はじめまして!プラップジャパン2024年入社予定の清水、高崎、栗田、川原です。
プラップジャパンのパーパス「あしたの常識をつくる。」、なぜこのスローガンを掲げているのか。
今回私たちはプラップジャパンの歴史を知るために、「歩く歴史」と言われている茅島秀夫さんに、これまでについてお話を聞きました!
この記事を通して、プラップジャパンへの理解を深めていただけたら嬉しいです。
会社の沿革はこちらに記載してあります。この記事では、より具体的な内容をお届けさせていただきます!
■内定者プロフィール
・栗田:コロナ禍でも東南アジアに行きたい欲が抑えきれず、タイ料理屋さんでアルバイトを始めるほどのアジア好き。最近はアジアエンタメ攻略に奮闘中。大学ではメディア系の学科に所属し、主に広告、広報・PRについて学ぶ。
・清水:何事も気になったら調べずにはいられず、話題のアニメや漫画にはすぐ飛びつくミーハー人間。熱狂的なチョコミン党で、常にチョコミントスイーツ情報にアンテナを張っている。大学では英語の勉強に注力し、10ヶ月間ほどカナダに留学。
・川原:美味しいものには目が無く、常に美味しいご飯屋さんを探し中。大学ではフリーペーパーサークルの代表をしたり、1年半ほどSDGs関係のベンチャー企業で長期インターンを行う。SDGsをはじめとした様々な社会問題に興味があり、ゆくゆくはPRを使って問題解決の一助となるような仕事をしたいと考えている。
・高﨑:バイト代はほとんど旅費にあてるほど大の旅好き。大学に入ってから数えきれない国内と、8カ国を旅した。イタリアのポリニャーノ・ア・マーレがイチオシの場所。大学ではミスコン運営団体の幹部を務め、画像・動画編集をメインで担当していた。
■茅島秀夫さんのプロフィール
千葉大学教育学部を28歳で卒業。在学中、平和運動や障害者運動のボランティアに参加。共通の知人を通して創業者の矢島さんと出会い、1984年プラップジャパンに入社。2005年に「プラップ大学」を社内で設立し、初の教授となった。2011年から2018年まで上海オフィスに駐在。帰任後、中国進出企業の広報支援を行う。2020年から現在まで慶應義塾大学のメディア・コミュニケーション研究所で寄附講座の講師を担当している。
プラップジャパンの創業背景
株式会社プラップジャパンは1970年に矢島尚(ひさし)さんが創業した、今年で54年目となる歴史のあるPR会社です。
矢島さんがPRと出会ったのは大学生のとき。慶應義塾大学の新聞研究所(現メディア・コミュニケーション研究所)でPRを知り、PRが「企業の経営戦略を担うコミュニケーション」になると確信したといいます。そこでPR会社に入社。しかし、自分が思い描いていたPRとは違うとして1年で退社、フリーで仕事をしていました。
そこで出会ったのが、玉川髙島屋ショッピングセンターです。矢島さんは、館内ポスターや新聞広告の制作、CM制作など様々な業務に携わります。
当時は平日昼間のお客さんが少なく、ショッピングセンターを運営するデベロッパーの東神開発が対策を考えていました。そんな中、この場所が成城、上野毛、田園調布の「ゴールデントライアングル(黄金の三角地帯)」の中心であることが矢島さんの頭から離れませんでした。ここはいずれ、この地域の文化を代表する場所になっていく。そう考えていた矢島さんは、東神開発に様々な提案をしていきます。仕事が増えていく中で東神開発から会社にすることを勧められ、1970年にプラップジャパンを設立します。
ゴールデントライアングルには子育てを一段落したお洒落な女性たちが大勢いました。その女性たちが平日に来てお買い物をしてくれれば、平日来店者が少ないという問題が解決するだけでなく、このショッピングセンターが地域ブランドを代表する場所になるのではないか。そう考えた矢島さんは、ショッピングセンターを「モノを売る場所」という役割だけでなく、「地域とつながる(関係構築をする)場所」としての機能を提案します。
「コミュニティクラブたまがわ」―社会人を対象とした常設の教養講座カルチャーセンターです。当時、新聞社などのカルチャーセンターが流行っていましたが、矢島さんは“たまがわ”というブランドを意識し、この地域にしかない講座を次々と創っていきました。当時のトップシェフや今も活躍されている平野レミさん等が講師となる実習をしない料理教室や上流階級で楽しまれているコントラクトブリッジの教室、著名声楽家を迎えた合唱クラス、美大の教授が教えるエッチングやシルクスクリーンの教室、立教大学社会人入試を受ける人のための講座など、ここでしかできない講座を誕生させ、地域の女性たちに学び直しの場を提供。また「クリエイターズバンク」という、技術を身につけた人に逆に講座を持ってもらったり、販売する機会を与えたりもしていました。
他にも成城、上野毛、田園調布に住む素敵な会員を、PR誌『たまがわ』の表紙モデルに起用するなど、徹底してたまがわブランドを意識した活動を続けていきました。ゴールデントライアングルという商圏に合わせたテナントを集めるだけでなく、彼女たちの暮らしを豊かにするカルチャーセンターを作り、平日昼間に過ごす第三の空間としてのショッピングセンターを提案していったのです。
この「たまがわ」の状況をプラップジャパンが女性誌やテレビ、新聞などメディアを通じて発信していくうちに上品でオシャレ感度の高い素敵なミセスを体現した女性として「たまがわミセス」という言葉がメディアの見出しを飾るようになりました。この「たまがわミセス」は、日本のオシャレミセスを代表する言葉として定着、沖縄や北海道から飛行機に乗って授業を受けるオシャレミセスも出てきました。
矢島さんの言葉が残っています。(実際に音声を聞かせていただきました!)
