株式会社水星では多様なバックグラウンドを持つメンバーが、それぞれの得意分野で最大限の能力を発揮し、活躍を見せています。「水星キャリア百景」では、そんな水星社員の多様なキャリア一部をご紹介する企画です。
今回登場するのは、プロデュース事業部の水野泰輔さん。大学で建築の世界を探究、フィンランドの建築事務所で腕を磨き建築家の道へ突き進む…かと思いきや、帰国後ゴリゴリの不動産会社の営業で社長賞まで受賞。ビジネスとクリエイティブの両極を知る彼はなぜ水星に…?水星の中でもひときわ異彩を放つ経歴の持ち主である水野さんのこれまでの歩みと、彼が考える「ホテルの未来」に迫りました。
「理想の建築とは何か」答えを求め続けた学生時代
ービジネスとクリエイティブ、いわば両極の領域とも言える世界をどちらも深く経験してきた人物は、決して多くない。そんな彼の思想の原点は、学生時代の建築との向き合い方にあった。
水野:大学では建築デザインを専攻していました。入学前の僕は「建物の形をデザインすることが、建築」だと思っていたのですが、大学、大学院での学びが、その考えを根底から覆し、僕の思想を形成していきました。通っていた横浜国立大学都市科学部建築学科の教育方針として根底にあったのは「建築とは建物そのものではない」という考え方です。これは、簡単にいうと、歴史という大きな文脈の中に残っていくものが「建築」であり、短期的な経済目的で作られるものは「建物」や「商品」に過ぎないということです。そんな教えを受けたことから、僕は「建築」とは、ハードとしての建物だけでなく、そこで営まれる人々の活動や文化、つまり「都市」そのものだと考えるようになりました。
その後、大学院に進学するのですが、このカリキュラムがまた独特で、一般的な建築学のように「ファサードのデザインが〜」といった内容から入るのでもなく、具体的な敷地や建物などの要件やプログラムが決まっていない状態で教授から与えられるのは、「都市とは何か」「人の生きる環境とは何か」「街とは何か」…といった、マクロな“建築的”な問いのみ。それに対して、学生が自ら場所を選び、100年単位でその場所の歴史を遡り、時にはその地に住み込みで、リサーチを重ねながら課題を見つけ、“建築的”なアプローチを考えるというものです。
ー「人の生きる環境とは」壮大なテーマに挑む研究室で、どのようなプロジェクトを手がけていたのか。
水野:例えば、『ポストインダストリー』(※)という問いがありました。ある産業のその先をどう解釈し、どの敷地でどう表現するか、という課題です。これに取り組む中でGoogle マップで発見した、横須賀市田浦町の月見台団地に、言葉にならない魅力と可能性を感じました。そこは軍港建設時に丘の上に無理やり開発された住宅群で、アクセスの劣悪さから当時は廃墟寸前でした。何度もリサーチを重ねては提案を繰り返しましたが、なかなかうまくいかなくて。挙げ句の果てに、教授から言われたんです。「そこに建築はいらないんじゃないの?」と。この一言が、僕の中にあった「建築」の定義を、激しく揺さぶったんです。「いや、いるでしょ!それをなんとか場として機能させるのが建築じゃないのか!?」と強く感じたと同時に、「あれ?自分が言っている“建築”って、一体なんだっけ…」という巨大な疑問に直面したんです。そこで、「自分の理想とする建築は、必ずしも形(建物を建てること)で作れるものではないのかもしれない」と考えるようになりました。
※ポストインダストリー:「脱工業化社会」。工業化を経た社会が情報やサービスを提供する第二次産業が中心になる社会へと移行したこと意味する。
―この哲学的な問いは、彼をフィンランド・ヘルシンキへと導いた。
水野:フィンランドを選んだ理由は大きく2つあって、まず1つは、幸福度が世界一と称される国で、「建物を作る過程」が一体どうなっているのかにすごく興味があったからです。建築を作るのは大変な作業ですが、そのプロセス自体が幸せであるなら生まれてくるものもきっと豊かだろうと思ったんです。もう1つは、2名の建築家(※)の存在です。1人は、僕にとって憧れの建築家であるアルヴァ・アアルト。誰しもその名を耳にしたことがある、昨年映画も公開されていた、建築界の巨匠です。彼は、建築家でありながら、政治や思想の領域でも活躍した人物でした。2人目は、大学の学びの中で知り、その思想に強く惹かれたマルコ・カサグランテという建築家です。
