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【代表インタビュー前編】家庭用ワインセラー市場で3年連続シェア1位! 『さくら製作所』代表がワインセラー開発にのめり込み、起業するまでのヒストリー

こんにちは!さくら製作所採用担当です。弊社は適温が異なるお酒を同時に保存できる“2温度式ワインセラー”を世界で初めて開発し、家庭用ワインセラー市場において2018年から3年連続で販売台数・販売金額ともに1位(※)を獲得しています。記念すべきストーリー最初の記事では、そんな弊社の創業者であり、代表取締役である穂積亮雄(ほづみ あきお)のインタビューをお届けします。まず前編では、穂積がビジネスに目覚めた幼少期から学生時代のエピソード、創業へとつながるストーリーについて聞きました。ぜひご覧ください!

※2018年~2020年(1月~12月) ワインキャビネット メーカー別販売数量シェア・販売金額シェア全国有力家電量販店の販売実績集計/GfKJapan調べ

ビジネスの原体験は幼少期。商品は“価値”で選ばれることを知った!

―― どのような幼少期を過ごされましたか?

祖父母が生花店を営んでいて、幼稚園のときは、自宅に帰る前に必ず祖父母の店に寄るという生活でした。まだ4歳~5歳でしたが、祖父母から「お客さまとのやり取りをよく見ておけ」といわれ、集金をやらされたりしました。これが私にとってのビジネスの原体験でしたね。

―― 5歳でビジネスを学ぶとは…早熟ですね!

そうですよね(笑)。その後、小学生のときにはモノを売ってお金を稼ぐことを体験しました。当時、牛乳ビンのフタを“めんこ”のようにして戦う“ペッタン”という遊びがはやっていたのですが、あるときフタにメーカーの住所が小さく印刷されていることに気づいたんです。そこで銭湯に連れて行ってもらい、フルーツ牛乳のフタを持ち帰って、その住所宛てに手紙を書き、新品のキャップをいくつか送ってもらいました。新品は固いので、めんことしては最強レベル。しかも給食のものとはデザインも違っていて珍しいのですぐに人気が出て、僕はそれを友だちに1枚30円で売っていたんです。

先生にも親にもこっぴどく怒られて長くは続きませんでしたが、ペッタンに興味のなかったクラスメートも、キャップコレクターと化して新規参入者が激増。クラス全体が盛り上がったので、これは悪いことだったのだろうかと、自分の中でずっと疑問を抱いていました。わずか7~8歳でしたが、この経験で学んだのが“みんなが持ってないもの”、つまり希少価値の高いものは喜ばれる、というビジネスの原理でした。

―― その後は、どのような学生時代を過ごされたのでしょうか?

高校までは野球と勉強に打ち込んでいましたが、大学では小学生時代と同じように“モノを売る”ことを始めました。古着輸入会社の経営者と仲良くなり、業者にとっては商品価値がない古着を譲ってもらうようになったんです。最初は販売方法すら思いつかなかったのですが、ちょうどYahoo!オークションが流行りはじめ、デジカメが発売された時期で、自分で古着を撮影して発送すれば、店を構えずとも商売ができることに気づきました。仕入れた服は何ひとつ変わっていないにもかかわらず、その商品にどういった背景があるか説明すると、人によってとらえ方が変わり、自分が関わることによって服の価値も変化していく…。そこに面白さを感じていました。

また、幼稚園のころ、父母と客のやりとりを見ていた体験が、自分の中に生きていることにも気づきました。代金が支払われないなどのトラブルを回避する術が、自然と身についていたんです。

最初は物足りなさを感じていた!? 運命を変えたワインセラーとの出会い

―― 大学卒業後はどのような会社に就職したのですか?

自分にはトレーディングビジネスが合っていると思い、商社を志望していました。でも、就職氷河期だったこともあって希望は叶わず、医療機器メーカーで社会人のスタートを切りました。

その後、26歳のときリベンジ転職を志し、商社を受けたところ、縁あって『双日マシナリー』という『双日』の中核子会社に採用されました。そこで入社して最初に携わったのが、ワインセラー事業だったんです。弊社の専務取締役である奥村と出会ったのもこのころです。

でも、はじめはこの仕事がイヤで仕方がなかったんですよ。というのも、商社といえばサプライチェーンそのものを構築したり、鉄鋼業界、自動車業界を相手に何十億、何百億のビジネスを手がけたりするイメージがあるのに、ワインセラーは1体5万円ほど。高くても50万円ほどの商品なので、あまりにスケールが違いすぎて…。いつか鉄鋼事業部やエネルギープラント事業部などの花形部署に異動できるよう頑張るしかない、と自分に言い聞かせながら取り組んでいました。

―― そこからなぜ、ワインセラーのプロフェッショナルの道に進むことになったのでしょうか?

最初こそ後ろ向きだったのですが、仕事を進めるうちにめちゃくちゃ楽しくなって、気づいたらワインセラー事業にのめり込んでいる自分に気づいたんです。今でこそワインセラーは家電量販店でも扱われていますが、当初の販路は厨房メーカーや飲料メーカー、ワインショップのみ。そこで家電量販店と取り引きできたら面白そうだなと思いつき、自分でどんどん販路を開拓していったんです。すると、家庭用をメインで扱う家電量販店から、もっと小型のセラーを作ってほしいという要望をいただくようになりました。さすがにコストがかかりすぎるため日本では製造できず、海外で作るしかない。そこで、中国のメーカーに委託してオリジナル製品を作るというプロジェクトを立ち上げました。

子ども時代、大学時代の原体験にもつながるのですが、自分で生み出したモノが輸入され、家電量販店を経てご家庭に届く…。このスキームにとてもワクワクしたんです。

ワインセラーで世界一になりたい。その思いから起業を決意!

―― 当時は企画、開発、契約、販売…すべてを担っていたのですね!

商社時代は、“鬼”のような情熱で突き進んでいました(笑)。あとからプレゼンしたり説明したりするのが面倒なので、稟議を書くところから役員さんを巻き込んで、海外にも同行していただいて三日三晩、相手先との交渉にもつきあってもらったりもしました。

そうこうしているうちに「ワインセラーで世界一になりたい」という思いが強くなり、いつしか鉄鋼やエネルギープラントはどうでもよくなっていました(笑)。

―― さくら製作所の設立は2014年ですが、起業を決めたきっかけは?

事業の功績が評価されたのか、ちょうど入社8年目に人事異動があり、別の部署への異動を打診されたんです。会社としては、事業を組成できる能力があるからこそ、もっと単価が高い市場で収益を上げてほしいと考えてのことだと思いますし、実際、キャリア的にもいい人事だったと思います。でも、自分の中にはもう止められない思いが湧き上がっていたんですね。

とはいえ、起業したくても莫大な初期費用がかかるので悩んでいたところ、ワインセラーとは別の事業で組んでいた中小企業の社長さんから投資の申し出をいただいたんです。実は、過去にこの社長さんと海外企業との間でトラブルが起きたとき、債権回収のサポートをしたことがあったんです。そのとき回収することができた数千万円を原資として提供するから挑戦してみれば、とありがたい提案をいただき、2014年にさくら製作所を立ち上げました。

いかがでしたか? 後編では2温度式ワインセラーの開発秘話や技術について、さらに今後の展望を聞いていきます。お楽しみに!

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