「ショッピングセンターの社会的な責任って何だろうって考えていくと、40年前と20年前と今とではやはり微妙に変わってきてる。地域と繋がり、いろんな人と人がつながる機会を作っていくことが、役割の一つなんではないかと思う」
矢島さんは経営者になってからもプレイヤーの部分が大きくある人だった、と茅島さんは教えてくださいました。他の社員に任せて、それをサポートしていますが、後から後からアイデアがあふれてきて、ブレストにも参加し、自分がこれだと思ったアイデアをどんどん社員に提案していきました。一方で、いつでも社員を見守る父親のような側面もあり、社員の提案が良いと思ったらすぐに実行する経営者だったそうです。
茅島さんの上海駐在が始まったばかりの2011年12月31日、茅島さんが上海から新年のあいさつをメールで送ると、すぐに次のようなメールが返ってきたそうです。
「辛い時は玉川時代を思い出してください。昔の純粋な気持ちを忘れず、誰にでも謙虚な気持ちで接してください。仕事は結局、人間同士の信頼関係の構築だと思います。茅島君が一生懸命、仕事をすれば必ず報われます」
この1年後の2012年12月29日、矢島さんは亡くなります。
社長室には「誠実」と書かれた額がいつもありました。矢島さんのその思いは今でもプラップに受け継がれていると茅島さんは語ってくださいました。
「あしたの常識」をつくり続けてきたプラップジャパン
これまでの歴史の中で、プラップジャパンはPRの力を活用し、パーパスでもある「あしたの常識」をつくり続けてきました。
盲導犬を連れてお店に入ることができなかった時代に、盲導犬育成キャンペーンを行い、盲導犬は単なる動物ではなく、大事な仲間であるという認識を広め、障害者の方と盲導犬が一緒に入店ができるようになった事例、集合住宅でペットを飼うことができない問題に対し、コンパニオンアニマル(一方的な愛情の対象としてではなく、人間と生活を共にするような、より親密な関係の動物)の考え方を広めるほか、集合住宅でのルール作りなどを進めた結果、ペット可のマンションが増えた事例があります。
これらは問題を解決するために、当時当たり前ではない考え方であったものを広報・PRの力で、人々に受け入れられるように活動した例です。次第にその新しい考え方が、人々にとっての当たり前、常識になっていく、「プラップジャパンに今のパーパスがなかった時代も、社会にとってのあたらしい常識をPR会社として作っていたという実績がたくさんありました」と茅島さんは語ってくださいました。
また1997年、日本のPR会社で初めて中国に支社を作るなど海外展開にも力を入れるのと同時に、企業のメディアトレーニング(メディア対応スキル習得のための実践的なプログラム)を始めました。企業や団体だって主張はしたい、しかし主張の仕方やメディアへの対応が反感を買うこともあるというような問題に対し、メディアトレーニングを行うことで企業や団体の「主張したい」を実現させてきました。
そして、広報・PRは一度で終わりというものではありません。同じものを別の角度から取り上げたり、その時の社会環境や話題に合わせて情報発信をするなど、継続的なコミュニケーションを行うことで、人々の行動様式が変わったり、あたらしい常識となったりするという事例がプラップジャパンにはたくさんあると言います。
数々の事例の成功により、社会でプラップジャパンが話題になった頃、社員のための「プラップ大学」を設立しました。先輩社員が自分の経験を共有したり、PRプラン作成ワークショップを開催する中で社員の学びと成長を支援する体制を創りました。
プラップジャパンの歴史を伺う中で、広報・PRについて茅島さんは「必ずしも文化や考え方、歴史がイコールには絶対ならないわけで、イコールにはならないけどもお互いに認めるところと、解決しなければいけない問題二つを共有しながら、いい関係を作っていくのが広報・PRであり、その相手をどう変えるかということではない」と語ってくださいました。
今後のPR・プラップについて
次に、茅島さんに改めてPRの定義を伺いました。
今までは、広告と広報(新聞社やテレビ局へのパブリシティ)を通して、企業から生活者への情報発信を行っていました。しかし現在は、SNS、オウンドメディア、インフルエンサー、プレスリリースの一般公開など、企業と生活者が直接繋がる手段が多様化しています。つまり、情報発信環境/コミュニケーションチャネルが変化しているため、どのように相手に伝えてモノを買ってもらうかが大事になります。
さらに詳しく、どのようにコミュニケーションチャネルが変化しているかについてですが、PESOモデルというものがあります。
