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〈fan! -ABURATSU-Sports Bar & HOSTEL〉宮崎県日南市の商店街に“ファン”が集うゲストハウスを

リノベのススメ

鬼束準三 Junzo Onitsuka

PAAK DESIGN株式会社代表取締役。1983年宮崎県日南市生まれ。大学進学とともに東京に移住し、大学院、設計事務所を経て、独立したのち、Uターンで故郷に帰る。商店街活性化のための取り組みをしていた〈油津応援団〉を経て、2017年、日南市の飫肥城下町にある建築デザイン事務所〈PAAK DESIGN〉を設立。地域資源を生かした循環型の仕組みをつくることを常日頃考えている。自転車いじりとコーラづくりが趣味。
https://paak-design.co.jp/

写真提供:ワタナベカズヒコ イザキコウスケ パークデザイン株式会社

PAAK DESIGN

はじめまして。
宮崎県日南市で〈PAAK DESIGN株式会社〉という
設計事務所の代表をしている鬼束準三と申します。

PAAK DESIGNは、地元にUターンして4年目に設立した会社です。
設計をしながら地域の課題に悪戦苦闘して向き合っていたところ、
いまでは設計だけでなく、宿泊や物販などさまざまな事業に取り組むようになりました。
大学や設計事務所で学んだ、建築の美しさや先進性を追求することからは
ずいぶん離れているなと感じながらも、
いまでは、設計をベースにどこまでできるかを試している感覚もあります。

そんな建築家やデザイナーとしては邪道とも思える現状や取り組みが、
地方においては、ものすごく大事なのではないかと思うのです。
この連載では、携わってきたリノベーションの事例を通して、
日南市の魅力ある活動や場所や人、まちの変化を伝えられたらと思っています。

第1回は、Uターンしたきっかけから、起業するまでの空白の3年間と、
商店街にオープンしたゲストハウス
〈fan! -ABURATSU- Sports Bar & HOSTEL〉の事例を振り返っていきます。

エントランスロビー兼カフェエリア。

地元の魅力を再認識してUターン

大学を卒業して東京で設計事務所に勤務後、独立し、ひとりで建築の仕事を始めました。
上京して10年ほど経ち、仕事はなんとか続けられる状況になっていた頃、
ふと地元の日南市のことが気になり始めました。
いままで、2〜3年に1度しか帰らなかったのですが、
独立して自由に動けるようになり、年に何度も帰省してみると、
自分は地元のことをなにも知らないのだと自覚していきます。

ひとまず人脈づくりから始めようと、いろんな場所へ出向き、
気になる人に積極的に会いに行くことに。

すると、地元資源である飫肥杉(おびすぎ)のこと、
それにまつわる活動をする〈オビスギデザイン会〉という団体や、
少し前から日南に移住して商店街の活性化に尽力していた人、
そのほかにも、自然の魅力や、磨けば輝きそうな不動産などを含め、
たくさんの遊休資源と出合うことができました。

日南の自然(乱杭野山頂・霧島神社から)。

このいろいろな出会いが、その後の私のUターンを大きく後押ししました。
地元に根を張り、地域の課題と向き合っている人がいたり、
外から来て日南のためにとがんばってる人がいたり、
ふと顔をあげるときれいな自然があったり。

いま、動ける状況にあり、なおかつ地元人である私が
何かできることがあるのではないか、
自分も何か貢献しなければいけないのではないか? と一念発起し、
東京の事務所や家を引き払い、地元に戻ってきました。

日本一組みやすい自治体・日南市

最近の日南市では、日々いろんなことが起こっています。
2013年に崎田恭平さんが当時33歳の若さで市長になったことが話題になり、
就任後は若い民間人を積極的に登用して事業を行い、
商店街活性化事業を成功させたり、10社以上ものIT企業を誘致したり、
伝統的建造物群保存地区の利活用事業を推進したり。
いまでは「日本一組みやすい自治体」と言われたりしています。