※アルヴァ・アアルト:フィンランドを代表する建築家。温かみあるモダニズム建築と家具で知られ、自然光や曲線を生かした人間中心のデザインを追求した。
※マルコ・カサグランデ:フィンランドの建築家・芸術家。都市を有機体と捉える独自理論を提唱し、自然共生型の建築や環境芸術の実験的実践で国際的に評価される。
斜光が美しい、早朝で誰もいないマルコカサグランデのオフィス
水野:突き動かされるように、フィンランド・ヘルシンキに渡って、このマルコ・カサグランデの建築事務所の門を叩き、そこで働きながら勉強させていただくことに。彼は、『建築は恣意的にデザインするものではなく、その場所に生まれてくるもの。建築家はそれをケアするだけだ』と言い、デザインという言葉を好みませんでした。この異端とも思える思想に、僕の建築に対する捉え方をさらに揺さぶられました。彼のもとで働きながら、憧れの建築家アルヴァ・アアルトの足跡を辿り、ヘルシンキで過ごした時間は、僕の人生において最も濃密な1年間となりました。
アルヴァ・アアルトが設計した「カレ邸」訪問時
トリエンナーレにてサウナ内で入社面接。ヘルシンキの新聞で掲載された。
水野:貯金や給料の大半を建築を巡ったり本を買うことに費やしていたため、港に停泊している客船の一室を借りて寝泊まりしていた時期もありました。マルコは、街の中の小さな空間への建築的介入が、都市全体に波紋のような変化をもたらすと考えていました。この考えを「Urban Acupuncture(都市の鍼治療)」と呼び、僕は彼のもとで働きながら、この思想を学んでいました。
フィンランドの伝統的な短刀Puukko(プーッコ)をマルコから贈られ、使い方を学ぶ水野さん
―改めて、水野さんの熱量と行動力には驚かされる。帰国後は、フリーランスの建築士として約2年間活動した。
水野:地方の旧耐震集合住居を宿泊可能な地域の観光センターへとコンバージョンするプロジェクトや、東京・青山に出店される店舗の内装設計など、様々な設計プロジェクトに関わりました。その傍ら、トークイベント「Future Architects Talk(通称:FAT)」を自ら企画し定期的に開催するなど、建築を形にするだけではなく、言葉と場を通して共有し議論することにも力を注ぎました。僕自身が抱えていた「言葉にできない違和感」は、きっとものづくりをする人なら、誰もが持っているだろうと思ったからです。『建築』を考えるとき、「形をどう成立させるか」「デザインが格好いいか」という話ばかりで、「なぜそこに存在するのか」「何をもたらすのか」という議論が少ない…だからこそ、自分は場や関係性、行為を含めて『建築を考えること』に関心を持ち続けてきました。そうして、ハードとしての建物の検討だけでなく、人々の活動や文化が生まれるきっかけとなるような「場」の実現を試みていました。
FAT(Future Architect Talk)開催時の様子
―水野さんにとっての「建築」は、建物というハードの枠を越え、人々の営みや文化の生まれる“土壌”を設計する行為へと広がっていった。順風満帆に建築士としての道を歩んでいるかのように思えるが、彼はそこに安住しなかった。建築の理想を追うだけでは越えられない現実的な壁に直面したからだ。
不動産営業の挫折から、インサイドセールスのシステム開発、社長賞受賞までの奮闘の日々
―建築の理想を追求していた水野が次に選んだのは、不動産デベロッパー。180度違う世界への、大きなキャリアチェンジだった。
水野:フリーランスで設計・建築をやっていると、結局は事業の下流工程しか触れられないという壁にぶつかりました。例えば、事業主さんの経済的な状況でせっかくチームで必死に検討していたプロジェクトが突然ストップしてしまうということも少なくなかった。自分が、場所を作ることが分業化されたプロセスの末端にいるように感じ、「図面を書いたり提案するだけでいいのか」「もっと事業全体が見える上流に関わって、自分でコントロールできる範囲を広げたい」と、強く思うようになったんです。