特に3(Shared Media)と4(Owned Media)が新しいモデルで、企業SNSの”中の人”という言葉が一時期流行ったように、Shared MediaやOwned Mediaを攻略することが、広報にも要求されています。
また、マーケティングと広報の違いについても、お話ししてくださいました。
マーケティングは、商取引を成立させるための仕組み作りです。人々が望んでいることから製品を開発し、4P(製品、価格、流通、販促)戦略を立て、作ったら黙ってても売れる、というのがマーケティングです。
一方で広報は、”関係構築”です。つまり、メディアとの関係構築、あるいはニュースを通じて人々との関係を構築することです。そのため、広報がマーケティングと異なる点は、モノが売れることが大事だというよりも、商品やサービスそのものの良さを理解してもらい、ファンになってくれる人たちが増える(企業との関係構築をしていく)ところに重きを置いているところです。
しかし、現在はその境界がなくなりつつあり、広報にもマーケティングの色合いを求めてきていることが多いです。理由の1つに、マーケティングにおけるカスタマージャーニーの変化が挙げられます。
今までは、広告などを通して人々に商品やサービスを知ってもらい、欲しいと思わせ、購買に繋げることが大事でした。また、人々が購買を決定する瞬間やブランドへのイメージを決定する瞬間(Moment of Truth)は、主に、お店に足を運んでみて、実際に商品を見て良いと思ったときや、誰かに紹介されたときなどでした。
しかし、現在はSNSの発達により、購買に至るまでにWeb上で情報を集め、意思決定するZMOT(Zero Moment of Truth)のケースが増えています。また、購買後は自身の体験や感想をSNSでシェアすることも多くなっています。つまり、Web(SNS)の重要性が非常に高まっているということです。マーケティングにおいてZMOTは大切ですが、売ることだけではなく、社会的存在として、現在のコミュニケーション環境を正しくとらえ、誠実に関係構築をしていくことが大切ですとも茅島さんは語ってくださいました。
最後に、2023年に日本広報学会が発表した、新しい広報の定義についてお伺いしました。
広報は、双方向コミュニケーションによって関係を構築する”経営機能”です。
”社会的に望ましい関係”をどのように構築するのか、茅島さんにお話しいただきました。
「例えば、人々が持つ企業のブランドイメージは、企業との様々なタッチポイントにおけるブランド体験によって人々の中で形成されると言います。そのブランドの商品と出会ったとき、お店に入って接客を受けたとき、CMや広告を見たとき、WebやSNSで見たとき、ニュースで報道されたとき、あるいは何かクレームをしたとき等の体験です。その時、どのようなコミュニケーションをしたかがブランド価値が受け入れられる重要なポイントになります。
しかし、コミュニケーションをすれば全ての人に受け入れられるかというと、そういう訳でもありません。その時、どのようなコミュニケーションをするかが大切なのです。
誠実かつ丁寧にコミュニケーションをし続け、誤解があれば説明し、誤りがあれば自らを正す。批判する声にひたすら謝るのではなく、違う部分は違うと明確に伝え、修正する部分は自ら修正する…これが信頼関係を構築するために守るべきことであり、企業のあらゆるタッチポイントで実現されるべきコミュニケーションなのです。
『世の中のあらゆる関係性を良好にする』というプラップジャパンのミッションは、これからの企業のミッションでもあると思っています」と語ってくださいました。
WebやSNSが主戦場となっている中で、”社会と良好な関係を構築する”という視点を持って経営に参加することが、これからの広報に求められると言えます。
最後に
最後までご覧いただき、ありがとうございます。プラップジャパンへの理解は深まったでしょうか。
今回の茅島さんへのインタビューを通して、とても心に残った言葉がありました。
「あらゆる人々がより良く生きられる社会を創ることに貢献するのが、私たちPR会社の仕事だと思っています」
全ての人が必要としているわけではないが、一部の人が必要としていること。つまり、誰かが必要としている問題解決をすることで人々の暮らしやすい社会につながるのであれば、それを応援していくのがPR会社の仕事。まさに「あしたの常識をつくる」に繋がってくると思います。
茅島さん、ありがとうございました。4月から働けるのが、より楽しみになりました!