“好き”と“くやしさ”が原動力。まだ見ぬ景色と自分に、YADOKARIで出会いたい。|西山 るか|コミュニティオペレーションユニット・リーダー
スコップ片手にホテル開業から、アカデミアの世界へ。
私は、いつも「王道じゃない道」を選びがち。振り返ると、ちょっと脱線した人生を歩んできたように思います。
昔から旅行が好きで、学生時代は特に海外に惹かれていました。でも、就職活動のときにふと「自分、日本のことを全然知らないな」と気づいて。「日本をもっと知れる仕事をしよう」と思って選んだのが、当時はまだ旅館再生事業に着手したばかりの星野リゾートでした。長野の大自然の中で暮らしながら働いて、その後は沖縄・竹富島でのホテル開業に携わり、フェリーで通勤しながら、スコップ片手に植栽作業に没頭する日々も。「施設に関わることはなんでもやる」そんな勢いのあるスタイルが好きでした。
施設のサービス業務を経て、5年目には1ブランドの広報を預かる立場に。でも、経験の浅い自分が判断を下すことへの違和感や、サービス業界に根強い高い離職率や「やりがい搾取」とも言える構造に限界を感じて。「自分の疑問を、ちゃんと学術的に考えてみたい」と思い、会社を辞めて大学院に進学。経営学の修士号を取得しました。
自分らしい日々のなかで見つけた、超えたいと思える壁
卒業後は、あえて就職せず、フリーランスという道を選びました。星野に戻る選択肢もあったけれど、パートナーとの結婚生活が始まり、忙しさとリフレッシュを繰り返すような暮らしではなく、もっと家族との時間を大切にしたいと思ったんです。都市計画の会社で週1、スタートアップで週3勤務、妊娠・出産を機に、実家で仕事をしながら、前から興味のあったハーフビルドでの家づくりにも挑戦。生き方も働き方も、自分なりにカスタマイズする日々でした。
実はこの頃、「Tinys Yokohama Hinodecho」の事業に関わったことをきっかけにYADOKARIとも出会いました。その後、一度はYADOKARIを離れたものの、後にさわだから声をかけてもらい、タイニーハウスを使ったツアーパッケージ「DOSAN」の立ち上げにも参加しました。でも、うまくいかなかったんです。それまでの仕事は比較的うまくいっていたし、どれくらいやれば満足度が出るかもなんとなくわかっていたつもり。でも、それが全然通用しなくて「自分の経験ってまだまだちっぽけだったな」と痛感しました。だからこそ「この壁を超えたい。そのためには、3等分の力ではダメだ」と思い、他の仕事をすべて辞めYADOKARIにジョインすることを決めました。
“好き”が仕事に溶けていく、YADOKARI VILLAGEと向き合う日々
入社後は、「YADOKARI VILLAGE」の開発を担当することに。土地しか決まっていない状態からのスタートで、まさにゼロイチの立ち上げ。竹富島以来の感覚でした。システム設計や運用の検証を何度も繰り返し、改善を重ねて、ようやくオープンまでたどり着きました。半年間、大きなシステムエラーもなく進められたことには達成感もありますが、無人運営やAIカスタマーサポート、もっとストレスフリーな滞在の提案など、まだまだアップデートの余地はあると感じていますし、ゲストの満足度を高めていけるよう、やりたいこともたくさんあります。2期の開業に向けて、まだまだ走り続けるつもりです。
フリーランスの頃よりも忙しいけれど、不思議と苦ではなくて。予定が空いたときにちょっとまちを歩いてみたり、家具や雑貨を見に行ったりする中で、「これ、施設にあったらいいかも」と思う瞬間があります。好きなことと仕事が自然と重なっていて、ふとした時間にも施設のことを考えてしまうような、そんな日々です。
実は、YADOKARI VILLAGEの1期がひと段落したタイミングで、有給をたっぷり使って一人でフランスに行ってきました。今回のプロジェクトを通して、自分のスキルセットや感度が十分ではないことに気づいたからです。泊まってみたかったホテルに実際に泊まり、美術館やレストランをめぐり、読書をして、自分をリセットしながらもアップデートする時間を持ちました。2期の開業が落ち着いたら、次はアジアに行きたいです。
これからも、こうしてその土地ならではの暮らし、異なる価値観や歴史に触れつづけることができたら。それは、見たことのないような美しい造形美だったり、何気ない日常の風景であったりするかもしれません。自分が旅を通して出会った感情に出会える場所を、宿泊施設だけではなく、様々な場で表現していきたいと思っています。