こんにちは、ものレボ採用広報担当です。
メンバーインタビューも第4回。今回は、ものレボ2人目の社員COOの松下にフォーカスしました。
メンバーのCOOへの印象はこんな感じ。
業務範囲が広くて、何でもやってるし何でもできる。喝をいれて引き締める役割をすることもあれば、メンバーの相談役にもなる。
でも、普段は頭もキレッキレなのに、誰よりも無邪気でいたずらっ子な一面もあって…謎に満ちてます。
オールラウンダーで謎に満ちたキャラクターCOO。しかし、実はものレボへの入社を何度も断っていたそう。彼がどんなキャリアを歩み、ものレボにジョインしたのかインタビューしてきました。
🎤 まずはキャリアや趣味など自己紹介をお願いします!
兵庫県伊丹市出身、立命館大学理工学部を卒業しました。新卒ではアイシン精機に入社して、生産技術に約6年従事したのち、PwCコンサルティングに転職。PwCコンサルティングでの4年経て、2018年にものレボ株式会社にジョインしました。
趣味は、車、ゴルフ、釣り、サウナ、子供と遊ぶことかな。
ーおお、車!
そうそう、車めちゃ好きやねん。特に、日本の古い車。
今乗っているのがS2000 AP1後期っていう車で…
ーストップ、ストップ!!趣味の話をを聞くと長くなっちゃいそうな予感がしているので、あとで色々聞かせてください(笑)
…というわけで、趣味の話は後編の最後「こぼれ話」で💡
🎤 立命館では工学部に入学されたんですね。それは、もともと車やものづくりに興味があったからなんですか?
うん、せやで。めっちゃ単純やろ?
小さいころから車が好きやったから、大学は機械系に進もうと思って機械工学科にいった。
大学では、学部2年生まではひたすらバイトしてたね。学校が終わったらすぐに帰ってバイトに行くっていう生活。当時は、実家から大学に通ってたから、地元のショッピングセンターのラーメン屋でひたすら皿洗いしたり、大鍋をふるったりしてたよ。バイトメンバーは小学校からの同級生ばかりで結構楽しくやってたね。
とにかく、アルバイト三昧でサークルには入ってなかったんよな。
高校まではサッカー部に所属して一生懸命やっててんけど、大学のサークルって基本は楽しくやる、あんまり勝ちにこだわらないところってのを感じてピンと来なかったんだよね。
で、大学3年の時に、知り合いに誘われ学生フォーミュラ(※)の工学部系の部活に入った。
※学生フォーミュラ:学生が構想・設計・製作した車で行うレーシング大会
俺が車が好きってことはみんな知っとったから、一緒に走ろうよってずっと誘われてて。でも、中途半端にするのは嫌やったから渋っていたんよね。そんな時に、1回試しにカート乗ってみたら?って言われて、走ったらポンと良いタイムが出て。今思うと、それも俺を入部させる作戦のうちなのかもしれんけど、俺もそこで火が付いて、やるんやったら本気で取り組まな、と実家をでて大学の近くに引っ越してサークルに打ち込んだのが3年生。
ーえぇ、引っ越しまでしたんですか!?
当時、実家から大学まで片道2時間かかっていたからね。おかんに、実家にいるときに自分にかかっていた費用の4万円だけ出してもらって。大学の近くのボロッボロのアパート借りて、バイトしながら練習に明け暮れたよ。8~10ヶ月ぐらいかな。
全国大会では、結局いい結果は出せなかったけどね…
ーめっちゃ青春。その当時から松下さんの「誠実」と「勝気」は変わっていないんですね。
🎤 小さいときはどんな子供だったんですか?
正直言うと悪ガキで、エアガンとかそういうのでずっと外でばっか遊んでた。刺激的なものはだいたいやってた気がするなぁ。
あと、大人になっても変わらないところは、惹かれるものがあったら、好奇心を満たすまで調べて習得しようとするところかもしれない。そして、良かったものを普及する。
例えば、近所の友達と新しいじゃんけん発明したら、それを自分の小学校で流行らせてみんなでやろうとしたりね(笑)
あと、好きなものも変わっていない。車は小さいころからめっちゃ好きで、ミニカーは沢山持ってた。ものの仕組みにも興味があって、ブラウン管テレビの裏側のねじをしょっちゅうドライバーで回しとったな。
ー普及するところまできっちりやるところは、小さいころから変わってないですね(笑)
🎤 車とものづくりの興味が大学、そして1社目につながるわけですよね。新卒でアイシン精機を選んだ理由はなんですか?
