やりたいことを、“やりなよ”と言ってもらえること、任されてきついと思えば“どうにかならない?”と相談できること。それが今のOSAJIらしさ
こんにちは、OSAJI 店舗採用担当の原田です。今回は、日東電化工業ヘルスケア事業部経営企画の早川さんのインタビューをお届けします。
18年勤めた大手アパレルブランドから、はじめての転職。早川さんにとってそれが日東電化工業ヘルスケア事業部でした。前職から大きく異なる環境に飛び込んだ理由は、「残りの仕事人生で、ここなら自分が楽しめる仕事ができる」と思ったから。
転職から1年。現在、OSAJIの販促やマーケティング・PR全般、そして新規事業の立ち上げなど幅広く携わる早川さんは、「まだまだ仕事を楽しめる感覚がある。それは日東電化工業ヘルスケア事業部だからこそ」だといいます。
大手アパレルブランドでは店長を14年務め、最後の2年間はマーケティング・PRとして本社オフィスで働いていた早川さん。転職のきっかけは、コロナ禍でブランドの事業がクローズし、ショップが全店閉店となったことでした。
コスメにはあまり興味がなかったという早川さんが面接を受けてみようと思ったのは、前職と同じ職種で経験が積めることに加え、日東電化工業ヘルスケア事業部について調べるなかで、代表の茂田さんが障害者の就労支援事業所と協業でプロダクト開発をしていたことを知ったことも大きいといいます。
「前職では、SDGsに関わる新規事業を立ち上げたのですが、ブランドのクローズによって最後までやりきれなかったという思いがあったんです」
早川さんは面接で茂田さんと話したときのことをこう振り返ります。
「職務経歴を説明しましたが、そこについてはあまり聞かれず、それよりもどんな音楽が好き? とか、どんな服が好み? と(笑)。あとは募集のことはいったんおいて、やりたいことは何かと聞いてくれたのも印象的でした。私が前職で立ち上げた事業が完全燃焼していないので、そういう活動もしたいと伝えると、うん分かった、という感じで(笑)」
面接らしくない面接に「大丈夫だろうか?」と思ったものの、「ここなら、これまでにない経験ができる」とワクワク感もあったといいます。
「私はそのとき40歳を超えていて、そろそろ自分が楽しめる仕事もできる年齢なのかなと思っていました。茂田さんからは大手の知識や経験をこの会社に少し分けてほしいと言われ、それなら私がもらえるものと渡せるものとがあると思い、ジョインしました」
“自分に任される嬉しさは、「やり遂げたい」という思いにもつながる”
入社後は、上司も部下もチームメイトもいないなか、まずOSAJIの一次面接など、人手が足りない部分や自分の知見のある分野を手伝うことから仕事に加わりました。そしてOSAJIのマーケティングや販促にも携わるように。前職の経験があったとはいえ、組織のギャップに戸惑いはなかったのでしょうか。
「ありましたよ。前職では、何かしたいことがあれば、書類を作ってプレゼンし、予算をもらってからスタートしていましたが、いまはやりたいと言えば、“はいどうぞ”(笑)。そのかわり自分にすべてが任されます。でもそこには、自分に預けてくれる嬉しさもあって。やり遂げたい、頑張ろうという気持ちにつながりますよね」
現在の日東電化工業ヘルスケア事業部を「規模が大きくなる途中の、ちょうど狭間の段階」だという早川さん。「ぐちゃぐちゃ感がこの会社の良さ」だという早川さんは、大手のようにすべて組織立てて整えると、魅力が失われてしまうと思ったそうです。
そして早川さんはマーケターとして、そんな会社のあり方がOSAJIの魅力になっていると分析します。多くのブランドは、イメージを壊さないように統一感をもって展開していくのが一般的ですが、OSAJIは「敏感肌の人のため」という軸は守りながらも、商品のラインナップや発売のタイミングは規則的ではありません。
「そのゆらぎみたいなものが人の心を捉えるのかなと思っています。お客様も当たり前じゃないところを面白いと思って見ているのではないでしょうか」
“面白いから一緒に何かしたい!という思いが実現した”
今年6月、日東電化工業ヘルスケア事業部では、OSAJIとはまったく別の新しい事業が始動しました。アート活動をしている「PICFA(ピクファ)」メンバーの作品が購入できるECサイトです。
PICFAは、佐賀県にある日本初の障害者就労支援B型事業所。もとは2017年に茂田さんがパッケージデザインをPICFAに依頼したことから、つながりが生まれていました。養護教員の母親をもつ早川さんは幼い頃からダウン症の子どもと一緒に遊ぶ機会が多く、前職では精神や身体に障害をもつスタッフとともに働いていました。
「社会で関わることのできる人はいっぱいいるし、違う感性をもっていることがすごく面白い。一緒に何かできないだろうか」と思っていたといいます。協業は早川さんが入社前からやりたいと思っていたこと。その思いが実現したのがこの事業なのです。
「やりたいことを、“やりなよ”と言ってもらえること、任されてきついと思えば“どうにかならない?”と相談できること。これはこの会社だからこそだと思っています」