こんにちは!
エム・マーケティング採用担当です!
今回は、代表取締役の原田さんへのインタビューの模様を前編・後編に分けてお届けしていきます!
前編となる今回は、「幼少期から起業するまで」をテーマとして、
・会社員時代に気づいたビジネスのリアル
・独立・起業へと動き出したきっかけ
・経営者として大事にしている価値観
について、語っていただきました!
エム・マーケティングへのエントリーを考えている方はもちろん、「将来的に独立・起業を検討している人」は必見の内容となっています!
ぜひ最後までお楽しみください!
■プロフィール
原田 正文 / Masafumi Harada
熊本県出身。大学卒業後、東京のITベンチャー企業に就職。2012年4月からグリー株式会社に入社し、プロダクトマネージャーとしてソーシャルゲームの制作に携わる。2015年7月に株式会社エム・マーケティングを創業し、代表取締役に就任。社会人向け教育事業を全国展開し、年間60万人以上の中小企業の経営者向けにビジネス講座や研修の情報発信を行ってる。
幼少期〜学生時代
本日はよろしくお願いします!早速なのですが、原田さんの学生時代について教えてください!
脱サラをして、熊本県に移住し喫茶店や学習塾を営んでいた両親の下に生まれ、大学卒業まで熊本で過ごしていました。
学生時代は体育教師を目指していて、大学ではスポーツ教育に関する分野を専攻していました。
ただ、その頃から父の自営業がうまくいかなくなって、家計が火の車になってしまい、最終的には借金まみれとなりました。家にいると、借金取りから電話がかかってきて、慌てて電話線を抜くような生活でした。
なので、家計を支えるためにアルバイトを3つ4つ掛け持ちしていたというのが、私の学生生活になります。
学生時代を経て、原田さんはそこからどのように社会人になったのでしょうか。
その頃から、「仮に、私が体育教師になったとしても家計を支えることができない」と思い「どうしたらこの状況から抜け出すことができるのか」を考え、行動するために本屋さんに行って片っ端から経営者の本を読み始めました。
「どうしたら人生が成功するのか」みたいな内容の本を読み終わって、最後のページを確認すると、著者の方々は、みんな起業されているか、企業の社長かオーナーさんで、かつその多くが東京でビジネスをされているということを知ったので、「ビジネスに長けている人たちが集まる東京で起業を目指そう」と思って、将来的な起業目的で東京で就職活動を行いました。
その中でご縁があった、とあるIT系上場企業の幹部候補として働き始めたのが、私のファーストキャリアになります。
東京での社会人生活
東京で社会人生活をスタートされた後は、どのような歩みだったのでしょうか。
当時私が担当させていただいたのが、大手キャリアのポータルサイトにゲームアプリをバンドルで入れるプロジェクトに携わっていました。
私はその中でも、海外のゲームアプリをローカライズする新規事業ビジネスに携わっていたのですが、なかなか成果があがらず、結局約1年半ほどで退職しました。
実はそのタイミングで1度、起業をしたのですが、にっちもさっちもいかなくて、結局当時ソーシャルゲーム界で注目を集めていたグリーさんに入社させていただきました。
そこでは、ありがたいことに年商60億円ほどのゲームプロダクトのマネージャーをやらせていただきました。
とてつもないスピード感と勢いでグローバル展開していく様を目の当たりにして、「成長するとは、こういうことなんだな」というのを体感させてもらいましたね。
お話をお聞きすると、順風満帆な社会人生活を過ごされていたのかなと思うのですが、そこから起業を決断されたきっかけはなんだったのでしょうか。
冒頭でもお話ししたように、私は起業目的で東京へと上京してきました。
ただ、当時26歳くらいでプロジェクトマネージャーも任され、「ようやくキャリアで結果を出せるようになってきたな」と感じていたので、今すぐに起業しなくてもいいかなと思っていました。
そんな矢先、自営業を営んでいた父が病気で亡くなってしまったんです。
生前ずっと父は、「早く死にたい」と言っていました。
自営業がうまくいかなくて、お金がない生活をずっとしていたのもあり、先の人生に希望を見出せなかったのかもしれません。
その時、とても後悔しました。
