誰がどれだけ当事者意識を持ってリスクを取るか
のどかな田園風景が広がる山形県庄内地方。ここに、慶應義塾大学の研究所や、Spiberなどの世界的に注目を集めるバイオベンチャーが集まる巨大な「サイエンスパーク」がある。
広大な敷地は今、建設ラッシュだ。
今年の秋、宿泊滞在施設の「SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE」と子ども向け施設「KIDS DOME SORAI」がオープンする。
建設中の「SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE」
これだけを並べると、従来型の「ハコモノ」による「街づくり」をイメージしがちだ。
しかし、ここ庄内には、従来型の「街づくり」とは一線を画す“本物の地方創生”が芽生え始めている。その中心的な存在が、ヤマガタデザインの山中大介氏だ。
山中氏によると、うまくいかない地方創生の理由は「成功事例をそのまま持ち込む」「地域の個性が出ない横並び施策」「補助金に頼り切って赤字」など。しかし、これらの根底にあるのが「リスクを取る当事者の不在」だという。
多くの場合、地方創生の主体となるのは、行政やNPO、第三セクター、一定期間の委託でやってくる優秀人材、外部のコンサルタントではないだろうか。
担当する、もしくは委託された期間だけ、中央の資本を頼りにした人が主体になる場合、それは本当にリスクを取っているとは言えない。
期間が終われば東京などに戻る可能性が高く、仮に取り組みがうまくいったとしても、引き継ぐ人がいなければそれは一時的なものになってしまう。
山中氏によると、地方創生に必要なのは、ずっとそこに住み続ける地域の人たちの当事者意識と覚悟。
地域主導で自分たちのための街づくりをやり続けなければ、50年100年先の子どもたちに、地域を残せないかもしれないのだ。
こうしたなか、山形県庄内地方には、100%民間出資かつ民間主導で街づくりを推し進めるベンチャー企業がある。それが、ヤマガタデザインだ。
2014年に資本金10万円で創業し、3年間で地域の企業や金融機関から約23億円もの「出資」を集めた。
彼らは上場を目指していないため、これは地域の未来を考えた長期的目線による純粋な投資であり応援と言える。
一時的な取り組みでも二足のわらじでもない
なぜ同社は地域から応援されているのか。その理由を、代表の山中氏はこう語る。
「今約50人いる社員の半分は地元の人ですが、もう半分は東京出身の僕を含めてUIJターン。全員が住民票を山形県鶴岡市に移し、『当事者になるリスク』を負いました。
世の中は副業を推進する動きがありますが、僕らは『庄内地方に人生を賭ける』といった真逆の考えです。
だから、一時的な取り組みでも二足のわらじでもなく、地域住民になった僕らが提供者であり一番の受益者。住民として欲しいものを形にしているから、地域からの共感と応援を得られるのだと思います」
視察に来る人は、しばしば山中氏に「どうやって地域住民を動かしているのか」と問う。答えは簡単で、山中氏自身が地域住民だからだ。
やることすべてが自分たちの生活に関わるから本気で考えて取り組むし、その結果が地域の人にも還元される。当事者意識の連鎖が応援につながる。
「街づくりは、自分事にできるかどうかが勝負。中央資本に頼るのではなく、地方都市が主体にならないと生き残れないと思うんですね。
僕が2014年に東京から移住してきた当初、庄内でもみんなが『行政や大企業がどうにかしてくれる』と受け身な考えを持っていました。
人口が減っていく地方都市に、まともな大企業は投資しようと思わない。だからこそ、自分たちがリスクを取って必要だと思うことをやり続け、応援してくれる地域の方や地元企業を増やそうと考えました。
それに、当事者意識を持った仲間を増やしていけば、人口は減っても交流人口は増やせると思うんです。鶴岡市の人口は約13万人なので、1人が年間3人を外から連れてきたら、交流人口は約40万人になる。地域全体が当事者意識を持つことが大切ですね」
移住して知った現状により、想定外の起業へ
そもそもなぜヤマガタデザインは誕生したのか。その背景を振り返る。
山中氏の前職は三井不動産。郊外型ショッピングモールの開発に携わり、日本全国を飛び回っていた。
