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25歳からベンチャーに転職した4年間。得られた“はたらきがい”と“しくじり”の全てをここに置いていきます。

こんにちは!
オンリーストーリーにて広報をしています。山崎です。

2018年(当時25歳)から正社員として勤めている株式会社オンリーストーリーでは、先日資金調達実施のお知らせが発表されました。


会社としても、僕が2019年に入社してから数えても、今回が3度目の発表になります。

2020年:総額約3億4500万円の資金調達を実施

2021年:総額約13億円の資金調達を実施


こうしてみると、会社として最も変化の激しい時期に身をおいている実感があります。

今回は、会社として正式に発表した内容から一度離れ、個人的な切り口から3度の資金調達実施の間とそれ以前を振り返ってみようと思い、記事を書いています。こうして振り返ると、踏み出しては失敗し、また踏み出してはやり直す。そんな日々でした。

もし株式会社オンリーストーリーに興味を持っていただける方がいたら、ぜひ気軽にご連絡ください!

目次

  1. 新卒で入った会社を退社後、起業失敗
  2. 心からなりたいと思える職業に初めて出会った
  3. 初めてのBtoBベンチャー入社〜広報着任まで
  4. ひとり広報として気持ちを入れ替え、リスタート
  5. 経験した“しくじり”。得られた“はたらきがい”
  6. 最後に

1.新卒で入った会社を退社後、起業失敗

僕自身は電車が1時間に1本、1車両しかこない田舎で育ってから、高校生くらいまでは何も考えず、真剣に打ち込んだと言えるものもなく過ごしていました。高校生の頃は途中で部活をやめてしまい、よく友達とガストにたむろしていた時期もありました^^;

高校を卒業し、大学の入学式&一人暮らしスタートを控えていた3月。東日本大震災が起こりました。初めて体感する大きな揺れで、数日間ライフラインも絶たれ、TVのニュースと新聞で事態を知った時には絶望しました。その時、「自分は生き残ったのだから、後悔のない人生を生きたい」と思い、気持ちを大きく入れ替えました。

震災から1ヶ月後、添乗員になることを目指し、国際観光学科のある神奈川の大学に進学しました。同時に、一人暮らしも開始。大学では後悔を残さぬようにしようと、見境なく、とにかく少しでも興味を持ったことには挑戦しまくっていました。和太鼓部、フットサルサークル、アルバイト、学生団体、ゼミ、卒論、留学…など。

卒業後は旅行会社に就職し、成田空港で働きました。毎月のように外国人旅行客数が伸び続けていた時期で、毎日外国人旅行客を接する日々が楽しくて、一生懸命働きました。

できることが増え、職場の人間関係も良好で、尊敬できる上司もいて。何不自由なく、幸せな職場でした。それでも、当時の若気の至りで、「もっと、もっと…」と刺激を求めてしまい、いろんな会やコミュニティに顔を出すようになりました。そこで知り合った方に誘われて独立を目指すことにし、新卒で入った会社も退職しました。

とはいえ、そう簡単にうまくいくはずもなく、当時の自分にとっては一大決心だった起業・独立というプランも、すぐに崩れ去りました。全くうまくいかず…どうしたらいいのか、何から学んだらいいのか分からず、右往左往しているうちにお金がなくなっていきました。地元ではない土地で頼れる人もおらず、お金が尽きた頃、泣きながら母親に電話しました。もう無理かもしれない、と言いました。

2.心からなりたいと思える職業に初めて出会った

田舎には仕事なんていくらでもあるから帰って来ればいい、と言われて実家に帰ろうと思ったところに新たなご縁がありました。

拾っていただいた方のもとに転がり込んでから数ヶ月は、ほとんど人に会わず、外出も控え、ただぼーっと過ごしながら内省を繰り返していました。最初は後悔ばかりが募り、少し整理がついてからは内省ができるようになりました。次第に回復してきた時、当時の環境にあった囲炉裏に初めて興味を持ちました。側によると暖かく、火を囲んで話す人たちの雰囲気もまた温もりに溢れていて、「こんな空間があるんだ」と驚きました。

