MJEの創業初期から存在し、最も多くの社員が営業活動を行っているITS事業※
この事業部を統括しているリーダーとは、一体どのような人なのでしょうか?
日ごろの社内広報では、事業責任者として話を伺うことが多いのですが、今回はこれまでの半生をじっくり振り返る形で、その人となりに迫りました。
・営業職に出会うまでに、どのような出来事があったのか?
・何がきっかけで、マネジメントの道を目指したのか?
上記についても詳しく聞いていますので、ぜひご一読ください!!
※ITS事業部…当社のICT事業本部(情報通信領域)のうち、主にIT機器の提案や導入、宣伝プロモーションツールである看板型自動販売機「BoardStation」の販売を行う事業部。
当社では最も多くのメンバーが所属している。
【目次】
1.学生時代
・野球を中学までで辞めた意外な理由
・20歳で自らの意志で大学を中退。社会人キャリアをスタート
2.社会人デビュー~MJEと出会うまで
・トラック運転手から営業職へ
・営業で成果を残せたのは○○があったから
・偶然によって構築されたキャリア
3.MJEで迎えた転機
・プレイヤーではなく、管理職を意識しはじめた理由
4.現在、管理職として伝えたいこと
・結果責任と行動責任
・マネージャー→ゼネラルマネージャーへの道とは
■プロフィール小林 英司(Kobayashi Eiji)
大阪府出身。MJEには2012年に入社。現在はITS事業部の部長として、約60名規模の組織のマネジメントを行っている。
1.学生時代
□野球を中学までで辞めた意外な理由
ーー今回の取材では「MJEの責任者」のお話だけではなく、小林さん自身の半生について沢山お聞きしたいと思っています。よろしくお願いします!
よろしくお願いします。
ーー早速ですが、小中学校の時取り組んでいたことについてお聞きしても良いですか?
小学2年から中学3年まで野球を続けていました。学校の部活ではなくリトルリーグに所属し、中学からは軟式ではなく硬式で行う大会に出場していました。中学3年の時に2つの高校から”セレクション”という形で野球の入部試験を受けて高校に入りませんか、というお誘いもいただきました。
ただ、そちらは丁重にお断りしました。
ーーそうだったんですね……。断られたのはどうしてですか?
一つは野球推薦で入った場合、野球部への所属が高校在学の条件になっていたこと。例え競技中の怪我が原因だとしても、退部したら学校まで辞めなければならないという決まりだったのでそれはリスクがありすぎると。
もう一つ、そもそも野球は中学までで十分だと思った理由があります。同じチームの一個下に、のちにプロ野球選手になる大引啓次という選手が在籍していました。
大引くんとそれ以外のメンバーに明らかなレベルの差があることがはっきりとわかりました。小〜中学と同じチームで、しかも年下の彼にこれだけの差を実感すると、彼以上に野球で成果を残しプロの道に進めるとはとても思えず、またそれ以上の熱量もなかったため、野球ではなく一般入試で高校に進学することにしました。
ーー高校は普通科でしたか?
普通科ですけど半進学校というか、1日8時間授業がある特進コースに進学しました。土曜日も毎週授業は4時間あり、文化祭にも出られず授業……みたいな、部活に充てる時間さえも勉強に費やすような、そんな環境でした。目標とする大学は早稲田や慶應、関西で言うと関関同立でした。
ーー中学までとは大きく環境が変わりましたね…
とはいえ、自分は全然勉強に取り組んでいなかった方でした(笑)。
ですが受験3ヶ月前に担任に呼び出されて「これじゃ行く大学無いよ」と言われ、流石に大学には進学したいしこのままじゃまずい……と思い、入試までの3ヶ月間は徹底的に勉強に取り組みました。毎朝4時くらいまで起きて勉強した結果、暗記科目は入試レベルではほぼ満点を取れるくらいにまで知識を詰め込みました。今振り返っても、あの時の集中力はすごかったと思います。
ただ2年半勉強していなかった影響は根強く、結果、目標としていた関関同立には届きませんでした。
幸い、近畿大学は受験した3学部とも受かったので、その中から法学部に進学しました。
▽ちなみに採用担当にも近畿大学出身の社員がいます
□20歳で自らの意志で大学を中退。社会人キャリアをスタート
ーー進学後の大学での過ごし方、また就職活動の時のことを教えていただいても良いですか?
大学は実は3年に上がる前に中退して、その後トラックの運転手になりました。
ーーえ!差し支えなければ中退した理由を教えてもらっても良いですか……?
