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リレーインタビュー1 ソーエキサイト事業責任者、おおいに語る(前篇)

こんにちは。株式会社ソーエキサイト採用担当の小川です。

本日よりリレー形式(往年のい○とも式)で、株式会社ソーエキサイトの社員インタビューをお届けします。初回は、事業責任者の島津 稔(シマヅ ミノル)のインタビューをお送りします。

島津は過去にまったく異なる2社を経験した後、SEに入社し、2年前より事業責任者となりました。前篇となる今回は、SE入社に至るまでの意外な経歴と、事業責任者になるまでの道のりについて迫ります。

カラオケ、パ○スロ、非ホワイト企業

ーソーエキサイトが3社目ということで、過去の職歴について教えてください。1社目は新卒ですか?

違います。大学卒業時に就職活動はしていないです。大学時代にカラオケでバイトをしていて、そのまま社員になったという形です。

ー就職活動しなかったんですか?

してません笑。もう決まっていたからです。カラオケ店で「いつ社員になるの?」ってずっと言われていたので。でも大学卒業だけはしておこうと。卒業してすぐ社員になったので、いわゆる就職面接は一切してないですね。

ー将来社員になるつもりで、カラオケのバイトを始めたんですか?

まったく違いますね。ただ楽しそうだったから、カラオケが笑。

ーカラオケが好きだったんですか?

当時はカラオケはそんなに行かなかったですね。ずっと部活をしていたので。

ーそうなんですね笑 部活は何を?

中学校からずっとハンドボール部。中高の6年間やってました。

ーハンドボールですか。意外ですね笑

で、大学になってスポーツを卒業して、働いてみようかなと。地元で、楽しそうで、仲間が増えそうなところ、というのでカラオケにアルバイトで入って、そのまま社員になりました。24歳から27歳まで働いてましたね。

ー3年働いて、なぜ辞めようと思ったんですか?

簡単に言うと生活リズムが破綻してしまって。その時に10年後はもう働けないなと。このままだと体壊すなと思って辞めたんですよ。給料はまあまあ良かったんですけど、お金じゃないなと思ったのが1番ですね。

ー2社目はどういった仕事を?

2社目は短いんですよ、実は。3~4ヶ月で辞めてます。学習塾の営業ですね。

ーカラオケとは全然違いますね。

そうですね。一度営業をやってみたかったんです。店舗での仕事じゃなくて、違う仕事に就いてみたいという、単純に興味ですね。で、受けたら受かって。入社してどんな仕事だったかというと、机に電話機が1台あって、名簿を見ながらひたすら電話するんです。高校生のいる親御さん宛に。これは1週間くらいでやばいなと、電話名簿の入手先も怪しいし、、、。ホワイトではない会社だなと。ただ採用してもらったという恩義はあるんで、契約を取ってからやめようということで。3ヶ月目に契約を取ってすぐに辞めました。

ー色々受けた中で、なぜその会社に?

1社目で受かったからですね笑。実はカラオケをやめてから半年間はフリーターで、パ○スロ生活をしてたんですね。そういう生活できないかなぁと思って笑。でも半年で計画が破綻して、これはダメだ、生活できないと。でも今になってみると、その堕落した時期があって良かったと思います。ずっと働き続けているよりも、色々なものを見れましたからね。人間ってこうやって堕落するんだなとか。ふつうに働いていたんじゃ見れない世界が見れましたから。

ネットカフェとの出会い


ーそれで次がソーエキサイトになるわけですが、どういった経緯で入社したんですか?

