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#26.【社員インタビュー】音楽と共に 楽器の魔法が作り出したかけがえのない学生時代

こんにちは!株式会社ソーラーパートナーズ広報担当の坂下智子です。

たくさんの方にご覧いただいている社員インタビュー記事、今回はそらっぱの頭脳とも言える鈴木悟(すずき さとる)さんにお話を伺いました。悟さんは多彩な才能をお持ちの方で、文系理系共に強みを発揮してそらっぱで大活躍中です!今回は悟さんの、人生を大きく左右する楽器との出会いとそらっぱまでの道のりをお届けします。

-まずは悟さんのルーツを聞きたいのですが、どんな幼少期でしたか?

僕は兵庫県生まれ、5人兄弟の次男です(5人兄弟とは珍しいですね~)。小学生の時に国分寺市に引っ越して、その後小学4年生の時に三鷹市に引っ越してます。中学1年生の時に苦手意識克服の為にバスケットボール部に所属していたんだけど、怪我が多かったり、やっぱり運動が好きになれなくて、中学2年生の時に吹奏楽部に転部しました。

転部のきっかけは、卒業式で吹奏楽部が演奏していた「威風堂々」を聞いて感動したというのが一つと、2つ上の兄がトランペットを演奏していて楽しそうだったのが一つ。転部を決めて兄に話したら、「サックス(サクソフォン)がいいと思うよ、ちょうど空きもでたし。同じトランペットじゃない方がいい」と(笑)兄は昔からこうやってシレっと導くのが上手い、同じ楽器になって競争心が芽生える事を上手く回避された(笑)結果的にかっこいいと思ったサックスを選びました。

吹奏楽部経験者なら分かると思うんだけど、サックスって人気で競争率が高い事が多いでしょ?だからサックス担当になれたのは本当に運がよかった。この時のサックスの出会いが、僕の人生に大きく影響しています。

-すごく共感します!私も同じ吹奏楽上がりのフルート吹きですから。私も人生に大きく関わる出会いだったと思っています。そのまま吹奏楽一筋でしたか?

吹奏楽をやってたんだけど、父親の研究の為中学3年生から高校1年生の途中までアメリカに住んでいました(お父様は大学で教鞭を取っていらっしゃるそうです)アメリカでの生活や経験の数々は本当に良い経験で、文化を学び視野や価値観を広げる機会となりましたアメリカでは敢えて現地校に通ったので、所謂アメリカの普通の高校生の生活をしました。アメリカと言えばジャズ、ジャズと言えばサックス、持てる物全てが好転していく土台を作る転機の1年だったと思います。

通った学校ではマーチングバンドやジャズバンドに参加したり、フロリダのディズニーワールドでの演奏、更には演劇の背景音楽(劇伴)を作る「オケピ(オーケストラピット)」での演奏経験もして刺激の連続でした。この時点までサックスは独学で音楽を学び練習を積んできたんですが、オーディション合格やさまざまな舞台での演奏経験は、当時の自分のやり方で間違ってなかったと、良い成功体験を積む結果に繋がりました。インターナショナルスクールや日本人学校ではなく、現地校に通い現地の生活を経験することができたのは非常に価値のある経験でした。当時は苦しい時期もあったけど、今思えば良い思い出です。

-何かに導かれているかのような転機の連続でしたね。ではもちろん帰国後もサックスを続けたのですね。

そうです、帰国して行きたかった高校に編入できたのも大きなステップです。日本の高校でももちろん吹奏楽部に入部、本格的にレッスンを受けたいと思うようになりました。ある日たまたま来校していた卒業生のサクソフォン奏者がいて、その方の演奏に魅了されたのがきっかけで、僕の生活にレッスンが加わります。その方にお願いしてレッスンに通うようになり、結果として約10年間という時間を共に過ごしました。

当時は高校生でレッスンに通うというのが珍しかったのでしょう、僕の熱意を見込んでくれたのか、先生は僕をローディー(サポート業務を担当する人の総称)として様々な現場に連れて行ってくれました。現場で見る生のミュージシャンの景色そのものが、具体的な仕事をイメージし始めるきっかけになりました。確か当時は週に1回、2時間のレッスンを受けてたと思います。技術以上に生き方についても教えてくれた情熱溢れる先生でした。
ミュージシャンの現場を見たことが、初めて自分の将来の仕事について真剣に考え始める事になった事を覚えています。

高校生もいずれ終わるので、進学先では色々と悩み一時は音楽大学への進学を考えましたが、先生と相談の結果一般大学へ進学することにしました。今思えば音楽大学に進学しても良かったかもしれないんですが、当時のジャズ界では一般大学を卒業している方が強く、仕事の機会も多かったんです。これらの経験が、僕の音楽人生を形成する大きな要素となりました。

-なるほど。私はクラシックを学んだので全く別の世界のような話です。確かに進路は悩みますね。結果、一般大学に進んでどうでしたか?