大学進学後、受験の反動もあってとにかく遊んでいたのですが(笑)、地元の友達の多くは高校卒業後すぐ働いていました。
当時大学でやりたいことがあったわけでもなく、バイトで少額しか稼いでいない自分と、今思えば全然凄い額では無かったものの、すでに社会人としてお金を稼ぎ遊びにお金をかけている友人と自分を比べてしまって、ものすごく歯痒い思いをしていました。
大学で学びたい理由や目的があれば退学することはなかっただろうけど、そうではなかった。そこで大学3年に進級するタイミングで、思い切って退学して社会人になりました。
ーーかなり思い切った決断ですね。
いや、ただ浅はかなだけです(笑)。トラック運転手を選んだのは純粋に車が好きだったのと、あとは給与面ですね。体力仕事で大変でしたが、やれば手取りで大卒初任給の2倍ほどは稼げたからというのが理由です。
2.社会人デビュー~MJEと出会うまで
□トラック運転手から営業職へ
ーーその後、営業の仕事にはいつのタイミングで出会われたのですか?
これは全くの偶然なのですが、当時トラックで運んでいたのがMJEでも主力商品であるコピー機(複合機)でした。
ーーすごい偶然!!(笑)ということはそのままコピー機関連の会社へ…?
ではないです。四苦八苦汗を流してコピー機を運んでいる中、現れた担当の営業マンがバシッとしたスーツでキメて、涼しい顔で仕事している姿がとても格好よく見えたんですよね。
まだ若かったこともあって「自分もあんな風に働きたい!」という想いを強く持ち、22歳の時に営業職に転職しました。
始めは「不動産投資用マンション」の営業で、電話によるお客様へのアプローチ(テレアポ)が主な業務でした。
その後は「オール電化や太陽光(発電装置)」を販売する企業に転職し、そこではテレアポだけではなく、お客様の元に直接訪問する飛び込み営業を行っていました。
その後転職したのが、MJEと同じ業界であるコピー機をはじめとするIT機器の販売を行う会社でした。
業界で名の知れた企業だったこともあってそこでしばらく働いていたのですが、同じ会社に勤めていて共通の知人がいたある社員の方がMJEに転職したことで、ある日「MJEっていい会社らしいよ」という評判をその知人づてに聞く機会がありました。
偶然手に入れた情報ではあったのですが、そのことがきっかけでMJEに興味を持ち、転職を検討したタイミングで面接を受けて採用頂き、2012年9月に入社しました。
□営業成果を残せたのは○○があったから
ーーそして2020年の9月で丸8年が経過したということですね……入社時はどの役職で入られたのでしょうか?
「同業経験者なので上の職位で」という話をいただいたのですが、MJEに先に勤めてる方もいる中、後からいきなり役付きで入る……という状況は個人的に抵抗があったので「一般から始めさせてもらいます」と伝え、一番下の等級で入社しました。
ーー一番下から今の位置までされてきたのですね。そんな事が言えるなんて格好良いです……!
そんなことないです(笑)。前職での経験を元に、「最低限これくらいは成果を残せる」という感覚はありましたし、MJEで働くなら、MJEで結果を出した上で役職に就くべきと思ったのでそうしました。
ーー営業で成果を残し続けることは大変だと思うのですが、それでも小林さんが一定以上の成果を上げ続けることができた要因は何ですか?
間違いなく言えるのは、覚悟を持たざるを得ないバックグラウンドがあったことです。私は3社目(オール電化を販売する企業)の時には既に結婚して子供もいたので、「稼げたらいいな」ではなく「絶対稼がなくてはいけない」状況でした。
私が独身だったら、今の業界を選んでいなかったかもしれない。
でもそうではなかったので、会社の制度や環境や条件とか関係なしに、どんな状況でも稼がなければいけない。やるしかない。常にそんな想いで居ました。
この覚悟っていうのは営業時にも現れるもので、例えば同じ提案をする場合でも「この商品いいですよ」とだけ伝えるのと、「絶対にメリット感じていただけるので、私を信じて導入してください!」と勧めるのでは、受け取る側に与えるインパクトは全然違いますよね。
ただ、「成果を出したい、だから買ってください」という自分本位な想いでは相手には響きません。契約をいただく覚悟が強ければ強いほど、相手にとって本当に役に立つことは何なのかを必死で考えますから、結果的にお客様にとってのより良い提案に繋がります。
結局のところ、どれだけ自分が本気になれるか、熱量を持てるかだと思います。
□偶然によって構築されたキャリア
ーー2社目以降営業職にずっと従事されていますが、「営業をやりたくない」と思ったことはありませんでしたか?