やがて、「こういう空間をより多くの人に知ってほしい」と思い立ち、囲炉裏・火鉢を積んで歩く旅を始めました。


道中では色んな出会いがあり、素晴らしい経験ができたと思います。


ある程度、リヤカーを引いて歩く生活にも慣れた頃、気づいたことがありました。

一人旅はどこまで行っても“ひとり”だな、と。寂しさという意味もあれば、非力であることや限界も感じました。一人ではできることも限られる、と。

その後資金が底をつき、愛媛のみかん農家に出稼ぎにいきながら、これからのことを真剣に考えるようになりました。現地には旅人、サラリーマン、学生、そのほかいろんな方々がいて、改めて多様な生き方・働き方・価値観があるんだと知りました。一方で、そうした出会いを繰り返すたびに、「自分はどうしたいのか?」と考えていました。

その頃、ハッとさせられたのが、Twitter上のライター、編集者の言葉でした。自分の言葉にならない感情を見事に言い得ているツイート、自分が知らない世界を経験した人のツイートがとても心に残り、次第にそういう影響を与えられる人になりたいと思い始めました。

初めて心からなりたい職業を見つけたと思い、「ライターか編集者になりたい」と思い立ったと同時に、今勤めている株式会社オンリーストーリーの募集を見かけました。

「未経験から編集者になれるのか…。今から編集者のキャリアをスタートするのは、これしかない!」と思い、同社取締役であり、大学時代から知り合いでもある川角に直接連絡をしました。その後、代表とも面談を行い、2018年にインターンとして入社。インターン期間中に編集長や新規事業を経験した後、その年の年末に正社員としての転職を決めました。


最初は編集者のキャリアを掴みたかった一心でしたが、段々と自分以外の誰かと何かをすることにやりがいを感じられるようになり、当時のメンバーやクライアントから多くのことを学べる日々も楽しくて、夢中になって働きました。

3.初めてのBtoBベンチャー入社〜広報着任まで

インターンで最初に入社した頃は、初めてのことばかりで毎日戸惑い、驚きました。お試しインターン期間の2日目に代表のアポに同席した際には、1時間のアポの最中に3行しかメモを取れず、ひどく落ち込みました(苦笑)

その後も、いきなりインターン入社して早々に編集長になったはいいけどなんのスキルも経験もないので、経営者の前で「編集長」と紹介されるたびにゾッとしました。これはマズイな…と思ったので、360日以上は働いて、セミナー行ったり本を読んだりもして、肩書きに恥じないものを身に付けなければと必死に学びました。月間30〜40記事、もしくはそれ以上取材や編集、管理を行い、毎日社長取材と向き合いました。

途中からは1年半ほど新規事業も経験したのですが、自分がオーナーであるサービスに初めて問い合わせがきた時は嬉しくて、通勤中の電車の中で泣いてしまったことを覚えています。

当時このようなサービスを担当していました。

一方で、当時2019年〜2020年は、最初の資金調達の話が社内でも出てきた頃でした。その話を聞いて以降、周りのみんなが基幹事業に打ち込む中、自分だけ別の事業を担当している状況がどうしても気になってしまいました。ずっと心がざわざわして、このままの働き方を続けるべきか悩みました。その後、これを機にもっと基幹事業またはメンバーの役に立てるようになりたいと代表に伝え、担当していた事業を閉めました。

その後、会社としては創業期ばりに盛り上げていかなければ!という最中でしたが、個人的にはその波に乗りきれない期間が続きました。

改めてポジションが白紙になったので、まず営業部に関わろうと思い、MTGに出席し始めました。必死にキャッチアップしようと聞き入り、できることを探し、新規開拓に取り組むメンバーを後方支援できることはないかと考え、自分なりに色々と取り組んでいました。ところが、ある時メンバーから言われた一言で当時の自分は悩んでしまいました。


「戦略家ぶるなよ」

現場にも出ず、当時の僕がやろうとしていたこと、言っていたことが薄っぺらかったのだと思います。自分が今必死にやろうとしていることはその程度なのだとショックを受け、実力不足を痛感しました。

少し時が経ち、全社合宿の機会がありました。色々と話しているとCSに関わることになりました。元からCSを支え続けていたメンバーとともにオンボーディングの立ち上げの話、重点企業へのフォローなどに参加するようになりました。ここでも顧客知識、業界知識、人間関係など、色々なことが仕事を進めるには足らないものばかりで、僕が追いつこうとするよりも周りと会社が進化する方が速く、その差は日々開くばかりでした。

