先日は、転職活動に関する私の考え方を記載させていただきましたが、そもそも当社についてのご紹介が足りないと今更ながら気付きましたので(苦笑)今日はなぜ私が当社を創業するに至った原体験と思想をご紹介したいと思います。
私が大学を卒業して初めて就職した会社は東京証券取引所というところでした。そこでは、始めの約3年間売買審査部に配属され、株価操作やインサイダー取引といった経済犯罪を未然に防止する仕事や、大蔵大臣(橋本龍太郎先生)が国会で証券関係の質問に答える際の答弁案を作るという仕事をしました。(もっとも当時の直属の上司、現在の当社監査役に毎回大幅修正されるレベルの案しか書けませんでしたが)
私が入社した当時(1991年)は、証券不祥事が大量にあった年で、当時の四大証券トップが次々と辞任するという異常事態が発生した年でした。また、インサイダー取引や株価操作、株買占めなどの不法行為に対する規制も5%ルール導入などで厳しくなった年で、売買審査部が猛烈に忙しい時期でした。
当時のそうした背景もあり、多数の経済犯罪のおそれがある取引を見つけて、その実行者の方や、その上位責任者の方をお呼びして話を伺ったりしていたのですが、とにかく不思議なくらいにこうした方々には「犯罪意識」がないことに私は驚きました。
「会社のためにやっていることなのだから悪いはずがない」
「上司が指示したのだから、私は悪くない」
「悪くても会社が私を守ってくれるから大丈夫」
心底そう信じている方々の割合が圧倒的に高かったことが強烈に印象に残っています。上場企業でエリートと呼ばれるような諸先輩方が、会社のためという理由があれば何をしても良いと思っている。まるで安っぽいテレビドラマを見せられているようでした。
当時まだ新人社会人だった私にとってこれは十分に衝撃的でした。そして同時に、「社会人としてどうあるべきなのか」について真剣に考えるようになり、(偉そうに)私は後輩にアドバイスを求められると、「○○株式会社の社員である前に、日本人なんだ。日本人である前に人間なんだ。」「人間として恥ずかしいこと、日本の法律を破ることはあってはならない。会社はその理由に決してならない」という話をするようになりました。
そして、その後、更に会社のためという理由により起こる犯罪を現場で見ていく中で、「社員による犯罪の原因となる、又は助長させてしまう会社とは一体何なのか?」、ひいては「会社とは何のために存在するのか?」について考えるようになったのです。
この問いに対する誰もが納得する正解はないのかもしれませんが、長年考えてきた私の回答は
「会社は人を幸せにするために存在する」
です。この考えの裏をご説明しますと、そもそも、会社は人が幸せになるために作った「道具」です。その道具が便利であるがゆえに、道具を作るために資本が、維持させていくために収益が必要となったのだと私は考えています。
ここで次に課題になってくるのは、「それでは幸せとは何だ?」という問題です。幸せの定義は人によって異なります。ある人にとってはやりがいがあり幸せな仕事も、他の人にとっては退屈でキツイ仕事だったりします。
では、人を幸せにしやすい会社の単位はどうあれば良いのでしょうか?私はそんなことを留学するまでの間一人悶々と考えていました。