株式会社mov(以下、mov)は、「日本のポテンシャルを最大化する」という使命を掲げ、インバウンド領域で複数事業を展開するスタートアップです。movが運営する「口コミコム」のプロダクト開発を牽引するのが、執行役員 CTO / プロダクト開発本部長の大薮 永(おおやぶ ひさし)。
大手SIerでの大規模開発から、資本金5円での学生起業、そして再び起業し1.5億円の資金調達からバイアウトまで。エンジニアとして、また経営者として、技術とビジネスの荒波を乗り越えてきたキャリアの裏側を語ってもらいました。
※本記事では対談の温度感をお伝えするために、敬称を省略せず記載しております。
── Profile
大手SIerでのエンジニア経験を経て、仲間と起業。店舗向けアプリプラットフォーム「Stamps(スタンプス)」を展開するショップフォース株式会社を創業し、1.5億円の資金調達や組織拡大を牽引、後にバイアウト。フリーランスを経て、2020年、代表・渡邊との出会いを機にmovへ参画。現在は、mov 執行役員 CTO プロダクト開発本部長として「口コミコム」をはじめとするプロダクト全般の開発戦略と、AIを活用した次世代の組織づくりを主導している。
◾️ ないものは、作ってみる。父から渡されたPCの部品が私の原点
─── これまでのキャリアのルーツとなる原体験を教えてください。
私のものづくりの原点は、幼少期の家庭環境にあると感じています。父はデベロッパーとして都市開発に携わる傍ら、DIYや電子工作も嗜む、また若かりし頃は画家を志すほど絵画に没頭するなどクリエイティブな人でした。私が中学生の時にパソコンが欲しいとねだると、父はバラバラの部品を渡し「自分で組み立ててみなさい」と言われて、どうにか組み立てて作ったのを鮮明に覚えています。そんな環境だったので「ないものは買うのではなく、自らつくる」という精神が自然と育まれました。
高校時代はバンド活動に熱中しましたが、当時はまだブログのような便利なサービスはありません。そこで独学でHTMLを書き、PerlでCGIを組んで掲示板を設置するなど、自分たちのWebサイトをゼロから構築しました。Photoshopでフライヤー制作なんかもしていましたね。そのうち友人のバンドのサイト・フライヤー制作なんかも請け負ってやっていました。
「ないものは、自らつくる」の精神が、この時期に実務的な場面で活かされていました。
振り返ってみると、こうした活動を支えていたのは「驚かせたい」という切実な願いでした。中学の時から、勉強やスポーツという既存の評価軸に馴染めなかった私は、どこか居心地の悪さや不安を感じていたのです。
しかし、音楽やプログラミングという「自分が一番熱狂できる場所」を見つけて、自分自身が試行錯誤してかたちにしたものに対して、周囲を驚かせる経験を通じ、かつての不安はいつの間にか自信へと変わっていきました。
「すごい!」と驚く友人を見ると嬉しかったですね。自らの手で価値を生み出し、身近な課題を解決していく。その成功体験が、現在の私のキャリアの大きな原体験となっています。
◾️ 資本金5円、自分たちの手で商品を届けた学生起業
─── 大学生のときに起業されたとお聞きしています。その時の状況を教えてください。
大学は「インターネットって面白いな」というシンプルな理由で、理系の情報学科へ進学しました。最初の1〜2年は所謂「ろくでもない大学生」をやっていたんですが、どこかに「自分はこのままでいいのかな」という思いが、心の片隅にはあったんだと思います。高校生の時にバンドとかで感じていた「自分で何かを作って、周りを驚かせる」っていう、あの熱量がどこにも向けられておらず、ずっと空回りしているような感覚があって。そんなタイミングで、当時はまだ珍しかった学生起業を目指している友人たちと出会ったんです。
彼らと話してみたら、自分たちでビジネスを立ち上げるとか、世の中にないサービスを作るとか、そういうことを大真面目に議論していて。「あ、これだ」と直感的に感じました。私が忘れていた、あのつくる楽しさとか、驚かせたいっていう欲求をビジネスというフィールドでぶつけられるんじゃないかと感じて、そこから一気に仲良くなり、ビジネスコンテストにアイデアを出すという流れになっていくんです。