また、独立した時に痛感したんです。安定したお金の流れがなければ、場所を作ったり、守ったりすることは難しい、と。プロジェクトがどう生まれてどう形になるか、事業の全てを設計の上流から知れば道が開けるかもしれない。それをやっているのが、ディベロッパーだと思いました。その一連の流れをたくさん触れられるところという事で、不動産開発・流通・リノベーションを手がける会社の、区分マンションの再販部署の仕入れ営業担当として、スタートを切りました。いわゆる“バキバキの営業マン”です(笑)。
―建築の理想を追求する水野さんが選んだ、不動産デベロッパーへの大きなキャリアチェンジ。飛び込んだ世界は、想像を絶するほどカルチャーショックの連続だった。
水野:仕入れ営業では、ゼロベースで町の不動産屋さんと関係を築きながら、どんなデザインが求められているかをリサーチしつつ、収支を叩いて商品を設計し、時には販売フォローまで行いました。事業の上流から下流まで全部見られたのは大きな学びで、厳しいけれど信頼できる上司や、想いを共にできる仲間とも出会いました。が、営業の基本もやり方もわからないところからのスタートで、最初は全く成果が出ず、毎日何十件も不動産屋さんを回っては、時には文字通り門前払いをくらっていました…。大学で、大学院で、海を渡ってまで学んだ建築の理想と、目の前の商業主義的な現実とのギャップに、打ちのめされました。「何のためにこの仕事をしているのか」「これでよかったのだろうか」と自問自答する日々でしたね。
水野:自らの理想をいつか実現するためにもここで生き残るには、このまま根性論でやってもダメだと思い、仕組みの方を変えようと考えました。追い詰められた末の、自由研究みたいなものです(笑)。一般的に、不動産の情報収集には、不動産屋を直接回って門を叩く方法と、SUUMOのようなネット上の情報を探す方法の2つがあります。僕は、後者に注目し、ネットの情報を片っ端から見ていくと、情報が出やすい曜日や時間などある程度の法則性があることに気づいたんです。それを定点観測して自分の営業プロセスに組み込み、例えば「何曜日の何時に、このぐらいの案件が上がるから、すぐ見て動く」といったルーティン化をしていったら、面白いように成果が出始めました。
そこで、このノウハウを体系化して、自分だけでなく他の人も使えるよう、社内プラットフォームとしてシステム化したんです。社内の人たちへの理解を得るのには苦労しましたが、最終的には、ネットに上がった物件情報が「どのぐらいで売れそうか」「どのぐらいで仕入れられそうか」「いつ連絡した方がいいか」といった情報が全て集約されるシステムを開発しました。それが横展開され、ついには「インサイドセールス」という専門部署まで立ち上がりました。これは、現場のフィールドセールス部隊に情報を渡すポジションで、僕がその代表を務めることに。
結果、年間10億円規模の売上創出・2年間で累計11億円規模の売上貢献をもたらしたことも評価され、社長賞という事業貢献部門グランプリを受賞しました。前職で関わった人たちとは今もつながっていて、信頼できる仲間です。
前職時代、営業時に馴染みの業者に撮られた1枚
―建築家としての感性とは別の徹底したデータ分析と課題解決能力で、苦しい時期を乗り越えて新たな世界でも大きな成果を上げた水野さん。こうして、クリエイティブとビジネスという二軸の武器を手にした水野さんが、次なる舞台に選んだのはこの水星だった。
水野:不動産の世界はとても面白く、建物をつくるためのお金の動きやマーケットの考え方を深く理解できました。一方で、自分の手の届かない高級マンションをつくり続けること、自分が生み出したものを特定のターゲットだけしか享受できないものづくりであることに対しては、「これって『建築』なのか?」と、自分の目指す理想像とは違うと感じていたことも事実です。エンドユーザーの顔が見えずただ経済合理性だけを追求していくプロセスと、自分が生み出しているものが本当の意味では建築ではないという自覚。その葛藤は、日に日に強まっていきました。ここでまた学生時代からの問いと再び対峙することになり、転職を考え始めたんです。