最後に、流れの中でプロダクトチームに関わることもありました。ここまできたら、もう何か結果を残さないとこの会社に居られないと思ってより必死になっていたのですが、必死になればなるほどうまくいきませんでした。せっかくアドバイスをくれた代表にも自己中な意見をぶつけてしまったこともありました。「そのアイデア、もう進めてます」「そのプラン、もう先に進めていたので、代表が思いついたように共有されてしまうと手柄を取られたような気持ちになります」など。

本当にひどい言い草ですね。時を経て、飲みの席でこの件は代表に謝ることができました。

ただ、結局のところ、どこにも自分の居場所を見つけられず、次第に辞めたい気持ちが心に浮かぶようにもなりました。今思えば、根気や工夫、人に頼るなど、いろんな点がまだまだ出来ることがあったはずなのですが、この時は毎日が辛くて、もう自分にできることはないんじゃないかと心折れてしまいました。

そんな時、代表から「今後きっと会社には必要になる。広報をやってみないか」と声をかけてもらいました。

それからもう一度甘えた気持ちを入れ変え、今度は逃げずに広報をやりきろうと決めました。

この時踏み出した一歩がなければ、今の自分はいませんでした。

ひとり広報として気持ちを入れ替え、リスタート

とはいえ、何から始めたらいいかわからず、まずは手を動かしながらも、いろんな本を読んだり人に聞きに行ったりしていました。

明確な目標や目的を探しながら取り組んでいた最中に、代表から「月に6本打ってみよう」とまた声をかけてもらいました。まずはメディアに対するリリースを月に6本打ってみよう、ということでした。聞いた瞬間はできる理由が見当たらず、不安でした。周りからも「それは、意味がない」と否定もされることもありました。でも、自分にはもう選んでいる余裕はないと思い、まずは何がなんでも月に6本打つことを考え、できる方法だけを探しました。

上手くいかない時期は、ふと「誰かが手を差し伸べてくれないかな」と思ってしまうこともあったのですが、そんな甘えた姿勢ではいけないと思い、そんなことを考える暇すらもなくすように更にやれることを探し、取り組みました。

広報を始めた初年度に取り組んだ成果は、以下の通りです。

・プレスリリース本数:73本
・アワード:2件
・露出機会:7(掲載実績:日経産業新聞、中部経済新聞、雑誌「財界」、雑誌「週刊エコノミスト」、WEBメディア「SalesZine」等)
・SNSフォロワー:公式Twitter 1000人

立ち上げ初期から取り組んできたことも、以下のnoteに別途まとめてみました!広報に着手しようとしている経営者の方、広報に取り組み始めたばかりの方にとって何か参考になればと思い、書けることは全て書き残しました!

本当にたくさんの方々に教えていただき、アドバイスをいただいたことがたくさんあり、それに対して実際に取り組んでみた所感などを書き加えています。


この期間に行った2度目の資金調達は金額も大きく増え、代表も多くのメディアに出演しました。この時、事の大きさを広報として肌で感じ、それと同時に責任感も以前より感じるようになりました。

そして、この会社の成長に振り落とされないように、2度と居場所を失うことのないように、改めてやりきろうという気持ちも大きくなりました。

今回、3度目の調達発表も代表と準備をして、無事に今日リリースができ、ホッとしています。早速多くのメディアの方に取り上げていただき、本当にありがたいです。

たくさん遠回りと失敗をしてしまいましたが、ようやく少しは周りに貢献ができ、仲間でいられる居場所を作れたような気がします。

経験した“しくじり”。得られた“はたらきがい”

ここまで書いてみて、一言自分でも思うところがありました…。

「悩みすぎだろ!」

どうやら僕はなかなかの悩み気質のようで、何度も悩みや迷いにとらわれ、時に立ち止まってしまうこともありました。今振り返ると、これが僕にとって一番大きなしくじりでした。

「ベンチャーでは、立ち止まることはあっちゃいけない。ベンチャーではたらくことは自転車を漕いでいるような状態。自転車は漕ぐことをやめると転んでしまうように、ベンチャーもまた立ち止まってしまうと転んでしまうもの。悩むな、考えろ」

