プロディジは社長の山嵜が38歳のときに起業して作った会社です。なぜ創業をしようと思ったのか、その時のことを改めて聞いてみました!
なぜ会社をつくろうと思ったのですか?
きっかけは“やりつくした感”。技術者のお年頃みたいなものですよ。「一人で何ができるのかな?」と考えていたし、いちプログラマーとしての限界も感じていたので。
それで、かみさんに「俺、社長やるわ」って言ったら、「やるならやれば」って。当時は子どもが4歳だったんだけど、不安もなかったんですよね。
昔仕事で知り合った社長さんに相談をしたら、やってみろと背中を押してくれて、仕事も発注してくれました。
初めての仕事は?
パチンコの制御システムでしたね。創業以来、パチンコの仕事はずっとやってきています。
その時の社員は?
僕と正社員が1名。起業する前の会社で自分が教えていたプログラマーがついてきてくれて。相談にのってくれた社長さんの会社の東京支社に間借りをさせてもらって始めたんです。
フリーランスではなく、会社を作ろうと思ったのはなぜ?
技術者が楽しく、ずーっと、技術者として健全にやれるような場所を作りたかったんで、会社をつくる以外の選択肢を考えてなかったんですよね。
健全というのが何かは、今でもわからないし、当時もわからなかった。ただ、自分が18年間やってきた働き方が健全だとは思えなかったから。
それに一回やってみたかったんでしょうね。そのタイミングが38歳だったと思います。
ぶっちゃけ大変なこともありました?
もちろん。プログラマー時代にはないプレッシャーを感じました。給料日に社員の給料を振り込まなきゃいけないとか、数字を間違えちゃいけないとか。
ちょっと精神的に病んだときもあったけど、僕を救ってくれたのは「リズム天国」でしたね。やっぱりゲームはいい。
ゲームで救われたんですね。これからもIT技術者としてずっと生きていこうと思われますか?
“プログラマー40歳定年説”ってあるでしょ。僕も起業したときはそう思っていて、「もうひとりでやることってあんまりないなぁ」って。40歳になったら仕事がなくなるのも重々承知のうえで、でもモノ作りに関わってはいたいと考えたときに、関わり方はたくさんあるわけですよね。プログラマー、ディレクター、経営者とか、株主だってそう。
ずっとプログラマーという意味ではなく、年齢にあった立ち位置で生きていきたいと思うんです。僕は小さいころからITが好きで、この業界以外は考えられないから、死ぬまでこの業界で仕事できるのが1番幸せだって思っていますよ。
山嵜社長、ありがとうございました!