大きな特徴です。
「アニメーターはフリーランスの方が多いのですが、その中でも弊社は収入の一部を積み立てて、一部還元できるような仕組みを作っているんです。社員で言えばボーナスの積立金のようなものなのですけど、例えば大ヒットしたアニメの成功報酬を積み立てたりして、弊社中心で仕事を受け持ってくれる人には契約金という形で支払うようにしているんです」
アニメーターはフリーランスで働く方が多く、その中には駆け出しの若手、そして長年キャリアを築いた人の中では家庭を持たれていたり、人それぞれ環境は大きく違います。その中で収入が不安定になりがちなフリーランス特有の不安を少しでも解消する対策にもなると森下さんは説明します。
「そうやって還元できる仕組みを作っておくと、1枚書いて単価いくら、という中で働く若手の方もそこにプラスアルファがあることで生活を守る手助けになり『じゃあIGで仕事しようかな』と思ってくれますよね。またご家庭を持っていたり、子育てなどで忙しい中で日々書いているアニメーターさんも、多忙な中で体調不良で休まざるを得ない状況になったりします。そこで無収入になってしまうと『生活できない』と、この業界を去られる方が多く、『本当に才能あるのに残念』ということが往々にしてあったんです。多少なりともそういった制度や仕組みがあると、体調不良で休んだ期間も収入があるから、生活が保障される面もあります。」
業界を盛り上げることで変化してきた、自分のモチベーション
I.Gははアニメーターに対してのセーフティーネットを構築するなど、アニメ業界全体の職場環境改善にいそしんでいるわけですが、そんな中森下さんはもともとは制作側のプロデューサーとして携わっていました。その部分に違和感はないのでしょうか。
「もちろん若いころは、クレジットが載ることこそ最大のモチベーションでしたけどね」と冗談めかしながらも、こう続けます。
「キルビルにクレジットが載った時など嬉しかったですし、名前が載るというのは責任がずっと残るということでもあるので。変なものを作ってしまえば、子供や孫の世代まで残ってしまう。いいものを作っていこうというモチベーションを生むものがクレジットにはあると思います。ただ、今は私自身そこにモチベーションを感じるというよりも、むしろ部下やこれからこの業界を支える若い人たちがモチベーションを上げてやってくれればいいなと思って、日々の業務に携わっているんです」
企画のプロとして大切なこと
アニメをいかにヒットさせるか。そしてアニメ業界全体をどのようにして改革していくのか。それを実践し続けている姿勢はまさにプロフェッショナルと言えます。そんな企画のプロとして一番必要とされるものは何なのでしょうか?
「企画室においては、人とコミュニケーションを取れないと……というのは大前提ですかね。クリエイターなら腕があれば描くもので人を唸らせればいいんですが(笑)。自分の企画力をアピールすること自体も重要だと思うんですけど、話をうまく聞けて、自分のイメージを言うべき時に言う、的確な返しができる人の方が、この業界で伸びるという感覚はありますね」
聞き上手な人がいい企画を出せる。それは現場で奮闘する“職人気質”のアニメーターとの関係性構築にも大切な部分だとも言います。
「自分の意見を言うことが上手い人はいますが、アニメーターの人はクリエイターなので、人間観察力がすごくて、ごまかしがきかないんですよね。これは一つの例なんですが、アニメーターの多くは初対面で5分くらいしか会ってない人でも、顔を見ずに一瞬でその人の特徴を捉えた似顔絵を描けるんです。また、その人の話していたことを明確に覚えているんです。だからこそウソはつけないです(笑)。しっかりと意見を聞いたうえで、真摯に向き合って意見を言わないといけませんから」
生きた証を残したい
様々な人々と良好な人間関係を構築して意見を引き出しつつ、自らのアイデアを実現化している森下さんに、ラストの質問として「仕事とはどういった存在ですか?」と聞いてみました。
「生き甲斐の一つですよね。私自身、家庭もありますし、生きていくためにはサラリーをもらうというのはあります。ただ少なくともエンターテイメント業界を選んで仕事をしていることで言うと、『自分が生きた証』を残せること。これがこの仕事の一番いい所だと思っているんですよ」
森下さんはプロデューサーとして数々の名作を生み続けた現場での奮闘を経て、アニメーション業界全体をさらに良い仕事場として“創作”していく――。企画・経営に邁進しつつも、社会貢献を果たす。両輪が上手く回っているからこそ、仕事に対する意欲を非常に強く感じました。