代表がよくそう話してくれるのですが、まさにそうだと思います。悩まず考えれば、立ち止まらずに何か動けば次のヒントが見つかるはず。

また、もう一つ個人的なしくじりは、「コトに向き合いきれていなかった」ことです。自分の立場、評価、居場所などに気を取られ、本当に向き合うべきことと向き合いきれていませんでした。自分の身を守ろうとする保身的なところや組織の利益よりも利己的な言動が多々あったかと思います。

まだまだ失敗したこと、しくじったことはたくさんあるのですが、一方でこの期間支えられたこともあります。

・点ではなく線で見てくれる

これまで書いた通り、僕は元々どうしようもなくて、失敗ばかりしてきてしまいました。それでも、その瞬間の失敗だけではなく、その先まで目線を引きのばし、受け止めてくれるメンバーと環境のおかげでここまでやってこれました。なんとか恩返しがしたいと思っています。

・失敗したら、3倍学ぼう

オンリーストーリーは、失敗に関しても前向きに捉える組織です。「失敗したら、3倍学ぼう」というのが社内の合言葉になっていて、失敗したそばから前向きに取り返そうと気持ちを切り替えられる空気があります。そのおかげで、前のめりになって挑戦を続けることができました。

・褒めの文化

「ありがとうカード」「ありがトゥナイト」「トラハピ」。これらは全て、メンバー同士が褒め・感謝を伝え合う機会を設けた社内施策・イベントです。歴代どの時期にも必ずと言っていいほど、メンバー同士の「褒め・感謝」を引き出す仕掛けはありました。今では、自然と朝礼・終礼でも褒め・感謝のやりとりが起こるようになっています。これまでにメンバーからの褒めや感謝に心を救われた回数は、数えきれません。

・自社事業がある

8年以上、決裁者支援一筋。ユニークなアプローチで世の中に大きなインパクトをもたらそうと取り組み続けたこれまでは、飽きることのない、刺激的な毎日でした。オンリーストーリーではたらく前は会ったこともなかった経営者と仕事を共にし、そこから得られる知識、情報からまた学びを深める…の繰り返し。

その独自性も魅力的ですが、自社事業を持っていることも魅力です。事業から得られるデータ、経験、知識…さまざまなものが社内に蓄積し、それらを活用して、どうしたらより顧客を勝たせることができるのか、と日々社内では議論がなされています。

「オンリーストーリーの成長は社会にとっても必要なことだ」と信じて仕事に臨めていることも非常にありがたいです。

・価値観を共有するメンバー

最後に、オンリーストーリーが定めているクレドや目指す世界観を共有できているメンバーが集まっていることが最も大きな魅力です。 「点で見るな、線で見ろ」「船に乗るな、漕げ、創れ」など 今回の文中で触れたこうした言葉は、全てクレドになっています。


ひとりではなく、チームだからできることがある。自分よりも得意なことを持つ人がいて、自分が向いてないことが向いてる人もいる。その人が前向きに取り組んでくれる場を提供できれば、自分も助かるし、その人も嬉しい。

そんな喜びに気づけたのは、価値観や世界観を共有したオンリーストーリーのメンバーと仕事をしてこれたからです。みんなと仕事をしたり、みんなの背中をみながら教わってきました。

こうしたことが支えになり、いつの間にかはたらき始めて5年目に突入し、気づけばあと半年で年齢も30歳になるところです。改めて個人的な夢や目標も最近生まれ、自分なりのONLY STORYを実現できる30代にしたい。

最後に

長くなりましたが、僕はオンリーストーリーに入って、たくさん失敗をしてしまいましたが、たくさんの学びも得ることができました。そして、人とはたらく楽しみ、仕事のやりがいを知りました。

そして、一歩踏み出す勇気があれば、何度でもやり直せるのだと実感しました。

これから先、公開されたリリースにも書かれているように、会社として挑戦していくことがたくさんあります。新しい事業も立ち上がります。もっともっと、パワーやメンバーが必要になります。

新しいチャンスを求めている人がいたら、オンリーストーリーの採用募集も一度覗いてみていただけたら嬉しいです。

3度の調達を終え、ギアを変えてより大きな挑戦に臨む環境で、一緒にはたらきましょう〜!

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