中学の頃、保健体育の授業でベジタリアニズムについて習った回があった。具体的な内容はもうあまり覚えていないけど、その授業の最後に一本の動画が流れた。よく食用にされる動物が死ぬ前に上げる鳴き声を編集したやつだった。
動画が終わった後、教室は不思議な沈黙に包まれた。
その学期の保健体育はちょうど給食の時間の直前だった。その日のメインは小さな焼き鳥で、動画の影響でほとんど誰も取らず、大量に余っていた。
私がトングを伸ばしたとき、後ろに並んでいた同級生が言った。「あの動画見てまだ食べられるの、残酷じゃん。」
聞いた瞬間、普通に腹が立った。私はその子に言った。「じゃあ食べないんだね、その分もらうわ。」
焼き鳥を二枚もらった。
その日、肉を取ったクラスメートはほぼ全員「まだ食べられるの」と聞かれていた。聞かれること自体はまあいい。私が嫌だったのは二つ。
一つは「残酷じゃん」という言い方。ただまあ、あの子の表現が単純に頭悪いなと思っただけだった。
本当に嫌だったのはもう一つの方——その日肉を取った人への、クラス全体のあの空気。
肉を避けたあの人たちのことを考えると、どうせ一時的なものだ。一本の動画でベジタリアンになるわけがない。それなのにその日は大量の手つかずの食べ物がそのまま捨てられた。
この一連のことで一番理解できなかったのは、あの人たちの行動が何かを変えようとした上でのものじゃなかったってこと。ただ気持ち悪いと思った人たちが集まって、自分たちと違う少数の人間を取り囲んだだけ。
私が気にしているのは彼らが何か行動を起こしたかどうかでも、食べ物が無駄になったことでもない。肉を取ったクラスメートへの態度の話だ。一番嫌いだったのは、質問しに行った人のほとんどが本当に聞きたくて聞いてたわけじゃなくて、責めるために聞いてたこと。
あの人たちは自分がなぜそうしたのか、ちゃんと考えたんだろうか。理由はあったと思う。でもきっとすごく馬鹿げた理由だったと思う。
あの日私がしたかったのは、ただ普通に焼き鳥を食べることだった。