そうやね、アイシン精機を選んだのは、技術力を持っていて一つのものを作り込めることにおもろさを感じたから。
もともと、就活では自動車系の会社に行こうと決めてかなり絞って就職活動をしてて、たぶん10社も受けてへんのちゃうかな。
そもそも、サラリーマンでずっとやっていくというのは、就職活動の時から考えていなくて、どこかのタイミングで起業したいなって思ってて。でもいきなり起業するのではなく、社会人という貴重な経験をしてから起業しようと思っててん。で、それやったら、自分が好きなものづくり、自動車系に行きたいなって。国産車が好きやったから日本の自動車メーカーも結構見たんやけど…完成車メーカーには惹かれへんかって。できあがったものを組み立てるというよりも、ひとつひとつのものができ上がっていく、まさにものづくりの現場で”技術”を知りたいんなと。じゃあなんでデンソーじゃなくてアイシン精機なのかってなると思うんねんけど、単純に俺が電気系苦手やっただけ(笑)
🎤 細井さんとの出会いはアイシン精機ですよね。新卒時代のお二人は、どんな感じだったんでしょうか?
細井さんとは、新卒同期として出会ってんけど、当時からしっかりぶっとんでたわ(笑)せやからすぐに仲良くなった。部署と担当工場が同じで席も近くで、寮も一緒で。
▲アイシン精機時代のCOO松下(写真左)とCEO細井(写真右)。二人とも若い(笑)!
ただ工場が一緒っていっても、それぞれ違う部品を扱ってるから厳密にいうと一緒に仕事してたわけじゃないんやけどね。
で、俺が取り扱ってた部品は、ハイブリッドダンパーと大好きなクラッチ。このクラッチっていうのが…
ここでクラッチ愛が止まらなくなったので、割愛。気になる方は、こぼれ話をチェック💡
(; ・`д・´)🎤 …あの…アイシン精機時代の話を…
ごめんごめん(笑)
俺のチームは人が少なくて一人一人が担当(部品)を持っているから、先輩はいるけど上司ではない、ほかのチームとはちょっとちゃう環境やった。俺のすぐ上は、いきなり課長っていうレポートラインで、おかげさまでめっちゃ鍛えられたわ。
当時は大変やったし辛かったけど、あの時間があったからこそ知恵も根性も鍛えられて、今もこうしてやれてると思うな。
それなりに楽しくやっててんけど、学生時代から起業するつもりやったから、その準備も裏でずっと進めててんな。
実際、退職して起業をしようと本格的に考えたのは実は2回あって。
1回目は、入社5年目の時で海外に製造ラインを引くっていう大仕事を成し遂げたとき。
でも、そこで起業しなかった一番の理由は、この大仕事で悔しい思いをしてやり切った感が無かったからなんよね。とにかく、いろいろな人に助けてもらいまくった。今でも覚えているのが、一番大変な最後のすり合わせの部分を工場の上の人がやってくれたこと。ありがたかったんだけど、戦力外通告を受けたみたいで、すっごい悔しかった。俺が作ったラインのはずやのに、最後の最後、仕上げの技術のすり合わせでは何もできなかったって。
その時、起業準備として100個アイディア書きだすとかしてたんやけど、もう一回アイシン精機でチャレンジしてからにしようと決意した。
ー100個も準備してたのにですか!?
