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余命半年だと言われたとしても、生き方を変えない。そう思える人生を送る。【営業所長 堀田遥介】

今回は、大阪第十支社で営業所長を務める堀田遥介(ほったようすけ)へのインタビュー。

誰もがうらやむキャリアからプルデンシャル生命へと人生の舵を切った堀田。

しかし取材では「うしろめたさや悔しさが残る過去が人生のピークだなんて、めっちゃかっこ悪いと思ったんです。」と、自身の過去を振り返りながら話してくれた。

なぜ堀田は安定やブランドを捨ててまで、転職を決断したのか。

高みを目指し続ける、堀田の軌跡と人間的成長に迫ります。

―――自己紹介をお願いします。

2014年京都大学を卒業後、メガバンクに入社し、2016年7月にプルデンシャル生命に転職しました。その後、2018年4月に営業所長に就任しました。


―――前職での仕事の様子とプルデンシャル生命を知ったきっかけを教えてください。

前職では150社ほどの中小企業の営業を担当していました。150人もの代表取締役とお会いする中で、勉強や成長の機会も得られ仕事そのものにやりがいや充実を感じていました。

営業成績においてもそれなりの成果を残せており、給料や肩書にも満足していました。

プルデンシャル生命を知ったのは、大学時代のアメリカンフットボール部の友人から「保険の話を聞かないか?」と声をかけてもらったことがきっかけです。

最初は話を聞くだけのつもりだったのですが、魅力的な保険だと感じそのまま加入まで話を進めてしまいましたね(笑)


―――転職に至るような動機は無かったようにも思いますが、どのような心境の変化があったのでしょうか。

2回目の保険商談の場に、私が転職をするきっかけを作ってくださった営業所長(現支社長)が同席していました。営業所長との会話の中で「堀田さんの人生のピークはいつですか」と聞かれた私は、「大学時代、アメリカンフットボールに取り組んでいた時」と答えました。

「なぜそんな質問をするのだろう?」と疑問に思いつつ、同じ質問を問い返しました。すると営業所長からは「今です」と、思いもよらない言葉が返ってきました。

営業所長の言葉の意味を掴めなかった一方で、その一言に衝撃を受けたことを今でも覚えています。

さらにその後、CIP(キャリア・インフォメーション・プログラム)と言われる、会社説明に参加した際、当時の支社長にも「人生のピークはいつですか?」と興味本位で聞いてみましたが、支社長も間髪入れずに「今です」と回答されており、非常に驚きました。

もし、営業所長・支社長と同年代にあたる自分の身近な人たちに同じ質問を投げかけても、「今」という回答が返ってくる気がしませんでした。さらに自分に置き換えた時、20年後も変わらず「人生のピークはアメリカンフットボールに取り組んでいた時」と答えるのではないか?と思うと愕然とした気持ちにもなりました。

と言うのも、私にとってアメリカンフットボール部時代の想い出は、決して華々しいものではありませんでした。当時は日本一を目指し24時間365日アメリカンフットボール漬けの毎日でしたが、“本当にやり切ったのか?”と振り返ると、自信を持って『YES』と答えられるのか…さらに大学の最終戦は、録画したビデオを1年半もの間、観返せないほどの散々な結果。

前職を選んだ理由の一つも、アメリカンフットボール部のOBが少ないからという後ろ向きなものでした。コンプレックス・うしろめたさ・悔しさが残る過去が人生のピーク、と答えた自分がめっちゃかっこ悪いと思ったんです。

この時の「人生のピークはいつですか?」という営業所長からの問いは、当時の私に大きな気付きを与え、人生を大きく変えるきっかけとなりました。


―――充実し、安定も約束された環境下での転職に、迷いはなかったのでしょうか。

実は営業所長との出会いから2日後には、直属の上司に会社を辞めたいと伝えました。

この話だけ聞くと決断力のある人間の転職ストーリーだと思いますよね(笑)

しかし実は辞めると言い出すまで、ずっと“辞めない理由”を考えていました。「まだまだ学ぶことがあるのではないか」「せっかく手に入れた大手企業勤務というキャリアを捨てる意味はあるのか」など、丸二日考えましたが、「独身の今ですら辞める決断ができないのであれば、今後一生決断できないだろう」という思いが強くなり、辞職を申し出ました。明確な理由はありませんでしたが「一生、銀行に居続けるという選択肢はない」と思ったんです。