その中で、ホテルは、不特定多数の人が利用する「半公共的なプログラム」であること、町と強い関係性を持ち社会と繋がざるを得ないことに気づき、その特性に興味を持ちました。そうしてホテル業界を調べる中で、水星にも出会い、水星が「地域の歴史を紐解く』というアプローチを大切にしているところに、強く惹かれたんです。
水星のスタンスやホテルの性質は、僕が学生時代からずっと探求してきた「形だけじゃない建築のあり方」とまさにリンクすると感じました。ここなら、僕が培ってきたビジネスとクリエイティブの両方の経験を活かしながら、自分の理想の建築家像を模索できると確信し、入社を決意しました。前職で働きながら、宅建や一級建築士を取ったのも、学生の頃からこうした『建築家』の在り方を肯定したいという思いがあったからです。どちらも資格が目的だったわけではなく、『建築自体』に向き合う上で、一緒に働く方々への敬意を示すために必要だと考えました。
ビジネスとクリエイティブが交差する、水星で見つけた「半公共的なホテル」の可能性
―水星への入社2年足らずにして、水野さんは、大小様々な数多くの案件を担当し、業務範囲は多岐にわたる。
水野:水星に入ってからは、言葉を選ばずいうと「何でもやっている」感じです。新規エリアの開拓方針を考えたり、イベントや新しいホテルの企画を担当したり、時には図面を描いたり、営業も行ったり…「理屈だけじゃなく想いが伝わるように」ということはいつも意識しながら、あの手この手で試行錯誤やっています。
入社直後に担当した案件ということもあり、「Hotel Quest」は特に印象に残っているプロジェクトの1つです。
これは、古民家を3日間限定のポップアップホテルに変えるというプロジェクトで、ホテルじゃないものをホテルにする「コンバージョン」には元々興味があったので、自ら手を挙げました。僕は、造作の設計施工や什器のレイアウト検討・手配・配置を主に担当しましたが、福島県双葉町という被災地であるのため、物流が制限されていて、資材や備品を自分たちで運び込みながら空間をつくる必要がありました。このプロジェクトで一番の学びは『物流』の重要性です。場所というものは、人やモノ、情報といった様々な『流れ』が交わることで初めて成立します。その流れをデザインするのは大変ですが、これこそが場所づくりの本質だと、身をもって感じました。課題が次々と出現して大変だった分、「ゼロからのホテルが立ち上げ」に携われてその経験は大きな糧になりました。被災地に少しずつ人や物が集まり、泊まれる場が生まれていく、その過程に、ホテルの原点を見たようで、「場所をつくるってこういうことか」と、感動したのを覚えています。
「Hotel Quest」 での1枚
水野:大規模案件としては、現在進行中の那覇ホテル開発案件ですね。飲食テナント誘致では、110件以上の候補を上げてコンタクトを取っています。愚直に探し続けたり、直接会って思いを伝えたりすることの大切さを実感しながら、「想いがつながった相手」と話が進んでいく時の喜びを噛み締めながら、取り組んでいます。僕、実はバックパッカーもやってきたんです。高級ホテルにはあまり行ったことがなくて(笑)。だからこそ思うことは、ホテルの低層部、つまりロビーやレストランといった、街に開かれた『地面にくっついている部分』がどれだけ豊かであるかが、良いホテルや宿であるための重要なポイントの1つだということ。まさに今、那覇で担当しているテナント誘致のように、ホテルの持つ半公共性にどうアプローチできるか。ビジネスの基盤も整えつつ、公共的な機能をどう実現できるか考えたいですね。
出張中、建築現場で図面を見つめる水野さん
―彼の建築的思考は、ホテル開発以外の領域でもその真価を発揮する。台湾のマットレスブランドの初となるリアル店舗の支援では、イベント企画を担当した。
