【代表インタビュー】失敗を恐れず挑戦し続ける ー"生意気な新人"が築いたSEプラス代表の仕事哲学ー | 株式会社SEプラス
こんにちは!SEプラス採用担当の鶴田です!今回は、「【代表インタビュー】失敗を恐れず挑戦し続ける ー"生意気な新人"が築いたSEプラス代表の仕事哲学ー」と題しまして、弊社代表取締役の村田にインタ...
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こんにちは!
SEプラス採用担当の鶴田です!
今回は、「【代表インタビュー vol.2】代表の歩みと当社の変遷」と題しまして、弊社代表取締役の村田にインタビューを実施いたしました。
第2弾となる今回のインタビューでは、代表の村田がこれまで歩んできたキャリアの道のり、そして現在の当社の成長に込めた想いについてお話を伺いました。理系のバックグラウンドからビジネスの世界に飛び込み、数々の挑戦を重ねてきたそのストーリーには、学ぶべきポイントが多く詰まっています。
代表が大事にしている価値観、転職活動をされてる方へのメッセージなどが綴られたインタビュー記事第1弾もございますので、ぜひこちらもご覧ください。
まずは、学生時代について教えてください
ー 理系からビジネスの世界へ
新卒ではどのような会社に入社されたんですか?
ー 大手情報出版社との出会い
ー 営業時代
転機とはなんでしょうか?
ー 独立、そして起業
ー インターネット時代の到来と求人サイトの立ち上げ
その後、SEプラス設立までにはどのような変遷があるのでしょうか?
ー 翔泳社での経験と次なる挑戦
ー 独習ゼミの立ち上げ
ー SEプラスの誕生と現在まで
最後に、今後の想いについてお聞かせください
ー 変化を恐れず、柔軟に対応しながら成長を続ける
僕は広島大学の理学部化学科にいたんだけど、周りはほとんど大学院に進んで、大手の化学メーカーや製薬会社に就職するのが一般的だったかな。
教員になる人も多くて、僕も教職課程を履修してたんだけど、履修ミスで単位を落として教育実習に行けなかったんだよね(笑)。
結果的に、就職の道を選ぶことになったんだ。
大学の先輩が大手情報出版社に内定してて、後輩向けに就職アンケートの参加者を募集してたんだよね。そのアンケートに軽い気持ちで参加したのが、その会社との関わりの始まりだった。
アンケートを通じて人材開発部の担当者と知り合って、働き方や待遇について話を聞く機会が増えたんだけども、専攻していた化学分野にこだわらず、早く社会に出て稼ぎたかった時期だったから、どんどん関心を持つようになったんだ。
何度か話をしていくうちに内々定をもらって、東京で営業職をやりたいって希望を伝えたんだ。結果的に西東京周辺の営業所に配属されて、中途採用求人誌の営業を担当することになった。
新卒の頃はとにかく忙しくて、がむしゃらに働いてたよ。でも、バブル崩壊の影響で事業の成長が鈍化してきて、「このままでいいのか?」って思い始めたんだよね。そんな時に転機が訪れた。
同期や先輩から「広告代理店をやらないか?」って誘われてさ。求人営業の仕事は嫌いじゃなかったけど、当時いた会社のキャリアに閉塞感を感じてたこともあって、独立を決意したんだ。
なけなしの貯金を出資して、共同経営の形で会社を立ち上げた。でも最初の1年半は全く売れなくて、年収も激減。築40年の古い賃貸に引っ越して、ひたすら営業してたよ。この時期に営業の基本を見直して、お客様にちゃんと向き合うことの大切さを改めて学んだんだ。
1995年頃、インターネットプロバイダーの求人を見たり、深夜番組でインターネット特集をやっているのも見たりなんかで、「これからはインターネットの時代だ!」って確信して、インターネット求人サイトを立ち上げたんだ。
求人サイトは、とあるプロバイダーのトップページに掲載してもらうことになったね。
他にも、今流行りの求職者スカウトサービスの前身となるようなサービスも考案してたな。当時はおそらく、どこも始めていないサービスだったんじゃないかなと思っている。外資IT系企業を中心に評価してもらったんだよね。業績も順調に伸びて、年収も元通り以上にはなったかな(笑)。
でも、1999年末に一身上の都合(笑)で退任することになって、ここで一度サラリーマンに戻ることを決めた。
会社経営をしている時代に取引があった関係で、2000年に翔泳社に入社。当時、翔泳社ではネットベンチャーと投資家をつなぐマッチングイベントを計画してたんだ。
国内ベンチャー企業150社の出展を集めるミッションを任されて、必死に営業してたんだけど、途中で市場の流れが追い風になって、なんとか150社を集めることができた。ぎりぎり及第点だったよね。
それからイベントの運営と並行して、インターネットと書籍を組み合わせたeラーニングサービス「独習ゼミ」を社内ベンチャー的に進めることを提案したんだよね。
社内のたくさんのサポートを受けて、2000年12月にリリース。どんどんコースを増やしていったんだよ。このサービスが今のSEプラスのe&TS事業の一つの柱になってると思うと、感慨深いよね。
今となっては、いろいろやっていたなあと思うけど、独習ゼミの提案と並行して、有料職業紹介の事業計画も立ててたんだ。それで事業展開の都合上、子会社「翔泳社人材センター」を設立したんだ。
これが当社の前身だよ。僕は翔泳社と翔泳社人材センターを兼務する形でしばらく働いてたかな。
その後、社名を「翔泳社プラス」に変更したのち、2006年には翔泳社がホールディングス制に移行するのに伴って、翔泳社の教育事業と合流、現在の「SEプラス」に再び社名変更したんだ。僕が代表取締役になったのもこの頃だね。
そこから当社は様々なtoB向け事業を展開してきたけれども、結果として、今ではIT人材教育事業と医療人材紹介事業の二本柱で成長を続けてる。ここに至るまでにたくさんの経験を積ましてもらったことには、本当に感謝している。
振り返ってみると、ジェットコースターみたいな人生だよね…。今、SEプラスがこうやって成長を続けて、みんなと一緒に働けていることが本当に嬉しいよ。
だからこそ、これからも世の中に必要とされる会社であるために、どう動くべきかを考え続けていきたいね。時代の変化に柔軟に対応しながら、さらなる成長を目指していこうと思ってるよ。
最後までご覧いただきありがとうございます。
ぜひ次回のストーリーも楽しみにしてください!