ビジネスコンテストの賞金を元手に起業
当時開発したのは、ガラケー向けの地域密着型オンラインフリマサイト。今でいうメルカリとジモティーを掛け合わせたようなサービスでした。当時はPHPが新しい言語として人気を集めはじめた時期で、そのプログラミング体験に魅了されながら、夢中でWebサービスを開発しました。
当時はちょうど、株式会社が1円から設立できるようになったタイミングで。私たちは「じゃあ1円で作ろうぜ」と、仲間5人で1円ずつ出し合い、資本金5円の株式会社を立ち上げました。ビジネスも社会の仕組みも何もわからないまま、勢いだけで始まった挑戦でした。法人の登記も古物商の資格取得も自分たちだけで見よう見まねでやりました。
しかし、現実は甘くありません。マッチングしたユーザー同士の匿名性を実現するための配送サービスとして地元の配送業者と提携するエコシステムを理想として描いていましたが、資本金5円の学生企業など相手にされるはずもなく結局、私たちは「自分たちで運ぶしかない」と腹を決めてなぜか軽トラを購入しました。本当に意味不明ですよね(笑)。
そこからは大変で、授業の合間にサービスをチェックし、取引が成立すればバイクや自転車に飛び乗って、商品を取りに行き、そのまま購入者のもとへ届ける、そのあとはひたすらコードを書く、そんな泥臭い日々を過ごしていました。
結果として、事業自体は大きく伸びることはなく、1〜2年ほどで幕を閉じました。得られたのは「プログラミングの知識」と「配送によるいい運動」くらいだったかもしれません(笑)。
しかし、自分たちで新しいサービスを生み出し、成功のために必死に奔走したあの時間は、私にとってかけがえのない「青春」そのものでした。この時の高揚感こそが、スタートアップという生き方に私が惹かれ続ける原点となっています。
配送用に購入した軽トラ
◾️ 就職初期から独立へ、突きつけられた「専門性」の問い
─── その後のキャリアは、どのように歩まれましたか。
大学卒業後、私は勢いだけの起業の反省もあり「一度はちゃんとした大企業を見ておこう」と考えNTTデータに入社。そこでは、数千万円から数億円規模のプロジェクトに携わり、お客さまの課題をヒアリングして形にするウォーターフォール開発の基礎を経験しました。忙しくも充実した日々の中で、私はいつしか学生時代の起業への熱意を忘れて「安定した日常」を楽しむようになっていました。
転機は3年目に訪れました。当時アメリカのパッケージソフトを日本のクライアントに導入する仕事で、米国人エンジニアと仕事をした際に「あなたの専門はなに?」と問われ、答えに詰まってしまったんです。当時システムエンジニアとして何でもそつなくこなしていましたが、その時にうまく返答できない自分に気づいて、「自分は本当は何者になりたかったのか」と考えているうちに、真っ先に思い浮かんだのは、学生時代に夢中でコードを書き、世の中に挑んでいたあの感覚でした。
それが「自分のプロダクトで世の中を驚かせたい」という創作活動への情熱を再燃させるきっかけとなり、平日の夜と週末は再びひたすらコードを書く生活を送るようになりました。
そこからは、まさに「第二の青春」の始まりでした。意気投合した仲間と、平日の夜や週末にカフェへ集まり、夢中でプロダクトのアイデアを出してプロトタイプをつくり続けました。当時2011年ごろはSNSブームで、その流れに乗り開発したSNS系のサービスが「KDDI ∞ラボ」というインキュベーションプログラムの第2期に採択されたことをきっかけに、私は迷わず安定した大企業を去る決断を下しました。
起業後は苦労の連続でした。最初に立ち上げたSNSサービスは事業化に苦戦し、1年ほどでクローズすることに。ちょうどその頃、スマホが普及し始めたタイミングでした。私はもともとポイントカードを集めるのが好きだったんですが、財布がパンパンになっちゃうのが悩みで(笑)。「これをアプリにしたら絶対にいいよね」という着想のもと、スタンプカードアプリ「Stamps(スタンプス)」へとピボットしたところ、ビジネスは一気に加速しました。
