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意識はどこにあるのか ~連携としての生命~

人間が「死んだ」と判定されるとき、その基準として心臓の停止が用いられることがあります。しかし、心臓が止まったことそのものが、直接的に死を意味しているのでしょうか。むしろ重要なのは、心臓の停止によって血液の循環が失われ、身体全体を一つにまとめていた連携が維持できなくなる点にあるように思えます。心臓は生命のスイッチではなく、循環を成立させる装置であり、その循環が失われたとき、人間という全体は成立しなくなるのです。この視点に立つと、死とは要素が壊れることではありません。心臓が止まった直後に、すべての細胞が一斉に消えてしまうわけではなく、しばらくの間は生き続けている細胞もあります。それでも私たち...

年頭にあたり ~わかって生きるために~

私は今、人々が本当に求めているものは「意味」なのではないかと感じています。便利さでも、豊かさでも、効率でもない。それらを手に入れた先で、私たちは次に何を支えに生きればいいのか、その答えを探しているように見えます。振り返れば、私たちの社会は長いあいだ「貧しさからの脱却」という側面を強く持ちながら進んできました。貧しいことは苦しいことではあるのですが、それが生きる「意味」としての役割も果たしていました。生き延びるために働く。家族を守るために動く。その行為そのものが、疑いようのない意味を持っていたのだと思います。しかし、ある程度その目標が達成された社会では、生きること自体が前提になります。その...

それって感想ですよね?と問う時代の盲点

「それってあなたの感想ですよね?」という言葉を耳にするたび、胸の奥に小さな違和感が生まれます。なぜこの一言がここまで引っかかるのかを考えてみると、単に議論を止められたというだけではなく、自分の「世界の受け取り方」そのものが切り捨てられたように感じてしまうからです。このフレーズは、ひろゆき(西村博之)氏がネット上の議論で使った挑発的な物言いとして広まり、「論破」文化とともに若者の間で強い人気を得ていると言われます。論理のほころびを突くには便利な言い回しですし、相手を言い負かす快感を求める人にとっては非常に使いやすい表現なのだと思います。しかし私は、この言葉の背後に、現代社会の認識の偏りが透...

日本人はひとつになる力を忘れていない

ドラッカーは、日本を「同化の力をもつ稀有な民族」と評していた。外から入ってくる制度や文化を、混乱させることなく日本の文脈へ統合し、社会全体をひとつの方向へと動かす。その力こそ、明治維新を無血に近い形で成し遂げ、短期間で近代国家へと変貌させた最大の理由だと述べている。私は、この全体で方向を感じ取る力こそ、日本人の本質だと感じている。理念が掲げられたとき、誰かが強制するわけでもないのに、人々が自然とその方向へ収束していく。ばらばらの個が、どこかで同じ気配を読み取り、同じ流れに入っていくのである。これは単なる従順さや組織力とは異なる。日本人は、理念という雰囲気を敏感に感じ取る感性を持っているの...

日本の強さはこれから輝きを増す

日本はこの30年間、停滞の象徴のように語られてきました。しかし私は、それは日本に力がなかったからではなく、国際政治の力学の中で「力を発揮することが許されなかった」からだと捉えています。アメリカが主導する国際秩序の下で、日本は大きく表舞台に立とうとすると叩かれた。TRONの排除、プラザ合意、バブル崩壊。そのいずれも、日本が世界の中心に近づきすぎたときに起こっています。つまり日本は、本来「新しいものを生み出す力」を持っていたにも関わらず、それを前面に出せなかった。そこで日本が選んだのは、表の競争ではなく、目立たない領域で世界を支えるという道でした。素材、部品、精密加工、計測機器、医療機器、工...

ヒューマノイド時代と人間の感性

ヒューマノイドロボットに関するニュースが、ここ最近とくに増えてきました。中国やアメリカでは実用化に向けた動きが加速し、日本でもロボット開発を本格化させる企業が増えています。技術の進歩と人手不足が重なり、「人型ロボットが実際に働く」未来が現実味を帯びてきたと感じます。ただ、この流れを単純に「機械が人間の仕事を奪う」とだけ捉えるのは、少し違うと思います。むしろ技術が進化すればするほど、人間の感性そのものが価値の中心に浮かび上がる時代がやってくると考えています。実際、アメリカで会計士から配管工へ転職し、給与が3倍になったという記事はとても象徴的でした。配管工という仕事は単純作業ではなく、現場で...

世界が学び、日本人が忘れた経営

日本人の経営には、世界の主流とは異なる独自の感性がある。欧米型の経営が「数字を出発点に世界を捉える」方式だとすれば、日本の経営は「場のふるまいを感じ取り、その流れに沿って意思決定する」ことを基底にしてきた。ドラッカーが日本の画家を評して「まず空間を見て、次に線を見る」と述べたように、日本人はまず「関係の場」を感じ、その上に線=実務や成果を置く。しかし残念ながら、この日本的経営の核心は近年大きく損なわれてしまった。株主資本主義の波が押し寄せ、数字そのものが目的化し、数字を「追うべきもの」として信仰するようになってしまった。かつて日本人が自然に育んできた「場を整えれば成果は立ち上がる」という...