仕事は充実していたが、「この先もショッピングモールを作り続けるのか、東京に住み続けるのか」と、これからの生き方を考えるようになり、自分の価値をより発揮できる場所を探そうと退職を決意。
そのころ知人から「鶴岡市のサイエンスパークに若者が集まっていて面白い」と聞き、庄内地方を初めて訪れた。それがきっかけとなり、サイエンスパークで生まれたバイオベンチャー Spiberへの転職と移住を決めたという。
サイエンスパークとは、今から16年前に鶴岡市の前々市長が立ち上げたプロジェクトだ。「鶴岡の未来のために基礎研究に投資をし、長期的な目線で新たな産業を生み出す」ことを目指して21ヘクタールの土地開発が始まった。
ここには、慶應SFCの研究所や、そこから続々と生まれたSpiberなどのバイオベンチャーが、生命科学の領域で世界中から注目を集めている。
しかし、サイエンスパークの開発と運営には、大きな課題が存在していた。
鶴岡市は年間数億円の予算を投資し、16年間支援を続けてきたのだが、山中氏が移住した2014年当時、21ヘクタールのうち、3分の2にあたる14ヘクタールが未着手のままだったのだ。
「当時、産業を拡大したい、新しいベンチャーを生みたい、新しい街づくりをしたいという議論は活発でした。しかしこれ以上、行政単体での支援が困難で、開発に手を出せない状態になっていました。
農地は購入から開発できるようになるまで2~3年かかるので、誰かがリスクを取る判断をしないと、該当地の地権者にも影響が出てしまう。そんな状態でした」
不動産業界出身の山中氏は何度も話し合いの場に呼ばれ、アドバイスを求められた。そのうち、「山中氏がどうにかしてくれるのではないか」という周囲の期待が高まっていくのを感じ始めたという。
そして、資本金10万円でヤマガタデザインを設立。14ヘクタールの土地を購入し、開発することを決めた。庄内に移住してから、わずか3カ月後のことだった。
「もともとSpiberに入社するために移住したのですが(笑)、あれよあれよと会社を設立することになりました。期待されると、それに応えたくなって。
地権者への説明会では市の人も同席してくれたおかげで話を聞いてもらうことができ、そこから土地を買うための資金集めに奔走しました」
3年間で民間企業から受けた投資は23億円
山中氏は鶴岡市に縁もゆかりもない。12歳までヨーロッパで育ち、帰国後は東京に住んでいたため、鶴岡市に知り合いはいなかった。そこで、前職のつてを頼りながら投資家探しに走り回った。
しかし、人口減少が続く地域で設立したてのベンチャー、それも上場しないと言っている会社に投資する企業は見つからず、何十社と断られ続けた。風向きが変わったのは、山形銀行からの出資が決まってからだった。
「山形銀行は、サイエンスパーク内のベンチャー企業でもお世話になっていたので面識はありました。出資を求めると、直接頭取や経営陣にプレゼンをする機会がもらえました。
すると、成長戦略室という地域のための投資やサポートをする部門が共感してくれて、初めての出資が決まったんです。山形銀行が出資するなら大丈夫だろうと、そこから一気に地元の企業や金融機関、工事事業者から出資をいただけるようになりました」
結果、数億円単位の出資が集まり、設立から1年後には14ヘクタールの土地購入も実現。16年間動かなかった開発が、たった1年で動き始めた。
出資額は更に増え、現在は、40社の民間企業が約23億円を出資している。
なぜ、40社の民間組織は、短期的なイグジットは見込めないヤマガタデザインに対して、融資ではなく出資する選択をしたのだろうか。この背景には、1つ大きな理由があった。
「融資なら期限までに返す必要がありますが、出資は将来に期待した資金の提供です。これは、僕が住宅ローンを組んで一軒家を構えたことが大きかったと思いますね(笑)。
いくら住民票を移しても、マンションやアパートを借りて住んでいたら、いついなくなるかわからない。だけど、田園風景が広がる場所に家を持って家族と住んだから、『この人は本気だ』と思ってもらえた。
町内会にも参加し、地域の方と何度も酒を酌み交わし、少しずつ信頼を得ていくなかで、一緒にやっていこうと思ってもらえたのだと思います」
外貨を稼ぎ、地域に活力を与えるための戦略