次は接客をする、有店舗ビジネスにしようと思ったんですね。大学卒業してアルバイト時代からそうですけど、何が仕事で楽しいかって思ったらお店で(お客様と)関わる、接点があること。ただ自分の場合は、ものを売ることじゃなかったんですね。空間提供がいいなって思ったんです。最初はボーリング場も受けようと思ったんですよ。ボーリング場はものを売ってるんじゃなくて、球とレーンを貸して、ボーリングする時間と場所を提供していますよね。こういうビジネスがいいなと。ものではなくて、時間の価値と場所の価値を売る。そう思った時に、当時はそういう場所があまりなくて。レンタルオフィスもないですし、限られてたんですね。ボーリング場、カラオケ、ネットカフェ、、、。ネットカフェは出始めた頃で、1番行ったことがなかった。ただやりたいことが合致したんでネットカフェで探してみたら、ソーエキサイトと巡り会った。これが入社したきっかけですね。

ー同じようなビジネスは他社ではなかったんですか?

まだなかったんです。まんが喫茶ゲラゲラは相当歴史が古い(※1)方で、当時はそんなにネットカフェでの募集がなかった。僕が探した時は、タイミングもあるかもしれませんが、ネットカフェで募集していたのは、ゲラゲラだけでした。

※まんが喫茶ゲラゲラ一号店である田町店は、1997年6月にオープン。

ー募集は店長の募集だったんですか?

スーパーバイザーです。SV候補で、店長やお店での経験がある人、っていう募集でしたね。

ーSV候補、ということは最初は店長から?

まず1ヶ月は店のシフトに入って、研修を受けましたね。横浜のゲラゲラで1ヶ月スタッフに教えてもらって、それから町田店ですぐ店長です。スタッフは10名くらいいましたね。

ー店長になって、最初は1店舗だけの担当ですよね?

そうですね、町田店だけで、半年くらいかな? すぐ一番規模の大きい、横浜店へ異動になったんですよ。

ーそれは仕事ぶりが評価されてですか?

それもあるでしょうし、組織の改革の時期だったのもあるかな、、、。当時の店長が組織再編でSVになって、店長から外れるっていう、そういう時期と重なっていたんですよ。最初はやりずらかったんですけどね。研修で教わったスタッフたちのところに店長として戻るので。でもみんな大人でしたね。そこはメリハリつけてくれましたね。

ー当時の一番大規模な店舗だと、スタッフって何名くらいいたんですか?

40名くらいいましたね。

ー40名のシフトを管理するのは大変だったんじゃないですか?

1人じゃ無理ですよね。なのでお店の中に組織を作って、担当を決めました。そうじゃないと絶対無理です。そのうえで、店長である自分はシフトに入らない、なぜなら担当業務が違うから。店舗の売り上げUPに繫がる施策を考えることが自分の仕事。そこは組織として、別に考えなければならない。そういう話をしながら自分は入らないようにしましたね。基本的によほどのことがない限り、手伝わないと言っていました。シフトが空いても入らない、それくらい言わないと、安易に頼ってくる。言えば休ませてくれる、店長が入ってくれる、これはいけないですね。基本的には。ただ、確認のために自ら入ることはありましたよ。

ー店長だった時に、他に大事にしていたことはありますか?

こまめに話して、コミュニケーションを取ることですかね。休憩を一緒に取ったり、仕事が終わったらみんなスタッフルームに少し残るんで、そこに行って話をしたり。基本的に普段はこんな感じなんで笑、厳しくはしてなかったです。あまりにも目につく時はその場で言ってました、みんなの前で。言わないと仕事とプライベートとの境界線がなくなってしまうから。

ーその後SVも経験されて、現場から本社へ異動になったわけですが、これは自分から希望してですか?

違います。引っ張られて、本社の管理サポートグループへ配属になりました。

ー仕事内容はどんな感じだったんですか?

当時本社に呼ばれた理由として、店を増やしていきたいというのがあったんですね。で、色々方法はあるけれども、他の競合のお店を買おうということで、M&Aを任されました。今までにない仕事だったので、面白かったですよ。これまでBtoBが少なかったんですよね。営業の時も対顧客だったし、その前は対お客様だったので。経験として企業間取引がなかったので面白かったですね。

後篇へつづく

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