ライブイベントを行いお客様500名を動員
私は高校2年生の頃からラッパーとして音楽活動を行っておりました。活動はソロとして、そしてグループとしてそれぞれ行なっており、ソロの時は作曲・作詞・録音・編曲・配信・MV製作・宣伝・ライブを一人で行なっておりました。またグループではリーダーを務め、上記の活動をメンバーに指示出ししながら活動していました。さらに自らライブイベントを行ったときは、SNSやステッカー配布や楽曲制作を通して500名の動員を達成しました。
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慶應義塾大学経済学部を2021年3月に卒業し、現在求職活動中です。 大学では演劇サークルに所属し、自ら脚本を書き演出をして演劇公演を上演していました。 またサークルの代表として他団体との渉外に尽力し、年に7本もの演劇公演を成功させ、累計300名を超えるお客様を動員しました。
私は高校2年生の頃からラッパーとして音楽活動を行っておりました。活動はソロとして、そしてグループとしてそれぞれ行なっており、ソロの時は作曲・作詞・録音・編曲・配信・MV製作・宣伝・ライブを一人で行なっておりました。またグループではリーダーを務め、上記の活動をメンバーに指示出ししながら活動していました。さらに自らライブイベントを行ったときは、SNSやステッカー配布や楽曲制作を通して500名の動員を達成しました。
大学3年生の3月に自ら責任者を務め演劇の公演を上演した。3ヶ月の準備期間を設け、60人の仲間達と50万円の予算で公演を作った。私は企画責任・脚本演出・主演として60人の中心に立ち、舞台美術・音響・照明・衣装小道具・宣伝美術・制作・舞台監督部・稽古場の8個のセクションに人員を配置しその全ての創作物に関して最終決定を下した。当時私は毎日全セクションの人間と連絡を取り合いながら、それと並行して1ヶ月半で約200時間の稽古を行った。その公演において私は満員御礼という最終目標を掲げつつ、参加者の満足度を高いものにしたかった。しかしこの全てを達成することは容易ではなかった。例えばセクションによっては後輩が先輩よりも上の立場になり創作を舵取りするため、そこで小さい衝突が重なるにつれ、1人1人が高いモチベーションを保ったまま同じ目標に向かって進むことは困難を極めた。そこで私は自分がまだ2年生であり、かつ日吉代表と当公演の責任者を兼任していることから、全ての仲間を繋げられるのは自分しかいないと感じた。そして私はとにかく全てのセクションに顔を出し、全員の一挙手一投足に気を配りながら対話を続けた。私は自分が面白いと思う表現を妥協せず伝え、参加者全員と意見を交換した。すると各セクションのリーダー達の舵取りがスムーズになり集客力の向上に繋がった。そして本番4日間5ステージを満員御礼で終えることができた。
ファッションや音楽や映画/舞台など、人々の笑顔の糧となる業界には、 才能もあってファンもいるが世間一般にはまだまだ知られていないアーティストが沢山います。 そんな全国のアーティストを誰にでも知ってもらえるようなメディア、 ゆくゆくはプラットホームを作ってみたいと考えています。
経済学
大学2年時に、所属する演劇サークルで定期練習会を立ち上げた。当時私は自分のサークルが作っている演劇をあまり面白いものだと感じることができず、何か策を講じたかった。それまでサークルは年数回の公演の度に創作活動をするだけであり、私はそれだけでは恒常的に役者や演出や裏方の技術を磨くことはできないと考えた。そこで私は誰でも参加できる定期練習会の必要性を感じた。また自分が日吉代表という立場にいて、これまで役者や演出助手や裏方チーフの経験を持っていることから、私こそが発起人になるべきだと考えた。私は練習会において、役者の練習だけでなく演出の体験や裏方のワークショップも開催し、それらを誰でも参加できるようにした。その結果、稽古場と裏方の相互理解が深まり、以前よりも全員で面白さを追求できる団体になった。サークルの100年を超える歴史の中で練習会が催されたのは初めてのことであり、これは現在も続いている。
アルバイトとして主にキッチンとホールの両方の業務を担当していた。外国人留学生と社員のコミュニケーションの仲介にも尽力した。
私は高校2年生の頃からラッパーとして音楽活動を行っておりました。活動はソロとして、そしてグループとしてそれぞれ行なっており、ソロの時は作曲・作詞・録音・編曲・配信・MV製作・宣伝・ライブを一人で行なっておりました。またグループではリーダーを務め、上記の活動をメンバーに指示出ししながら活動していました。さらに自らライブイベントを行ったときは、SNSやステッカー配布や楽曲制作を通して500名の動員を達成しました。