なおかつ、海・山・川とすべての自然要素がすごく豊かで、
現在の日南市は日本の中でも「人」と「自然」の資源が豊富な地域のひとつです。

日南の海辺の風景。

美しい飫肥杉林。

奇跡の商店街と言われる〈油津商店街〉と〈油津応援団〉との出合い

そんな日南市が地方創生のモデル都市として注目されるきっかけになったのは、
シャッター街と化していた〈油津商店街〉の再生です。
実は私が東京からUターンしたのも、このプロジェクトがきっかけでした。

再生前の商店街。大きなスーパーが撤退したところから、周辺店舗も衰退していった。

Uターン直後の商店街は、リアルシャッター商店街でした。
古くから続く老舗の商店が残ってはいたものの、アーケードの下を歩く人は、
商店の人を除けば私たち関係者数人だけ。
ここをどう活性化したものかと日々悩んでいたのを思い出します。

商店街活性化は、第1店舗目となるカフェ
〈ABURATSU COFFEE〉を起点に始まりました。
出店したのは、これから油津商店街のまちづくりを担っていく
〈株式会社油津応援団〉です。

私はここに社員として所属することになり、この経験が自分で起業する
PAAK DESIGNのいまのかたちに大きな影響を与えていきました。

関わり始めた当初は、所属はせずに、外から設計者として
商店街や店舗に関わることでサポートできないかと思っていたのですが、
携わっていくうちに、外から関わっているだけでは
あまり物事が進まないことに気がつきました。

内側から課題を明確にすることから始め、
それに対しての解決策を設計者の立場で提示することが必要だとわかったのです。
それが、せっかく東京で独立したのに、また地元で会社員に戻った理由です。

私がUターンして最初に携わったのは、
商店街活性化プロジェクトふたつ目の新店舗となる〈二代目湯浅豆腐店〉。
先代から引き継いだ豆腐販売店の店主が、
「イートインスペースを併設した新しい豆腐屋がやりたい」
ということからプロジェクトは始まりました。

〈二代目湯浅豆腐店〉のプロジェクトでは、飲食メニューの開発、厨房設計、空間設計、ロゴなど、ゼロからの店舗開発のためチーム一丸となって協議した。

老舗の呉服店跡が湯浅豆腐店へ。もともとドアがなかったため、新たに開閉できる店舗ファサードを制作。できるだけ開放的にしながらも、中にいるお客さんが落ち着いて食事ができるようなファサードとした。

それに続き、複数の飲食店の出店と多数のIT企業の進出を、
建築設計としてサポートしていきました。

元化粧品店をIT企業のオフィスにリノベーション。外との境界となるファサードはガラス張りにしながらも、セキュリティを確保し、目線も遮るよう家具のような間仕切り壁を配置。

中核となる3つの施設、多世代交流拠点〈油津YOTTEN〉、コンテナを利用した店舗群の〈ABURATSU GARDEN〉、新しい屋台村形式の〈あぶらつ食堂〉がオープンし、商店街の開発がひと段落したときの様子。

商店街にゲストハウス誕生の秘話

1店舗目のABURATSU COFFEEから始まり、
湯浅豆腐店やIT企業のオフィス、そして中核となる3つの施設がオープンして、
商店街活性化の事業がひと山超えた頃、ひとりの大学生に出会いました。

名前は奥田慎平さん。聞くと、ビジネスコンテストで考えたプランが
優勝したことを機に、商店街の空き店舗を活用して
「カープファンの集うゲストハウス」を事業化したいとのこと。
学生ひとりでそんなことができるの? と思いながら、プロジェクトは始まりました。

自己資金がなくてもできること

商店街内で物件も決まり、いよいよリノベーションの打ち合わせが始まりました。
物件は80坪となかなか広く、要望を聞くと、
ドミトリー、個室を合わせてベッド数は20床程度、
フロントにカフェバーを併設したいというもの。
保健所のルールで、ベッド数によって、
バスルーム、トイレや洗面などの必要数も決まります。