ヤマガタデザインは、現在複数のプロジェクトを同時に進めている。なかでも2018年夏以降にオープン予定なのが、宿泊滞在施設の「SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE」と子ども向け施設「KIDS DOME SORAI」だ。
この2つが担う役割は、外との結節点となり「外貨」を稼ぐことと、サイエンスパークが地域になくてはならない存在になること。
「SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE」(完成予想図)
「16年前、ここでは地元の人たちがプラカードを持って工事関係者に『出ていけ』と抗議していた歴史があります。だから、ホテルを作って外との結節点になるのはもちろん、地域とサイエンスパークが仲良くなることが一番のテーマ。
大人向け施設と子ども向け施設を作っているのも、そうした理由からです」
計画を作った当初は、「庄内空港は1日4便しかなく、新幹線も通っておらず、高速道路もない。そんな場所にホテルを作ってどれだけ稼働するのか」と反論は多かったそうだ。
しかし、山中氏にとってどれだけ稼働するかは問題ではない。
鶴岡駅前にあるホテルの稼働率は意外にも高く、出張者やサイエンスパークを視察に来る人たちの宿泊場所が取れないという課題はある。
しかしそれよりも「外貨」を獲得するための仕組みを今作らなければ、庄内地域が生き抜けないことを力説し、共感を得ていったという。
「一般的にビジネスホテルは延べ床に対して約7割が部屋ですが、ここは4割程度。客室自体も広いのですが、それ以上に共有部を広くしました。温泉や、テラス席が広がるレストランも併設しています。地域の人と訪れた人、もしくは訪れた人同士がコミュニケーションを取れるような造りにしました。
加えて、都内のベンチャー企業や学生などが1泊4000円で泊まれる研修合宿プランも設定。これはすでに都内の企業と話を進めています」
オープンテラスのレストラン(完成予想図)
そして、子ども向け施設「KIDS DOME SORAI」は子どもの本能と創造性を爆発させる巨大な遊び場だ。全2000平方メートルの2階建てで、2階は遊びの空間、1階はモノ作りのラボだという。
探究活動や創作活動のための材料、たとえば絵の具をつくる顔料などさまざまなものを用意し、子どもはすべて使い放題。ゆくゆくは、この場所で伝統工芸やサイエンスパークの研究者とのコラボレーション、グローバルコミュニケーションなどを予定している。
「KIDS DOME SORAI」(完成予想図)
地域の投資で地域の人が、地域の未来をつくる
自らが地域住民になり、ベンチャー企業のスピード感で地域を動かしているヤマガタデザイン。地域課題は無限にあるから、必要なことはすべてやると語る山中氏は、今後は農業にも参入するという。
「庄内地域は雪国なので、冬になると野菜がなくなります。豊かな地域に住んでいるけれど、冬になるとスーパーに並ぶのは他県の野菜。
それなら、施設投資をして庄内で冬も野菜を食べられる環境をつくろうと思いました。今年はハウス12棟で150トンを作り、3年後にはハウスを100棟に増やします」
ヤマガタデザインは、自らプレーヤーとしてハウス栽培をゼロから経験することで一次産業の課題を洗い出し、農家に仕組みとして還元したいのだ。
「人は必死にやればできないことはありません。もちろん、これまで資金繰りが厳しくなったり、地権者さんに理解を得られなかったり、何度も潰れそうになったりと、大変なことはたくさんありました。
でも、この地に住み、住宅ローンも抱えているわけですから(笑)、やるしかない。だから、やり続けてきました。この積み重ねが地域の人たちの信頼を生み、大変な局面ではいつも誰かが助けてくれました。
たぶん、日本で一番応援されている街づくり会社なんじゃないかと思います」
4年前、誰も手を出せなかった14ヘクタールの土地を形にするために起業し、わずか1年で地域から資金を集めて購入した土地は、今秋庄内地域に新たな価値を生む施設になって生まれ変わる。
地域の投資で地域の人たちが、「必要なことは全部やる」街づくり。人口減少で地方の衰退が待ったなしの日本で、生き残るためのヒントではないだろうか。
(取材・文:田村朋美、写真:岡村大輔、デザイン:星野美緒)
NEWS PICKSの記事を転載しました。