まぁ、出したアイデアにピンと来てなかったっていうのもあるな。その時は、製造系のアイディアももちろんあったけど、”取りに行かなくても良いクリーニングサービス”とか”電子ホワイトボード”とか幅広く考えてて。
で、そこから頑張って、今度こそやりきったなっていうタイミングでもう1回考えるわけよ、どういうので起業しよっかなて。
その時にふと思ったのが、中小製造業に向けたビジネスをしたいと思ってんな。
アイシン精機では、上司がいきなり課長やったから、ちょっと困ったことがあっても聞きに行けへんかってんな。席にずっと上司がおる訳ちゃうから。
そんな時に教えてくれる人ってのが、取引先のメーカーさんや設計屋さんっていう中小製造業の人たちやったんよね。まじで助かったことがいっぱいあって…。
で、その人たちに、産業ピラミッドの上流にいる大手企業の人間が結構偉そうにもの言ってんのとかを見て、意味不明な力関係できてんのがめっちゃ嫌やって。
その時に、そもそも産業ピラミッドっていう言葉がよくないよねって思ってんな。
でも、この言葉自体はめっちゃ昔からあって言葉や概念をなくすことはできひんから、ほんなら俺は産業ピラミッドを反対向けにしたいって思って、これしたら中小製造業に恩返しもできんなって思ってん。
ー過去のインタビューでも営業メンバーが、「産業ピラミッドを逆にしたい」っていう松下さんの言葉に心打たれて入社決めたって言ってました(※)。
※こちらのインタビュー記事☟
ありがとう(笑)
ほんでそこから産業ピラミッドをどうやって反対にしようかと色々と考えた時に、めちゃ単純やねんけど、中小製造にトヨタ生産方式(※)を入れたらええややん、そのための支援をすればいいんやってひらめいたんよね。
※トヨタ生産方式:トヨタ自動車が生み出した、無駄を徹底的に省く考え方
もう絶対(起業するなら)これやって色々調べてたらコンサルティングという言葉を見つけて。これ何や?って見たら、俺が起業するのをイメージしていた世界観がそこにはもうあって。
落胆したよね。俺、新しいアイディア思いついたって思っとったから。
でも、コンサルティングを調べれば調べるほど、自分が思っていたよりも深いことに気づいた。その時、まだ20代やったし、起業じゃなくて転職を経験するっていうのも選択肢としてありなのかもと思って転職活動を始めてんな。
ほんなら次はどのコンサルティング会社に行こうかと色々調べるわけよ。で、 当時のPwCの日本法人の代表の椎名さんがめっちゃいいこと言ってて。
PWCコンサルティングは監査法人や税理士法人、ディールアドバイザリーなど色々な支援内容を持ってる、だからこそ一気通貫でお客さんにサービスを提供できることがうちの強みですっていうのを読んだときに、うわ、なんかこの流れは製造業っぽいなって思って。一気通貫で全部できるってめっちゃいいやんみたいな。戦略だけとか会計だけとかじゃなくて、お客さんの課題解決を全部できんねや、PwCで働こうってなった。
🎤 転職してからはどうでしたか?
むっちゃ大変やった。
アイシン精機の時に、若手の時から発表会とかも出さしてもらってて、俺結構いけてんぜって天狗になっとたんよ。でも転職したら、俺よりできるやつがいて、というよりも全員俺より全然優秀で、もがき苦しんだなぁ。
でも起業の前の登竜門や思ってたから、入社前に辞める条件を決めてそれを目指して必死にPJやほかのメンバーに食らいついたな。
で、その条件っていうのが二つあって
①コンサルティングのコの字は語れるようになろうっていうこと。具体的に何かっていうと、 営業活動を除いたコンサルタントの仕事、ようはインタビューやロジカルシンキング、資料作成などができるようになること。
②昇格すること。
で2つの条件をクリアしてPwCには約4年勤めて退職した。
🎤 ものレボに入社するための退職というよりも、決めたゴールを達成できたから退職されたんですね。ではなぜ、ものレボに入社されたんですか?
起業は全くあきらめてなかったから、市場調査とかも本格的にやりはじめててんけど、
細井さんからずっと誘われていたから正直迷う気持ちはあったね。
でも、絶対一緒にやりたくなくて(笑)
PwC時代も、細井さんは東京に何度も何度も足を運んで一緒にやろうよ、一緒にやろうよってずっと言ってくれとって。でも、そのたびに俺は起業するから無理だと断り続けとってんな。
🎤 決め手はなんだったんですか?
細井さんが誘ってくれるたびに「なんで俺なのか?」と毎度聞いてたんだけど、「まっちゃんしかおらん!」の返答だけで、いつしかその問答がお決まりになっとったんよね。
で、その日は試すわけではなかったけど、ちょっとだけ切り返しを変えて「俺は起業したい。だからものレボに入ってもいいけど、CEOを代わってくれ。」と言ってみてんな。
ほんなら細井さんなんて言うたと思う?
細井さんは即答で「会社の成長のために必要であればすぐに変わる」って。その瞬間に、細井さんと一緒にやりたいって思ったんよ。これはもう俺の感覚でしかないけど、こいつ(細井)と一緒に戦ったら絶対事業を成功させれるって思ったんよね。
それに細井さんが作ろうとしている世界は、結果的に俺がやろうとしていた産業ピラミッドをひっくり返すことにもつながるし、ものレボで俺のやりたいことを実現させようとジョインを決めました。
ー(ノД`)・゜・。 そのエピソード、お互いの覚悟感が伝わってきてじ~んときます。
まぁ、でも、正直細井さんとのそのやりとりが無くてもものレボに来てたとは思うけどね(笑)
ーもはや運命ですね
前編はここまで。
後半では、ものレボCOOとして大切にしていること、ものレボへの想いを語ってもらっています。
後半に続く!