大学は父親が所属しているICU(国際基督教大学)に進学しました。兄も同じ大学に通っていて、ここでも兄の影響で高校3年生の時から大学のビッグバンドサークルに所属していたので(笑)、みんなより一足早い大学生活をしていたようなもので計5年間ビッグバンドに関わってました。1年生と2年生の時は大学内のビッグバンドサークルに所属してアメリカでの演奏旅行を経験し、現地の演奏レベルの高さを知って衝撃を受けました。3年生4年生の時は早稲田大学のビッグバンドサークルに所属して地方遠征など、充実した音楽生活を経験しました。

もう一つ、大学一年時に父のプロジェクトに同行してタイに行き、発展途上国の環境を知った事は、日本を客観的に見る貴重な経験となりました。アメリカのような最先端の国、タイのような発展途上国、両方を自分の目で見たことは当時の僕にとって非常に価値が高かったです。タイは親日国なのでとってもフレンドリー、アメリカはみんなクール、人々の違いも良い経験でした。

そんな経験も経て大学3年生の頃には少しずつ仕事を受け始め、本格的にサックス奏者になることを決意しました。大学4年生の時には自分のバンドも立ち上げて、師匠とのビッグバンドも立ち上げました(すごい行動力!!!)。しかし、変化の急激な業界でもある事から不安を抱いていたのも確かです。一時期は一般企業に就職するかフリーランスになるかを迷い、就職活動もしました。内定をもらった企業もありましたがよく考えた結果、より困難な現実を選択したいと思い、卒業後2年間はフリーランスのミュージシャンとして仕事をしました。

師匠とビッグバンドを組み、マネジメント業務を経験し現実を知ることになります。運営、編曲、ライブラリアン(楽譜管理)、経理、企画など、全てを担当、更に生活の為にアルバイトもして、毎日寝る間もない。布団で寝ると寝すぎてしまうので、わざと畳で寝て無理矢理起きてまた活動・・・の日々です。バンド2つの運営と自分の生活のマネジメントは非常に過酷でしたが、もちろん得るものも多い日々でした。ビッグバンドでは、自分の提案が採用され、自信につながる成功体験を積むことができました。人からの紹介で劇伴と役者を演じる機会があり、良い表現とは何かを学ぶ良い機会もありました。

自分のバンドでは、ブレイクダンスの人とコラボしてパフォーマンスしたこともあるんですよ。ブレイクダンスって見たことあります?(ないです・・・すごいの?)すごいんですよ、熱気が。個々の技術だけではなく、場を湧かせることで評価されるという世界を知りました。そこでまた繋がるんですけど、ジャズもルーツはアメリカ、ブレイクダンスもルーツがアメリカ。なんだか繋がっているような気がして、人間臭くて面白かったです。

-ものすごい行動力でドラマみたい、とても面白く聞かせてもらってます。忙しすぎて身体は大丈夫でしたか?

当時は毎日忙しすぎて疲れてしまったのと、未来の可能性を考えると不安に思う事もありました。一方でこのまま続けていけばミュージシャンとして更に発展していくのかもしれないという可能性もありましたが、新しい家族が増えることになったので(悟さんは2児のパパなのです!)、一度区切りをつけようと就職する事にしたんです。このままでは子どもの為の時間も作れませんから。そこで就活して就職した先がそらっぱというわけ。そらっぱへの就職も僕にとっては運が良かったと思ってます。


・・・・


悟さんありがとうございます!悟さんは視野が広いな~と思っていましたが、こんなルーツがあってこそでしたか!海外での経験や音楽を通して積み重なったかけがえのない経験の数々は、悟さんのこれまでに大きく影響していますね。私も似た経験があるので、すごく共感しながら聞いてました。
次回は、そらっぱに入るまで、そして今、未来に向けてのお話です。



ここまで、本記事をご覧いただきありがとうございました!

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