水野:台湾のマットレスブランド「Sleepy Tofu House」の支援では、「“暮らしのパートナー”としてのマットレス」というブランドの価値観を体験として設計・提供するようなイベントを企画しています。“余白のある暮らし”をテーマに、例えば6月には、関西のアロマデザイナーさんとコラボして、雨の時期を楽しめるようにピローミストつくるワークショップを、ブランドの日本初の実店舗である青山にて実施しました。
これが、単にビジュアルやPRだけだったら、難しかったと思うのですが、「体験としての設計」だったので、自分のバリューが出せるのではと考えて臨みました。具体的には、店舗の図面を見ながら『この空間ならこういう使い方ができるな』と具体的なシーンを図面に書き込んで、繋ぎ合わせて1つの体験をデザインしていく。学生の時に、「建物を建てるのではなく『山の歩き方』をデザインすることで、山そのものが建築になる」という提案をしていた同期がいたことをふと思い出し、それに近い考え方な気がしましたね。
イベントで、お客さんがマットレスの上でゴロゴロしながら店員さんと楽しそうに話しているのを見た時、「このブランドが目指す“暮らしのパートナー”ってこういうことなんだな」「消費者だけでなく、働く人やブランド自身にも向けられた言葉なんだな」と、理解できた瞬間がありました。この会社が目指す方向を身体で理解できたことで、自分ごととして企画を判断できるようになり、来場者にもしっかり伝えられた手応えがありました。
Sleepy Tofu「雨と香りのアトリエ」ワークショップ
―そして今、彼は名古屋エリアの開発担当として、新たな挑戦の最中にいる。
水野:名古屋は、水星のクリエイティブの知名度がまだあまり届いていないエリアなので、地道に地域の不動産屋さんを回ったり人脈を辿ったりと、“総合格闘技的”に動いています。これからリニア開通などで新しく生まれ変わろうとしている名古屋に、ただの観光施設ではなく何か新しい産業のきっかけになるような場所を作れたら嬉しいですね。そのためのソリューションとして、ホテルは非常に可能性があると思っています。
僕は、子供の頃から建築家を目指してきましたが、それは単なる建物の設計者ではありません。僕にとって建築家とは、自分や周りの人を幸福にする場を考え、実現できる人です。必ずしも形は必要なくて、その場に関わる人の関係性や歴史性を含めて、みんなが幸せになれる場をつくること。その探究は、今後もずっと続いていくと思います。最近は、ディレクション=方向性を定め関係者を橋渡しするという役割の重要性を、特に感じています。どのようなプロジェクトでも「こういう場所を目指している」と明確に言える存在は欠かせません。僕もそうした、プロジェクト全体をディレクションする役割を果たせるようになりたいですね。
水星にきて衝撃を受けたのは、いろんな方向から物事を考える人が本当に多いこと。1つのプロジェクトに多様なバックグラウンドを持つ人が関わり、それぞれが自分の専門領域の視点はもちろん、専門外の視点も持っているんですよ。だから「うわ、それは考えてなかった!」と驚かされることばかりで、日々刺激を得ながら勉強させてもらってます。また、水星の魅力は、「何でもやれる(やらなくてはいけない)こと」かもしれません。いい意味で分業化されていなくて、職能が制限されないので、知らないことでも挑戦すれば、それがそのまま自分の職能になっていきます。こういった、多様な視点を学びつつ自分らしく行動できる水星のこの環境は、僕の考えながら走るような泥臭さや不器用さも活かして働けている実感があります。僕にとって、水星は、最高の実験場とも言えるかもしれません。
―哲学と思考、そして圧倒的な行動力。異色のプロデューサーの存在は、水星が描く未来のひとつの確かな輪郭を示している。最後に、どんな人と一緒に働きたいか尋ねた。
水野:自分の知らない新しい分野を教えてくれる人、知りたがりの人、なんでもよく発見してくれる人…いろんなバックグラウンドの人が集まる水星だからこそ、互いの違いを前向きに楽しめる人と働けたら嬉しいです。