Ayano Ookubo
Philippine Partnership Project
大学時代はバイトとこのプロジェクトに時間と労力の殆どを費やしていた。フィリピンのある村と10年間という契約を結ぶことで村の活性化を手伝っていたこのプロジェクト。自分が8代目のプロジェクトリーダーとして先輩から引き継いだ時には、このプロジェクトは既に形式化していて、もう何年も終わらせるべきプロジェクトと言われていた。 そんなプロジェクトを自分の代でしめた経験は今でも悔しく、苦しかった経験となって心に残っている。日本やフィリピンの方々に頭を下げて、拙い英語は使い物にならない中OBOGや顧問、後輩やサークルの同期声を聞きながら必死にプロジェクトと向き合った日々は今の自分を形作っている。 歳を重ねるごとにこの当時自分がすべきだった他の行動がこれでもかという程浮かぶ。