泥臭く開発と営業を続けた結果、アプリはAppStore/GooglePlayのカテゴリランキングでは上位入り、総ダウンロードも数百万に達しました。またVCから1.5億円の資金調達をするまでに成長しました。
しかし、事業や組織をスケールさせようとするなかで、さまざまな困難に直面しました。最終的に自ら起した会社を去るという形で区切りをつけ、その後バイアウトされましたが、そこにはやり遂げた達成感よりも、「もっと純粋につくりたかった。自社やステークホルダーが主語になり過ぎていた。プロダクトを通して届けられるユーザーへの価値にフォーカスしたかった。」という後悔が残っていました。
今、当時を振り返ると、会社運営や経営課題に追われて、本来、自分自身が一番やりたかった「ユーザーにとって価値あるプロダクトをつくる」とか「テクノロジーで世の中を驚かせる」みたいな本来やりたかったことから、どんどん遠ざかっていたなと感じます。
─── 振り返って気づいた、自分の判断軸
私は人生の分岐点で「迷ったら、変化の大きい方を選ぶ」ということを一貫してやってきたように思います。
大企業を辞めてゼロからの起業を選んだときも、その会社を離れて再びゼロから挑戦したときも、安定を取れば残る選択肢がある中で、変化の大きい方を選んでいる。
根っこにあるのは、たぶん「未知のものを面白がる気質」です。先が読めないものほどワクワクする。だから「楽しそう」と感じた瞬間、リスクを細かく詰める前に身体が動いてしまうんです。
◾️ 背中を預けられるという関係性
─── movとの出会いのきっかけは
前職を去り、フリーランスとして活動していた時期に再会したのが、mov 代表である渡邊さんでした。渡邊さんとは以前から、趣味のバイクを通じて意気投合していて、定期的に飲みに行く「起業家仲間」のような間柄でした。再会した当時、お互い酸いも甘いも噛み分けた状態で、あらためて「これから何を仕掛けようか」という話をしたのがすべての始まりでした。
その時に渡邊さんが「口コミコム」のアイデアを語ってくれて、私が今までやってきた店舗まわりのドメイン知識と、得意な「0から1を立ち上げる力」がバチッとハマる感覚があったんです。「あ、これなら、あの時やりきれなかった熱狂をもう一度取り戻せるかもしれない」って。このアイデアなら自分の経験を活かせると確信したことが、movへジョインする決定打となりました。
実際に共に働いて感じる渡邊さんの魅力は、何よりもその「意志の強さ」にあります。彼には明確なビジョンがあり、やりたいことに対して「これをやりたいから、進めてほしい」とストレートに話してくれます。この迷いのなさと筋の通ったスタンスは、プロフェッショナルとして非常に信頼しています。
また、技術に関しては、良い意味で徹底的に「任せて」くれるところです。やりたいビジョンを伝えた後に「あとの障壁はすべてなんとかするから、プロダクト開発に集中してほしい」と言い切る渡邊さんの熱量には、圧倒的な安心感がありました。前職で組織や人間関係の調整に苦戦して「もっと純粋につくりたかった」と後悔していた私にとって、その一言が響きました。
自分が作ったプロダクトを責任を持って世の中に届けてくれるという「背中を預け合える」感覚は、なにものにも代えがたいです。その牽引力に引っ張られることで、スタートアップの組織と共に、それぞれのケイパビリティが拡張されていくところがあったのかなと思います。
mov代表 渡邊と当時を振り返りながら談笑
◾️ あえて「マネジメントをしすぎない」という究極の信頼
───マネジメントで気をつけていることはありますか。
movのCTOとして、私が最も大切にしているのは、「あえてマネジメントをしすぎない」ということです。
私はもともと細部が気になる性格で、ともすれば手を出したくなる。けれど、CTOが現場に口を出し、すべてをコントロールしようとすれば、現場のエンジニアから一番大切な「つくる楽しさ」を奪ってしまう。渡邊さんが私にそうであったように、信頼して預けるという関係性をメンバーと築いていけるのが理想だと考えています。