正直やめようと思うことはありました。実際に、3社目のオール電化を販売する企業からMJEの同業へ転職する際に、大手ディスカウントストアの人事ポジションの選考を同時に受けていて、内定をもらっていました。営業を続けるか人事をやるかは最後まで悩みましたね。
最終的に営業職を選んだ理由は2つあります。まずは給与面です。提示された金額が額面で10万円以上高かったですし、手にするであろうインセンティブ分も含めると大きな開きがありました。先ほどお話ししたように家庭があったので、その違いは無視できませんでした。
もう一つは、営業職への愛着です。自分の頑張りが成果として如実にあらわれ、結果に対する報酬をいただける営業職のやりがいは、他の職種ではなかなか叶いません。
もちろん毎月決められた目標を追い続けることは大変ですが、心の底から辞めたいかといったらそうではなく、自分は営業職が好きなんだということにその時気付かされました。
この時に奮起して営業職を続けていなければ、のちにMJEに転職する方にも出会っていないし、この会社に入ることも無かったと思います。
偶然の結果が良い出会いに繋がったという感覚は、うちの社長がよく口にする「計画的偶発性理論」の通りかもしれません。
※「計画的偶発性理論」…人のキャリア形成の80%は偶発的な出会いや機会によって決定され、その偶発を計画的に設計して自分のキャリアを形成するという考え方。スタンフォード大学のクランボルツ教授が提唱。
▽参考リンク
ーー営業を続けようか迷っていた時には、今の小林さんのポジションは想像していなかったわけですね!
全く想像してなかったです。今の立場になるために逆算して考えたことはなくて、ただただ転職など人生の岐路に立つたびに都度考え、やることが決まれば目先のことをやり切る、ってことを繰り返してきただけです。その積み重ねで今があります。
3.MJEで迎えた転機
□プレイヤーではなく、管理職を意識しはじめた理由
ーー小林さんのキャリアで言うと、MJEに在籍している期間が最も長いです。他の会社と違っていた部分はありますか?
もっとも大きな違いでいうと、”組織”で仕事をする魅力を初めて知りました。
それ以前の会社はすべて「個人プレー」の営業でした。組織図はあるものの、営業マン1人1人がどのくらい成果を上げて結果いくら稼げたかのみで評価され、他の社員と協力して仕事を行うことはありませんでした。
それがMJEでは、私の入社後に新卒1期生が入ってくることになり、初めて自分が組織を持ち、人を育成する機会がやってきました。
最初は何もできないところから、自分が教えることで業務を覚えてくれて、電話でお客様との約束ができるように(=アポイントが入るように)なって……と、成長の過程を一緒に経ることで「チームで仕事をする楽しさ」を感じるようになりました。
営業マン1人が獲得できる売上には限界があります。これをチームで取り組むことで一人では成し得ない、個人売上を単純に足し合わせた以上の成果を得ることができるだけでなく、各々の弱点すらも皆で補い合うことができると知りました。
ーーこの体験をきっかけに、マネジメントに興味を持たれたんですね。
それで言うともう一つ転機として上げたいのは、松村取締役※との出会いです。
松村取締役も私と同じく、別の同業会社で営業を経験した上でMJEに入社されており、いち営業マンからの叩き上げで現在の立場にある方です。
※役員紹介ページはコチラ
松村取締役とは拠点が大阪と東京で離れていた時期も長かったのですが、数度営業同行させてもらいました。その際、前職までの経験を元に培われた仕事に対するまっすぐさーー不正は許さず、営業にまっとうに取り組むスタンスが私と似ていることがわかりました。
松村取締役もそう感じて頂いたみたいで、松村取締役がITS事業部全体を見ることになった際、「英ちゃん(※小林さんのあだ名)には今後マネージャー・管理職として頑張ってもらいたい」と、当時サブマネージャーだった私に声をかけてくださりました。
信頼する上司に期待を寄せて頂いたこと、そして当時一緒に仕事をしていたメンバーからも後押しをもらったことで「挑戦してみよう」と、決意を固めました。
ーーありがとうございます。その言葉通りマネージャー、さらにはマネージャーを管轄するゼネラルマネージャーへと就任されたのですね。
4.現在、管理職として伝えたいこと
□結果責任と行動責任
ーー入社初期の数人のメンバーを見ていた時と、現在のように多くの人数を管轄する今とで、マネジメントにどのような違いがありますか?