資金はどうするのか心配したところ、主に3つの資金調達計画がありました。
市民や関係者からの出資、クラウドファンディング、銀行からの借入。
市民からの出資があることが
「新しく飛び込んでくれる若者を応援しようという気運があるな」と
おもしろく感じたのも覚えています。

ゲストハウスにリノベーションする前の店舗。居酒屋やバーが入居したあと、2年間くらい空き店舗になっていた。

既存の壁などを解体した段階の空間。

予算が確定しないまま、ミニマムの仕様で設計に進んだものの、
最初に出た見積もりが2000万円。

資金調達の状況を聞きながら減額調整をし、分離発注
(施主がゼネコンや工務店を介さず、専門工事業者と直接契約すること)をしたり、
工法の簡素化や、材料の再選定を行い、最終的に工事費と諸経費、設計料を含めて
1200万円に着地。そこに向けて奥田さんは1000万円近くの出資金を集めました。
これはすごいことです。

その頃には奥田さんの顔つきも本気モードに変わり、
銀行借入も行い、クラウドファンディングも成功させ、資金調達が完了。
地縁のない外から来た学生が、事業計画や、実現させたい思いで、
関係者や地元の方の心を動かし、
工事費、備品代を含め1500万円以上の資金を調達しました。

名古屋から出てきて学生ビジネスコンクールで優勝し、いきなりゲストハウスのオーナーとなる奥田慎平さん。


商店街に建つゲストハウスの構え

物件は、間口が狭く奥行きの長いうなぎの寝床のような建物。
これまで設計を担当してきた商店は、店舗空間をなるべく広く確保するために、
アーケードのギリギリまで店舗空間をとっていました。

ところが、社会が変容し、商店街も衰退して家賃が下がった現在、
そんなに店舗空間を広く確保して、商品や什器、家具を
ぎゅうぎゅうに詰め込んで商売しなくてもよくなりました。

そこで、商店街に対する新しい構えとして、
いままでギリギリまで迫っていた店前ラインを解体し、
3〜5メートルほど奥まらせ、アーケードと商店のあいだに「間」をとることに。

そうすることで、通りを歩く人、店内利用者との間に曖昧な空間ができ、
自由に人が溜まり、自然とコミュニケーションが生まれる空間が生まれます。
また、延焼ライン(防火上必要な措置)からも解放され、
外壁やサッシ、仕上げの自由度が増し、
透明で開放的な店前空間づくりも可能となりました。

こうして、カープファンとまちの人が自然に集まるゲストハウス
〈fan! -ABURATSU- Sports Bar & HOSTEL〉が誕生しました。
オープンの2年後までは、奥田さんに続き学生がリレー形式で店長を務め、
現在は油津応援団が運営を行っています。

ゲストハウスのエントランス。

新たに設けた透明なファサードは、店舗前の空間に「間」をとり、商店街と一体的に利用でき、室内の活動と商店街の活動が混ざり合う場所となる。

このゲストハウスのコンセプトは、名前の通り「さまざまなfanが集うこと」。
油津商店街は、広島カープがキャンプをする球場から歩いて5分程度ということから、
カープファンはもちろん、日南市全体で見ると、
西武ライオンズや横浜FCなどのキャンプも行われ、
それぞれ多くのファンたちが訪れます。

また、日南のファン、油津商店街のファン、ゲストハウスのファンなど、
さまざまなファンが集い、いろいろな交流が生まれるゲストハウスを目指しています。

オープンしてからすぐに広島カープのキャンプが始まり、
赤いユニフォームを着たファンたちで溢れ、県外から来たファンと
地域の人たちのファン同士の交流が、この場所で生まれていました。

その後も、九州を巡るバックパッカーたちや、
「おもしろいことをやってる学生がいるらしい」と聞きつけた学生たちが集まって
イベントをしたり、BBQをしたり、ゲストハウスのお手伝いをしたりと、
いろいろなかたちでの交流が生まれています。

ゲストハウスの夜の風景。商店街を照らす新たな明かりとなっている。

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