先ほども話しましたが、前職では管理や調整に苦労して、自分自身がエンジニアとして熱狂することから遠ざかった後悔があります。だからこそmovのエンジニアには、決められたタスクをこなす「作業者」ではなく、自らの専門性を武器に、技術で課題を解決する「当事者」であってほしい。進めてほしい仕事を任せたら、見守るけど結果が出てくるまであえて細かく管理しないスタンスこそが、エンジニアのクリエイティビティを最大化すると信じています。
管理ではなく仕事への熱狂を作るために、大事にしていることが3つあります。
1.「情報のオープン化」で自走を支える
経営状況や事業課題、ビジョンをすべて共有します。情報の解像度が同じなら、現場のエンジニアも「今何をすべきか」を自ら正しく判断することができるからです。
2. エンジニアの「健全なエゴ」を肯定する
お客さまの声にダイレクトに触れ「自分のコードが誰かのペインを解消した」という手触り感を作るように心がけています。技術的挑戦が事業の成長に繋がるなら、私は全力でその挑戦を肯定します。
3. 難題を「ワクワクするお題」へ翻訳する
どうせ時間を使うなら最高に楽しく働いて欲しいという気持ちを込めて、ただタスクを渡すのではなく、事業やプロダクトの課題をワクワクできるようなお題として出せるように心がけています。
実際にメンバーから「大薮からくる仕事は絶妙に難しくて面白い」というリアクションがあった時は、伝わっているんだと実感できてとても嬉しかったです。
エンジニアって「これ、自分じゃないと解けない」と思える瞬間に一番アドレナリンが出るし、熱狂すると感じています。実際に面白がってくれているのを見て、この管理しない、でも最高のお題は出し続けるというスタイルに手応えを感じました。
◾️ AI時代の生存戦略、「問い」に命を懸ける
─── AI時代において、エンジニアに求められる力はどう変わると思いますか。
いま、エンジニアリングの世界は、近代的なソフトウェア・エンジニアリングが勃興してから約30年の歴史が一気にふっ飛ぶような「とんでもない転換点」にあります。
ClaudeやChatGPTをはじめとするAIの台頭により、自然言語で指示を出せば、AIがコードを瞬時に書き出す時代になりました。かつて私たちが苦労して覚え、楽しみながら磨いてきた「実装」というスキルの価値が、劇的に書き換えられようとしています。
正直に言えば、エンジニアとして寂しい気持ちもありますね。自分でコードを書く楽しさを、AIに奪われるような感覚があるからです。けれど、嘆いていても時代は止まりません。
では、AI時代にエンジニアが生き残るための「生存戦略」とは何か。私は、「問いを立てる力」と、その問いを「どう面白がるか」という感性だと考えています。
このビジネス課題を解決するために、どの技術をどう組み合わせて解くのが最も本質的か。少し前までの私は、こうした「一段上の抽象度でパズルを組み立てる力」こそが人間に残る領域だと整理していました。AIは「どう解くか(How)」には強くても、「なぜ・何を解くべきか(Why/What)」を立てるのは人間の仕事だ、と。
けれど最近は、その線引きすら怪しいと感じています。AIが「どう解くか(How)」だけでなく、「なぜ・何を解くべきか(Why/What)」までかなり自律的に提案してくる時代になりました。私自身、AIエージェントと仕事をしていて「あ、その問いは自分では立てなかったな」と驚くことが増えました。むしろAIが並べてくる問いの方が、自分の視点をはるかに広げてくれる場面さえあります。
だからこそ、その「問いを立てる力」とは、いまや「どの問いに、自分たちは時間と熱を懸けるか」を選ぶ感性に近いものなのかもしれません。お客さまの生の声、積み上げてきた文脈、自分たちの美意識——それらの全てから問いを選び取り、そこに賭ける。その判断こそが、これからのエンジニアが命を懸けるべき領域だと感じています。
そして、こうした「問いを選ぶ感性」は、自分の手でAIに深く触れていない限り、絶対に磨かれないと感じています。
もともと私の中には「未知のものを面白がる」という性分もあって、CTOという立場にあっても、自らAIを徹底的に使い込むのはそのためです。AIに何を任せ、自分は何を選び取るか、それは実践からしか身につかない。AIと並走しながら、何度も「これじゃない」「これだ」を繰り返す中でしか育たないと思っています。