日本人と感性

日本人ほど「感性」を軸に世界を読み取る民族は珍しいと思います。それは単なる情緒文化ではなく、世界をどう捉え、どう創造するかという「認識方式」そのものです。ピーター・ドラッカーは「すでに起こった未来」第11章で、日本の画家について興味深い指摘をしています。「日本の画家は空間をまず見て、線を見るのはその後である。線から描きはじめることはない」。これは対象を「パーツ」へ分解して理解する西洋とは対照的です。日本人は、まず全体の雰囲気や気配を受け取り、その中から線が自然に立ち上がってくる。つまり部分ではなく、全体のふるまいを先に感じ取ってしまう民族なのです。私は、この特徴こそが日本人の本質的な強み...

世界を導く使命を、日本はすでに持っている

ピーター・ドラッカーは「すでに起こった未来」第11章で、日本画を通して日本社会の特質を読み解こうとしました。日本画には強い自己主張がなく、余白が大きく、視点が一点に固定されず、全体の気配が静かに漂っています。描かれていない部分が景色を生み、輪郭ではなく関係が場を成立させる。ドラッカーはこの表現形式に、日本人が長い時間をかけて育んできた、全体性と調和を大切にする精神を見出しました。それは欧米的な個の突出とは異なる、独自の価値観を示しています。私は、現代社会の荒廃の要因として、この価値観が失われつつあること、そしてその背景に理性偏重があると考えています。啓蒙思想以来、理性は「世界を分解して理...

科学の限界を越える日本の力

私は、これからの時代は西洋中心の世界観が終わり、東洋思想を含んだ新しい地平へ移っていくと感じています。ただし、それは過去の東洋思想への回帰ではありません。西洋が極めてきた科学や合理性、そして個の意識を土台にしながら、その背後にあるもう一つの層を静かに接続していく移行です。この接続こそ、私がこれまで話してきた物質宇宙と意識宇宙の関係と重なります。物質宇宙は「存在するから認識する」という、西洋科学が扱ってきた側の世界観です。対して意識宇宙は、「認識するから存在する」という、世界を立ち上げる側の働きです。この二つは切り離せず、ちょうど裏表のように同時に成立しています。しかし、これまでの科学は表...

地図なき学びが生む断片性

最近、YouTubeで大学の講義動画をいくつか視聴しました。先生たちの知識量は膨大で、その専門性に感服しました。ただ、見ているうちに、どうしても小さな違和感が残りました。それは、細かい知識はよくわかるのに、その知識が「世界のどこに置かれているのか」という地図が示されないまま話が進む点です。木は見えるのに、森のかたちが分からない。そんな感じでした。現代の学問は長い時間をかけて細分化され、部分へ部分へと掘り下げて発展してきました。そのおかげで高度な研究が可能になったのは確かですし、先生たちが日々努力されていることもよく伝わります。ただ、その構造ゆえに、どうしても「全体像を先に示す」という時間...

私たちはなぜ本当にすごい人を見落とすのか

人は何を持って、誰かを尊敬するのでしょうか。尊敬という言葉は簡単に使われますが、その実態を考えてみると、意外なほど複雑です。私たちはしばしば「理解したから尊敬する」のではなく、多くの人が「すごい」と言っているからという理由で尊敬してしまうことがあります。アインシュタインの相対性理論を本当に理解できる人は少ないと思いますし、ピカソの作品を専門的に評価できる人も多くはありません。それでも私たちは、世の中の評価に引きずられるように、彼らを偉人として扱います。坂本龍馬にしても、当時の人がその実績の具体的な価値を正確に理解していたわけではないでしょう。それでも「すごい人」という空気が尊敬を生み出し...

神から力へ、そして感性へと向かう宇宙観

宇宙を司るものは何かという問いに対して、人類は長い時間をかけて答えを変化させてきました。太古の人々は、それを「神」と考えました。雷も風も日食も、人知を超えた現象は「神意」として受け止められ、人は畏れとともに秩序を感じ取って生きていました。しかし科学が登場すると、世界の理解は大きく転換しました。現象は「力」によって説明できると考えられるようになり、日食は不吉ではなく、天体の位置関係によって起きる自然現象として受け止められるようになりました。科学は、説明できないものに対する不安を消し去る役割を果たし、人々は「見える世界」を安心して理解できるようになったのです。ところが科学が発展すればするほど...

ホイーラーを超える認識宇宙論

ホイーラーが晩年に語った「すべては情報である」という言葉は、単なる比喩ではなく、宇宙を理解するための鋭い視点を示していると感じています。情報を「データ」や「記号」として捉えるのではなく、宇宙の変化の痕跡として捉えることで、まったく違う景色が立ち上がってきます。私が注目するのは、宇宙が一定の状態に留まるのではなく、常に広がりと収束の両方を抱え込んでいる点です。広がりは可能性を開き、収束は形を与える。この二つの傾向がどちらか一方ではなく、同時に働いていることで、世界には「違い」が生まれます。違いこそが、私たちが世界を認識できる根拠になります。こうして生まれた違いは、そのまま宇宙の履歴として残...

限りある命が、ものを美しくする

YOUTUBEを眺めていると、ふと、私が10代や20代の頃に聴いていたアーティストたちが、今も歌っている動画が流れてくることがある。その姿を見て、「みんないい歳になったな」としみじみ思う。でも、不思議なことに、そこに残念さは感じない。むしろ、当時よりも美しく、深みがあると感じる。何十年も経っているのに、どうしてそう感じるのか。たぶん、「いずれ誰もいなくなる」という事実が、今をいっそう尊く見せるのだと思う。今、この瞬間に存在している。それだけで、じつは奇跡に近い。一期一会も、もののあわれも、侘び寂びも、終わりがあることを知る生き物だけが感じ取れる感性だ。私は長く、ものづくりの現場に身を置い...

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