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株式会社Kohto / 2店舗統括店長 / 現場運営責任者
私はじめまして、小峰勇太と申します。現在、法人営業への転職を目指して活動中です。 長野出身で上京し武蔵大学へ進学。新卒で大阪の葬儀会社に入社し、遺族に寄り添う葬儀プランナーとして人の感情に向き合う仕事を経験しました。その後、「人が集まる場所で、生きた組織を自分の手で作りたい」という思いから飲食業界へ転身。豊洲の商業施設で飲食店の立ち上げに参画リーダーとして加わり、10人・1店舗からスタートし、1年後には
「人との出会いを大切に、受けた恩はその倍以上にして返す」という言葉を座右の銘に生きてきました。振り返ると、葬儀の現場でも、飲食店の立ち上げでも、カナダの極寒の夜道でも、自分を動かしてきたのはいつも「人との縁」でした。
大学時代は、2度の想定外の出来事をきっかけに行動力を鍛えた4年間でした。 入学直後に膝の前十字靭帯を断裂し、入学2日目から松葉杖生活がスタートしました。気持ちが折れそうになりましたが、「この時間から何を得るか」と考え直し、これまで接点のなかった人たちと交流するなど、新しい経験
農業~製造加工~販促営業1つの製品が出来る工程を一気通貫で学びながら働きました。 白菜の種苗を植えるところから始まり、自社で作った野菜を使用して製品加工を行い。 出荷や町のマルシェなどに出向き販促営業を行ってきました。
中学から始めた柔道の実績が認められ、特待生として高校に入学しました。 私の代の部員は、中学時代に県大会を優勝した者が一人もいないチームでした。全員がどこかで「あと一歩」で負けてきた悔しさを持ち寄り、それでも県大会優勝を目標に掲げて練習に臨みました。7泊8日の遠征や年越し合宿など、思い出すだけでも体が重くなるような日々の積み重ねの末、高校2年の
中学時代の一番の出来事は、柔道との出会いです。 きっかけは偶然の連続でした。小学生の頃、交通事故で首を痛めて通い始めた接骨院。その医院長が、地元中学の柔道部外部コーチでした。実は小学生のときにも一度スカウトされていたのですが、当時は別のスポーツをしていたため断っていました。
小学4年生の時、母を病気で亡くしました。それが、私の人生で最初の大きな転機です。 それまでは何ら普通と変わらない小学校生活を送っていました。しかし母を亡くしたことで、まだ10歳だった私は「人生は当たり前に続くものではない」という現実を早くに知ることになりました。