私が起業を決意したのも、父が自営業で苦しんでいるところを見て、「このような苦しみを抱えている人の助けになりたい」と思っていたからなのに、当時は起業に向けた具体的な動きを起こすこともなく、ただ漫然と日々を過ごしてしまっていました。
「なんのために東京にきてビジネスをしているのか」を今一度考え直し、当時ビジネスアイディアもお金も人脈もありませんでしたが、「時間は待ってくれない」「この後悔を先延ばししてはいけない」そんな想いだけで、退職しました。
退職直後は、本当にしんどかったですね。
自分の手元にあったのは、PCとスーツと有り余る時間。起業に必要なお金が全然足りない状況だったので、退職してからの1年間は、やれることはなんでもやっていました。並行して、起業する事業モデルも考え続けていく中、退職から1年が経ったタイミングで今の事業を思いついて、拡大・成長させていきました。
Webマーケティングの魅力・可能性
辛い経験を積み重ねながら、起業を決意し行動をされていた中で、最終的にはWebマーケティング領域で起業をされた理由を教えていただけませんか。
まず、私はグリー入社前に1度起業しています。
ただ、その時は本当に何にもできなかったんですよ。
集客できない、商品作れないみたいな...。
当時は、営業代行のようなことを請け負っていたのですが、売上や利益を生み出す、いわゆる創業のゼロイチをどうするかというイメージが全く湧いてきませんでした。シンプルにお金がなかったと言うのもあるんですけどね(笑)
今振り返ると、日々目先の課題に目を奪われていたと思います。
その後グリーに入社して、私は衝撃を受けました。
1つは、「こんなに人が利用するのか!」というのと、もう1つは、「こんなに儲かるのか!」という部分で。
Webマーケティングの成果って、シンプルに数字でしか見れないんですよね。
グリーがWebマーケティングをフル活用して、新規ユーザーの流入経路を作ることで、何か事業が成り立つんだというところをまざまざと見せつけられました。
当時、私がぼんやりと考えていたのが、「このビジネスモデルを転用できないか」ということ。
すなわち、「同じような収益モデルなんだけど、それぞれのコンテンツモチーフによって売上が変わってくる」ような事業。
これを、業界業種問わず、「世間の悩みが深いもの」を対象に価値提供することは出来ないのかという視点でビジネスの機会を探していましたというのが理由の1つですね。
もう1つは、自分がデザインをできるわけでも、エンジニアリングができるわけでもなかったので、唯一特別なスキルを保有していなくても、PC1台で起業できる領域はどこかと探した時に、Webマーケティングなら可能性があると思ったからになります。
少し事業の話をすると、当社は、「オンラインでビジネス講座を提供している会社」ですが、開業当時は、リアル講座の受講のニーズが多かったので、対面での講座を主に行なっていました。
しかし、コロナによって自宅にいながら価値を享受するメリットを多くの人が体感したことで、オンラインのニーズの高まりに合わせて事業を移行していきました。
ただ、当社は一貫してWebマーケティングの力を活用して事業拡大をしております。
Webマーケティングの力を最大限活かすことを目指されていった中で、どのようにして今のビジネス形態になっていったのでしょうか。
結論から言うと、消去法です(笑)
私は、Webマーケティングの世界で約10年ほど働いていますが、当然成功よりも失敗の方が多いです。
それこそ、これまでやってきた9割くらいのことは失敗しています。
個人的には、その失敗を分析していった結果、「これしかない!」という感じなんですよね。
これまでも、いろんな業界の中で有名な戦略だったり、それこそグリーの戦略や同様のスキームを試したりしたのですが、当社では全然機能しませんでしたし、同じような予算感で進めていたので、すごい赤字でした。
独自に原因分析を行なっていく中で、「この辺りがネックになっていたんだな」とか「ここがクリアすると利益は出るんだけど、アッパーはあるんだな」という感じで、どんどんブラッシュアップしていったものが残っている感じです。
前編は以上になります!
波乱万丈な人生の中で、失敗を恐れずに挑戦し続ける原田さん。
後編では、エム・マーケティングの具体的な事業内容を中心に、
・今、エム・マーケティングに入社することがおすすめなワケ
・「オンラインビジネス講座」の1プロジェクトの流れ
・この事業を通して達成したいこと
について、お聞きしてきました!
後編もお楽しみに!!