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ライフプランナーになって得られるのは時間・経済・心の自由【AMT 瓜生寿子】

今回は、エージェンシー・マネージャー・トレーニー(以下、AMT※) 瓜生寿子(ウリウヒロコ)への取材。

前職について「満足度120%と言えるほど、大好きな会社でした。」と語る瓜生。

『この一錠が必ず誰かを助ける』と誇りを持ち、勤め続けた大手製薬会社のMR職を辞し、

なぜプルデンシャル生命に転職したのか。

1本の電話から始まった、瓜生の転職経緯、今、そして未来について聞きました。

※AMT:支社長に就任する直前の職種

―――自己紹介をお願いします。

瓜生寿子と申します。

2014年3月にプルデンシャル生命に入社し、4年間ライフプランナー(以下、LP)を経験した後、営業所長を経て、現在はAMTとして本社で研修を受けております。


―――前職は、どのような仕事に就いていたのでしょうか。また当時の様子も教えてください。

前職は、新卒入社した大手製薬会社でMR職に就いていました。

私は教育学部 理学科出身なのですが、就職活動を始める頃の選択肢は、教職・大学院進学・一般企業へ就職の3つでした。もし、一般企業へ就職するならばこの企業と思ったのが前職のみだったので、選考も前職1社だけしか受けていません。

ご縁があり入社に至った後は、『この一錠が必ず誰かを助ける』と誇りを持ち、最高の仕事だと信じ、日々仕事に邁進していました。


――― 一見すると充実した日々だったようにも思われますが、どこで転機のタイミングが訪れたのでしょうか。

26歳の時、患者さまから感謝の言葉を綴ったお手紙を頂きました。非常に嬉しかったことを、今でも覚えています。

しかし、通常、MRが患者さまから直接お手紙頂くということはありません。お顔もわからない方からの感謝の手紙…ふとその時、「私は誰のために仕事をしているのだろう。」そんな疑問が芽生え始めました。

またその手紙の宛名は、「●●薬品の方へ」と記されていました。患者さまは担当MRの名前をご存知ないため、当然のことです。

しかしそれによって「“瓜生さん、ありがとう”と、直接言ってもらえるような仕事をしたい。」と気付いてしまったんです。

「“自分が販売したモノがきっかけで救われた人”と直接顔を合わせることができる仕事って何だろう…。」そんな気持ちが膨らみ、転職を考え始めるに至りました。


―――プルデンシャル生命と出会う前に一度転職を考えるきっかけがあったのですね。その後すぐにプルデンシャル生命に転職したのでしょうか?

まだその時は、プルデンシャル生命との縁はなく、個人で転職活動に取り組んでいました。

転職活動を通じて色々な会社を目にしましたが、やはり当時勤めていた会社よりも魅力的だと思える会社には出会えませんでした。今でも本当に素晴らしい会社だったと思っています。

改めて当時勤めていた会社の魅力に気付かされたため、“骨を埋める覚悟”を決め、以前のように仕事に邁進する日々を送ることとなりました。


―――その後、どのようなきっかけがあり、プルデンシャル生命に転職したのでしょうか。

プルデンシャル生命との出会いは、そこから更に3年の月日が経った29歳の時。

当時、プルデンシャル生命の営業所長だった早川さん(現、青山第一支社 支社長)から突然お電話を頂いたことが始まりでした。当時の私は、取り付く島もなく「転職する気はない」と、お断りの旨をお伝えしました。

しかし、その電話がしつこくて(笑) しかも、嫌味がない(笑)

結局、1ヶ月後に一度お会いする約束をしてしまいましたね。


―――初めて早川さんと会った時、心動くようなことがあったのでしょうか。

最初は出身大学や高校の時に取り組んでいた部活など、当たり障りのない話から始まりました。

しばらく会話が続いた後、早川さんから「瓜生さんって、今のような、人に決められる人生って楽しい?」と言われてしまったんですよ(笑)

多少癇に障ったこともあり、「どういう意味でしょうか?」と問い返したのですが、その後の早川さんのお話に対し、全くぐうの音も出なかったんです。

「どういう意味でしょうか?」という私の問いに対し、早川さんは「瓜生さんの評価は何で決まるんですか?」と聞き返されました。私は当然のように「営業成績です。」と答えます。

「目標は、自分で決めるの?」と聞かれ、「決めていないです。」と返答。

その後もいくつか質問を投げかけられ、私はすべての質問に対して事実をありのままに回答しました。

その結果、“働く曜日・時間・給料・場所…。全部誰かに決められた人生を歩んでる”と感じ、何も反論できなくなりました。

さらに早川さんは、重ねて私に問いかけてきました。

「働く時間、働く相手、商品、場所、評価、そして給料も自分で選べる会社があるとしたら、なぜ知ろうとしないんですか?」と。

「仕事のために人生を生きるのでなく、人生のために仕事をしませんか?」と。

私は、満足度120%だと言うほど、新卒で入社した会社が大好きでした。それ程だったにも関わらず、早川さんと出会った5ヶ月後にはプルデンシャル生命に転職していました。

当時はただ『知らなかっただけ』だったんです。

早川さんのお話を通して“何のために仕事するのか”という神髄に気付いたことで、LPの仕事に挑戦してみたいという想いが湧き、「自分の人生は自分で背負うのだ」と確信したので、迷わず転職を決意しました。