その時はまだプルデンシャル生命の面接を受ける前ではありましたが、銀行を辞めることだけは先に決めてしまいましたね。その後すぐにプルデンシャル生命の面接を受けましたが、まだ転職に踏み切れない自分も確かにいました。周囲からも散々反対されました。「理解できない」とか「もったいない」とか…親からは「保険屋にするために京大に行かせたわけじゃない」とも。

しかし自分の心に火をつけてくれて、一歩踏み出すための背中を押してくださったのが営業所長(現支社長)でした。そんな営業所長についていくことが筋だろうと転職を決意しました。


―――入社前後で会社や社員に対するイメージの変化はありましたか?

銀行を辞める時は「これから修羅の国へ行くんだ」と思っていました(笑)。ライフプランナーとは、周りに何の助けもない、一人きりで奮闘する仕事だとイメージしていたのです。しかし、いざ入社すると仲間がとても多くて驚きました。そして自由でした。会社から指示されて動くことはほぼなく、自分の裁量で働くことが出来る。心置きなく自分自身のアクセルを踏める環境で、修羅の国どころか、肩から翼が生えたような気分でした。

順調に業績を伸ばし、社内コンテストの表彰式に両親を招待すると、役員の話を聞いた母が泣いていました。転職前は猛反対でしたが「良い会社に入ったね」と言ってくれたので、その時改めて「転職して良かった」と思いました。


―――ライフプランナーのままキャリアを歩む選択肢もある中で、なぜ堀田さんは営業所長になる道を選んだのでしょうか。

営業所長になったきっかけは、自分を採用してくれた所長が支社長に挑戦する時に一緒に来て欲しいと声をかけてくださったからでした。

当時はまだ入社して1年も経っていない時だったため、実感が湧きませんでした。

ただ自分が40歳・50歳になった時、自分よりも若いお客さまに保険のご提案をした際に「一生涯担当します」とは言えないな、と思っていました。

人生は何が起きるか分かりませんが、順当に考えたら私のほうが先に寿命を迎えます。もちろん一生涯担当したい気持ちはありますが、実現し難いことですよね。

お客さまを一生涯担当するのであれば、自分の想いを継承した後継者を育てていく必要があると感じました。採用・育成を担う営業所長であれば、自分のDNAを継ぐライフプランナーを育てることができ、本当の意味でお客さまを一生涯担当できると思い、営業所長に挑戦する道を選びました。


―――営業所長にはライフプランナーと違った魅力もあるかと思いますが、堀田さんが思う営業所長の魅力を教えてください。

正直ライフプランナーのほうが楽しいですね(笑)

ライフプランナーは、自分の行動がすぐ成果として現れます。私もライフプランナー時代は上場企業の経営者をはじめ、様々な方との繋がりを得られ、刺激を受ける毎日でした。

一方で営業所長の仕事は、結果や成果が表れるまで非常に長い時間を要します。また自分が良かれと思った行動も、実はメンバーに負担を感じさせてしまっていることもありました。これまで2度ほど、辞めようかと悩んだこともあります。

その時に相談に応じてくれた本部長から「他の人のために考え悩めるなんて幸せじゃないか」と言葉をかけていただきました。確かに人のために悩んだり考えたりできる仕事なんて、そうそう就けるものではないですよね。

また営業所長は、誰かの人生にひとつのきっかけを与えてあげられる仕事です。時には目の前の人の人生が、自分と出会ったことで大きく変わる瞬間に立ち会えることもあります。他に探しても人の人生の境界に立ち会えるような仕事は、なかなかないのではないでしょうか。


―――プルデンシャル生命の営業所長ならではの魅力ですね。ではライフプランナーの仕事を通じて得られるモノ・コトは何だと思いますか。

『人間的成長』ですね。

田坂広志さん(多摩大学名誉教授)の著作の中に『人間的成長は、決断と挑戦によってのみもたらされる』という言葉があります。

日々の生活の中で本気で決断・挑戦しなければならない機会なんて、多くの人の場合ほとんど得られないかと思います。

しかしライフプランナーは、「今自分が何をすべきか」「どういう一歩を踏み出すべきか」など、日々・都度自分で決断し、新しいことへの挑戦を繰り返さなければ、続けられない仕事です。

