【衝撃】偏差値65を捨てて高卒になった本当の理由
はじめにお伝えしておきますがこの話は少し長いです(2分程度)。予めご了承ください。 私がそこそこの学力があったにも関わらず、大学進学をやめて高卒で社会に出ることを決意した理由をお話しします。 結論から申し上げますと「高卒が可哀想」というイメージを払拭したいからです。「高卒でも優秀、学歴なんか関係ない」ということではありません。 「学歴コンプレックス」という言葉がありますが、これは自分の学歴を悲観的に思うことを指します。実際感じている人は少ないかもしれませんが、いるのは事実です。私の身近にもいました。しかし、私は彼が「人」として大学進学した人より劣っているとは思えません。いわゆる、中心人物の一人で、周囲の人を引っ張っていく才覚がありました。 「こんなに素晴らしい人なのにどうして自信が持てないのだろう」 答えは周りからの視線でした。彼に対しての「可哀想」という視線が彼の自信を奪ったのです。 私はこれまでに無いくらい苛立ちました。 「肩書きが変わったら急に哀れに見えるのか。少なくともポテンシャルはなんら変わっていないのに。」 そこから「高卒のイメージを変えてやる!」という思いが湧き上がってきました。 では具体的にどうするか。まず、本人が高卒でないと言葉に説得力はでないと思い大学進学をやめました。しかし、ただ進学を辞めただけでは何も変わらないと思い、「高卒は勉強が得意ではない」というイメージを避けるため、学年で1位を取りました。私を馬鹿にする人もいませんでしたし、勉強を教えてほしいと頼みにきてくれる人もいました。 同級生の高卒へのイメージは変えられたと思います。さて、次のターゲットは先生です。 進学校でしたので当たり前ではありますが、先生方の進学に対する思いにはとても強いものを感じました。しかし、私もそれ以上に強い意思があるので決して引きません。3年生担当の先生方の前でプレゼンをして説得し、了承を得ました。 改めて私がなぜここまでするのか。それは「人」を見られる社会にしたいからです。もちろん初めて出会う人の人柄や才能を見抜くのは難しいと思います。だから採用時に学歴を参考にして判断するというのも残念ではありますが、私も妥当だと思います。 しかし、そのイメージを引きずって、いつまでも「可哀想な人」という目でみてほしくない。そう見られると本当に自己肯定感が薄れていくから。高卒だろうと大卒だろうと全ての人が自信を持って新しいことにどんどんチャレンジしていける環境を作りたい。そのために私自身が高卒で成り上がっていき、その姿を見てもらい自信を与えたい。 これが私が高卒を選んだ理由です😁 もし少しでも共感していただければ幸いです。ここまで長い話をお読みいただきありがとうございました。