―――“人生”に触れたお話が、瓜生さんの琴線に触れたのですね。続いて、LP時代の活動のご様子を教えてください。

最高のLP時代でしたね。何の憂いもなかったです。私自身、前職時代から保険という商品について『良いものだ』という認識を持っていました。そのためLPとして活動した時に、保険不要論やネガティブな言葉を耳にしても1ミリも気にならなかったです。

また、転職を考え始めるきっかけとなった「私は誰のために仕事をしてるのか?」という点が明確だったこともLPの仕事に熱中できた理由です。

本当に必要としている人に直接お会いし商品をお届けできること、さらに直接感謝の言葉を受け取れること、そして最後には自身の報酬にもつながってくる。

「LPという仕事は、なんと楽しいのだろう!」と日々感じながら取り組んでいました。


―――LPという仕事は、瓜生さんにとってまさに天職だったのですね。続いて、営業所長時代について伺います。営業所長時代にメンバーと接する際、気をつけていたことや意識していたことはありますか。

『明るく居ること』『ポジティブであること』『高い目標を掲げられる人間であること』この3つは、どんな時でもブラさないよう心がけていました。

これら3つは、私がLPだった頃に早川さんが体現されていた姿勢です。

例えばアポイントの日にお客さまからの電話が鳴ると、普通はキャンセルのご連絡だと思ってしまいます。しかし早川さんは、「追加のご契約の相談かも!」と、ポジティブに電話に出るよう促してくれました。

予想通りキャンセルだったとしても「時間ができたね!既契約者さまのフォローができるね。」なんておっしゃるんですよね(笑)

LP時代は、そんな早川さんに何度も救われてきました。

だから私が営業所長になる時は、“そういう人間にならなきゃいけないな”と思っていましたね。


―――LP時代は何も憂いもなく活動していたとのことですが、営業所長時代はいかがでしたか?

営業所長時代は、99%つらかったです。

ただ、つらいことが99%もあるから、残りの1%の喜びや楽しさがとてつもなく輝いて見えるのかもしれません。

営業所長としての任期も残り半年となった時、ある先輩が営業所のみんなに「残り半年で瓜生に花道をプレゼントしよう」と他のメンバーに声をかけてくださりました。皆が一丸となって活動した結果、予定より2か月ほど早く当初の目標を達成し、その後さらに上の目標を掲げ、その目標すらも達成してくれました。

採用したLPたちが「瓜生さんのために」と頑張ってくれる姿を見た時、本当に幸せだなと感じました。

|(左)営業所メンバーと旅行した際の写真 (右)大きな目標を達成し、支社卒業の花道を飾ってくれた


―――素敵なエピソードですね。続いて、瓜生さんの夢や成し遂げたいことを教えてください!

10年・20年前は、LPという仕事自体が特殊であり、プルデンシャル生命のLPになることに希少価値があったように思います。しかし、働き方や社会情勢が変わった今、時間や経済的な自由が手に入る会社は珍しいものではなくなりました。そんな中、LPは、選択肢の1つでしかありません。

だからこそ、LPという素晴らしい仕事をもっと知ってもらいたい。

「LPという仕事に就きたい」と言われるぐらい、その魅力や市場価値を支社長という立場から引き上げていきたいと思っています。


―――プライベートについてはいかがでしょうか?

仕事が趣味であり、生活の一部である私にとって、「プライベート」と言われると難しいのですが、いつか成し遂げたいと思い描いている夢は、『宇宙旅行』です。

プルデンシャル生命で働いていれば、絶対、叶えられると思います。

また、この宇宙旅行を通して、夢を叶える親(自分)の姿を子どもに見せたいとも思っています。夢を叶えた親の姿を見ることで、「何歳になっても夢を叶えていいんだ。叶えられるんだ。」と思える子に育って欲しいですね。

実はこの考えを持つきっかけとなったのは、母の影響です。

母は25歳で結婚して以来、ずっと専業主婦でした。そんな母が46歳の時に「夢を叶えたい。」と言い、2年間学校に通い、税理士になりました。そして、70歳を迎えた今でも現役で税理士をしています。

中学生の時に、夢を叶えた母の姿を見て「夢って何歳でも叶えていいんだ。」と思えることができました。ただ今振り返ると、社会人になった途端、せっかくの夢を捨て、日々の仕事に忙殺されていましたね。

“何歳になっても夢を叶えられる”そのことに改めて気付かせてくれたのが、プルデンシャル生命です。


―――最後に、転職を考えている方、この先のキャリアに迷われている方に一言お願いします。

人生1度きりです。

しかしその人生は、仕事をやるための人生ではありません。

仕事は、人生をより良くするための“手段”であるべきだと思います。

今の仕事になんとなく納得できていない方

生まれ変わった時は、別の企業に勤めたい、違う働き方をしたいと思っている方

子どもには自分と違う仕事に就いて欲しいと願っている方

そんな感情や思いを抱く仕事を、あと何年続けるのでしょうか?

そのような感情や思いを抱いているのであれば、まずは一度足止め、自分の人生について考えて欲しいですね。多くの人はいつも仕事を優先して考えてしまいます。

自分の人生について考えた結果、「この仕事をやるんだ。」「だから仕事を変えるんだ。」と、

一歩踏み出してもらえれたら嬉しいです。

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