サブマネージャーの時は、常に課員に寄り添うことを大切にしていました。
良いところも悪いところも全て自分で責任を引き受ける覚悟で、徹底的に自分ができることを部下に教え込んでいました。自分のコピーを作るではないですけど、それくらいの勢いです。
ところが、これがマネージャーになると、自分の下にさっき言ったような課員に寄り添うサブマネージャーのチームが3つも4つもあるわけです。そのサブマネージャーを通り越して上にいる自分が同じやり方で入り込むと、その下にいるメンバーは必ず混乱します。
なので、まずマネージャーになって意識したのは「指示系統の明確化」です。
・行うべき指標
・今後描いている形
・どのように業務にあたるべきか
こういったものは、原則私の直下であるサブマネージャーにだけ落とし込むことを徹底しました。発信はエリア責任者である彼らに任せます。
さらに、今現在も大切に考えているのは「責任範囲を明確化する」ことです。
“責任”には①結果責任と②行動責任があって、①結果責任は営業でいうと「成果:どのくらい売上を立てられたか」に尽きます。
ただし、この成果に関しては相手がいる以上、自分の努力次第で必ずコントロールできるものではありません。「決められた予算を絶対に達成します!」といっても、お客様の都合や、現在のコロナ禍のような環境要因が影響を及ぼすかもしれない。
対して②行動責任 は、「1日100件電話をかける」「今日は明るく電話でトークすることを心掛ける」といったように、自分の努力次第で100%達成できる行動です。
一般社員に関しては、②行動責任を徹底的に追及するよう指導しています。
入社したてで知識も経験も少なく、これから成長しなくてはいけない職位の社員に対して、①結果責任を追及して「どうして売上が立たないのか」と言ってもどうしたらいいかわからなくなってしまうだけなので、①で叱ることはしません。
ですが、上司に指導されたこと、自身もその意図を理解しコミットしたうえで②行動責任を果たさない時は厳しく指導しますし、させます。
成果を向上させるために指導されたことを実行しないのは、仕事を放棄しているのと同じことですので、ここができていない場合はきっちり意図を伝え改善を促します。
これが、サブマネージャー、マネージャーと職位が上がっていくごとに、②行動よりも①結果を追及するようになっていきます。責任給という形で対価を支払っている分、より不確実性の高い「結果」を追及する責任が重くなります。
ーー実際に人事評価制度もそのような考え方で作られていますね。
□マネージャー→ゼネラルマネージャーへの道とは
自分がマネージャーからゼネラルマネージャーになった時に意識したことは「差配/分配/決定の承認権限をできる限り自分の下=マネージャーに譲渡する」ということです。
例えば私がマネージャーに対し、仕事の内容を聞いたうえで「やり方は全部決めるから言った通りに動きなさい」って指示してしまったとしたら……
ーー思考停止してしまいそうです
この指示をした時点で、相手は考えることを放棄します。
これが進むと「小林さんの決裁を待とう」、もっと良くない例で言うと「最悪失敗しても小林さんが言った通りにやっただけだから」と責任転嫁する思考になってしまいます。
個人能力の高い責任者にありがちですが、マネジメント手法としては完全な間違いで、こうなってしまうと組織は頭打ちして成長も拡大もしません。
そうならないために「自分の責任範囲は、自分で責任を負う」という覚悟を持ってもらうようはたらきかけています。
ですので自分の部下である5人のマネージャーには「果たすべき結果」のみを伝え、実現するためのプロセスやアプローチには「不正以外であれば、どのような手法を用いても構わない」とだけ言い、一切指示を出さないようにしています。
一見すると放任しているように見えるかもしれないですが、結果・指標だけはしっかりと与えて、彼らが「わかりました、やります」と言って実際に達成に向けて自ら考え、自ら動き出す……この循環ができると組織が自走しはじめ、結果として常に拡大・成長する強い組織へ変貌していきます。
今のITS事業部のマネージャーは、MJEに新卒入社して昇格したメンバーが多いですが、私がマネージャーだった頃よりよっぽど考えてますし、成果を出してくれています。
思い切って彼らに任せた結果がしっかり返ってきていると感じています。
ーーありがとうございます。最後に、今後「マネージャーからゼネラルマネージャーになりたい」と思っている方に対してできるアドバイスがあれば教えてください
すでに今のマネージャーには伝えていることを、こちらでもお話しします。
年々営業活動を行っていく中で、やり方や商品知識のアップデートをしてきたこともあり、現在ITSには過去最も高いパフォーマンスを発揮してくれるメンバーが多く揃っています。
一方で、売上を立てる・予算を達成するという結果責任は、あくまで今現在の職位に対する責任を果たしているのであって、「クリアしたから次の職位に昇格できる」という制度ではありません。
次に行きたいと思うならば、例えば新たなメンバーの採用や受け入れ、育成にも力を入れて、組織を拡大させ”次の責任者を立てざるを得ない”という状況を作る必要があります。
先ほども伝えたように、今のマネージャー達はしっかり成果を残しているし、現在やってくれている仕事を高く評価もしています。
だからこそ、”自分よりも優秀な部下を輩出する”ことが、実は一番のミッションでもあります。
ーー実現できたら、さらに強い組織になりますね。
今の現場メンバーが優秀であるが故に大変ですが、挑戦してもらいたいですね。
そして私自身も事業部をより強固に拡大・成長させ、次のステージにステップアップします。
▽ITS事業部の若手社員のインタビューはこちら