その並走の中で、私が社内で繰り返し言うようになったのが、「答えるAIから、実行するAIへ」ということです。AIを一問一答の壁打ち相手に留めず、仕事を任せられる「チームメンバー」として会社組織全体に組み込んでいく。最近では、エンジニア組織だけでなくビジネスサイドのメンバーとClaude Codeセットアップを手伝ったり、AIエージェントを一緒につくったりしながら、組織全体で「実行するAI」をどう日常業務に溶け込ませるかを試行錯誤しています。
CTOだからこそ、現場のプレイヤーとしてAIを触る側に居続ける。その判断は、いまの自分の中で揺らぎません。
極端な話、もはや不確実性が高過ぎてこの先どうなるかなんてわからないと諦めて、シンプルにAIの最前線をフロンティア精神で走り続けること。それこそが、AI時代における唯一の本質的な生存戦略だと私は考えています。技術の地形がこれほど激しく動くなら、自分自身の問いも立ち位置も、更新し続けるしかありません。
ただ言われたものを作るだけのエンジニアはAIに淘汰されるけれど、自ら問いを立て、技術を楽しみ、技術とビジネスがぶつかる現場で熱狂できるエンジニアは、むしろAIを使いこなしてもっと面白い世界を作れる。movをそういう「問いに命を懸けるプロフェッショナル」が集まる場所にしたい。それが、私が考えるAI時代の組織のあり方です。
◾️ 技術と課題解決を、心の底から「面白がれる」人と働きたい
─── どのような人と働きたいですか。また、movに興味を持つエンジニアへ、メッセージをお願いします
一言で言えば、どんなに難しい状況でも、技術と課題解決を心の底から「面白い」と思える人です。
これまでの私のキャリアは、決してスマートなものじゃありませんでした。学生起業で泥臭く走り回り、SIerでは「自分は何者なんだ」と自問自答し、再び起業した会社では組織の壁にぶつかって燃え尽きそうになりました。でも、そんな遠回りをしたからこそ、現場で出会う難問を「最高のパズル」として楽しめる自分がいます。そして、それを「面白いですね」とニヤリと笑って一緒に解いてくれる仲間がいる。それが、いま私にとって一番の喜びです。
AIが進化し、実装のコストが下がり続けるこれからの時代、最後に残るのは「この問題をどう解いてやろうか」という純粋なワクワク感だと思っています。「指示通りに作りました」という冷めた仕事ではなく、「この技術をこう使えば、もっと世の中が驚くはずだ」というエンジニアとしてのエゴを、事業を成長させる力へと変換できる。そんなふうに、ビジネスの課題を「遊び」や「冒険」として捉えられる感性を持った人と、私は肩を並べて働きたい。
movには、技術を愛し遊び心を忘れず、それでいて「お客さまの課題解決」に真摯なエンジニアが集まっています。技術の自己満足で終わるのではなく、その先にある喜びを想像し、最短距離で価値を届けるためにAIさえも道具として使いこなす。そんな「造り手」としての誇りを持った人と、次の時代のスタンダードを作っていきたい。
正直、手厚い教育を望んでいたり保証された安定さを求める人には向いていないかもしれません。でも、自分の専門性で解きがいのある問いに挑みたい、エンジニアとして熱狂を味わいたいという人には、これ以上の環境はないと断言できます。AIの荒波さえも「面白い」と楽しみ、共にエンジニアリングの新しい美学を定義していける仲間を、心から待っています。一緒に、最高に楽しいモノ作りをしましょう。
インタビューを通して、大薮が一貫して語ってくれたのは、「エンジニアとして真摯にモノを創り、喜ばせたい」という切実な願いでした。
学生起業の泥臭さから、大企業での自問自答、そして組織の壁にぶつかった挫折まで。すべての経験が今のmovでの組織哲学に収束されています。
AIが実装を代替する時代だからこそ、「なぜつくるか?何をつくるか?」を問い続けるエンジニアの存在意義はより大きくなる。movがそんなプロフェッショナルたちの場所になることへの確信が、大薮の言葉から強く伝わってきました。
もしあなたが少しでもmovに興味を持っていただけたなら、
ぜひ一度カジュアルにお話ししてみませんか。
あなたのエントリーを心よりお待ちしています。