ライフプランナーという仕事を通して、決断と挑戦を繰り返した結果、数年後には自分でも想像できなかった人間に成長することができます。


―――堀田さん自身も成長を感じましたか。

大きく成長したと感じます。

がむしゃらにアメリカンフットボールに取り組んだ大学時代は実際に経過した時間が4年間でも、15年間ぐらいに感じています。一方で帰宅部だった高校3年間は、15秒ぐらいで振り返れちゃうんですよね(笑)前職の銀行は2年間務めており、相応の体感年数です。

しかしプルデンシャル生命での半年は7年ほどにも感じられました。不思議なことに、商談の場でもデビュー半年にも関わらずお客さまから「7年目くらいに見える」と言われたことがありました。ライフプランナーの仕事を通じ、お客さまをはじめ周囲に伝わるほど、濃度の濃い成長が得られたと感じています。


―――考え方や生活スタイルにも変化はありましたか。

めちゃくちゃ変わりましたね。

私がライフプランナーになった当初は、他責ばかりでした。しかし他責にしていたら、何1つ成長できないと気付き、全て結果は自分の行動から生まれていると考え、行動を改善できるようになりました。

また生活面でも社長杯(社内コンテスト)で営業所日本一になるまでは断酒すると決め、毎日の飲酒も断ちました。大好きなラーメンも食べなくなりましたね。

今は本を毎月100冊ほど読むことと、毎朝5時に起き30分のウォーキングと軽いジョギングがルーティンになりました。日々の習慣にも変化を感じています。


―――大きな変化ですね。なぜそこまで考え方や行動に変化をもたらすことができたのでしょうか。

人生1回しかないのであれば、人間の持つ潜在能力をフルに発揮し尽くしたいと思っています。

“堀田遥介”という人間をどこまで高められるかを突き詰めるため、パフォーマンスが低下する要因をどんどん削ぎ落としてった結果、今の生活スタイルになりました。

実はプルデンシャル生命に入社する前は、今より30キロ以上も太っていた時期があります(笑)体型だけではなく、昔の写真を見ると我ながら別人のようだと感じます。プルデンシャル生命の面接の時、当時の営業所長に「顔つきは仕事が作る」とお話いただきましたが、その言葉を、今まさに実感しています。


―――今の堀田さんを見ると、まさに体現されていると感じます。

「あなたの人生のピークはいつですか」という言葉が堀田さんの人生を変えたとお話しくださいましたが、今改めて「あなたの人生のピークはいつですか」と問われた時、堀田さんは何と答えますか。

もちろん“今”ですね。

私は「自分が余命半年だと言われたとしても、生き方を変えない。そう思える人生を送る。」という人生理念を掲げています。

今まさに自分の掲げた理念に沿った人生を歩んでいると感じるからこその答えですね。

例え今、余命半年だと言われても、きっとこの仕事は辞めないと思います。


―――ありがとうございます。

最後に、転職を考えているもしくはキャリア選択に迷われている方に一言お願いいたします。

いつも私は候補者の方に、「決断には、正解も不正解もない」と伝えています。というのも、私が7年前に転職すると決めた時、ほぼ100%近くの人から反対を受けました。

しかし当時転職に反対した人たちが今の私を見た時、「堀田ならできると思っていたよ」と言うんですよね。

もし今の私が輝いていなければ、「あの時転職するべきではなかった」と言われてしまうでしょう。そして今輝いていたとしても、1年後・3年後・10年後に輝きを失っていれば、やはり同じことを言われてしまうと思います。

ということは、7年前の私の決断そのものに正解や不正解はありません。あるのは、“決断した”という事実だけです。その決断を正解にするために、今頑張るだけです。

今の仕事を続けるのも、新しい道にチャレンジするのも決断です。その決断に正解や不正解はありません。転職を考えているもしくはキャリア選択に迷われている方は、ぜひ自分の決断が正解になるように、奮励努力していただきたいですね。

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