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幾度とない失敗を糧に成長を続ける。代表取締役 中島の原点と価値観。

「役員降格が2回、海外左遷、大手人材会社からの当時史上最大のクレーム。ここまで多くの失敗や挫折を繰り返した50歳社長はいないかもしれないです(笑)」


この言葉から本インタビューはスタートしました。

当社採用チームメンバーによるインタビュー企画第一弾は、中島樹里社長です!

1999年にマスターピースに入社し、これまで数多くの失敗や挫折を繰り返し、中島社長のキャリアは形成されています。マスターピースは2023年現在、大きく姿を変えようとしている最中であり、その思いとこれまで語れられることがなかった中島社長の半生について赤裸々にインタビューしたいと思っております。是非ご覧ください!


土日もなくがむしゃらに働いた20代。原点はグッドウィルとの出会い


―中島さんが代表取締役社長になるまでの、キャリアの流れについて教えてください。

大学時代は、人材会社のグッドウィルで創業メンバーとして携わっていました。大学卒業後はアパレル会社のトゥモローランドに入社し、紳士服の販売コンテストで全国一位に。しかし、どこか当時の自分自身の働く姿勢に対してモヤモヤを感じ、グッドウィル創業時代での働き方が忘れられず、改めてグッドウィルに入社しました。次の年には、マスターピース・グループの前身となるグッドウィル・コミュニケーションに転籍し、20代後半ごろまで土日も関係なくがむしゃらに仕事をしていました。中国・大連子会社の総経理(社長)やバンコク子会社の社長など、海外でのマネジメント経験を経て、日本に帰国。新規事業担当や専務取締役を経験した後、2022年に代表取締役社長へ就任しました。


―それぞれの時代について、転機になった出来事も含めて詳しくお聞かせください。

今考えると、グッドウィルとの出会いは運命だったかもしれません。少し言い過ぎかもしれませんがそこが私の仕事観の原点になっています。

それは就職浪人をしていた、大学5年生のこと。その時の私は、アメリカンフットボール部を引退して、アメフトの浪人仲間と一緒にアルバイトの募集で見つけた「サイク」という会社に働いてみることにしたんです。そこでは、何もかもが新鮮でした。「会社」「働くということ」「働く仲間」。自分の人生がとても面白くなる気がしたのを今でも覚えています。サイクに入ってからは、「働く」ということが楽しく、がむしゃらにやっていました。

派遣の仕事だったのですが、それぞれの現場での仕事はどれも新鮮で仕事にのめり込むのにそう時間は掛かりませんでした。現場リーダーを任されるようになり、本社ではちょうどそのタイミングで新会社「グッドウィル」を立ち上げることとなり、本部の創業に携わることに。

「仕事とはなんて面白いんだ。」

衝撃でした。仕事への楽しさはそれまでに十分感じていましたが、明らかに今までと違ったものだったんです。当時の人員は10人ほど。かなり忙しく、毎日ほぼ帰らず徹夜で働くような生活。

しかし、そこで出会ったグッドウィルのメンバーは寝ている意外ほとんど働いているのに心の底から人生を楽しんでいるんです。2度目になりますが、かなりの衝撃でした。

今の弊社の創業者に出会ったのもそこが始まりになります。当時のグッドウィルの役員は仕事の出来る方ばかりで、そういう幹部がいるからこそ、グッドウィルに人が集まっていると言っても過言ではないほどでした。ある日、役員に「お前、真面目に就職活動してないな。ここで働いていることに甘えないで、もっと本気で就職活動して自分で努力して就職した会社で活躍できる人間になれ」という話をされたんです。その一言がきっかけとなり、真剣に就職活動するようになりました。その結果、当時好きだったアパレルに関わる会社、トゥモローランドに入社することに。

トゥモローランドでは、新入社員は皆、販売職を経験します。「営業がやりたい。」そう思っていた私は、その時ちょうど開催されたスーツ販売コンテストで本社にアピールをすることにしました。グッドウィル時代の経験を踏まえて、がむしゃらに接客など行った結果、無事全国一位に。(その時はまだ十数店舗しかありませんでしたが、、)

その業績が営業部長の目に留まり、営業部に異動させていただきました。営業部では、創業者メンバーの女性役員のかばん持ちとなり、面白い仕事をたくさん経験させてもらえました。仕事に対して妥協のない方で毎日厳しく指導をうけ、周囲にも心配されるほどだったのですが、私としては、ただ「仕事って面白いな」と感じていました。しかしその一方で、自分の成長に不安を感じるようになってきたんです。

そんな中、グッドウィルは2年で数百店舗と急拡大しつつ、IPOを目指している。

「グッドウィルでなら自分のこの漠然として不安を解消できるのではないか。」

思い立ったが即行動と言いますか、気づいたらグッドウィルに入社していました。

グッドウィルに入った当初は、社長直属の秘書のような仕事をしていました。そしてとにかくがむしゃらに働いていました。今だったらあり得ないかもしれませんが、土日も仕事で、休みは年末年始しかないくらいのブラックな働き方が、4~5年。20代後半までずっとこういう働き方をしていたので、当時はほとんど友達にも会っていませんでした(笑)。でも、その分いろんな仕事を経験できて、できる仕事がどんどん増えていきました。たまに友達に会うと、同級生たちは会社の文句を言っているけれど、自分は仕事をとにかくひたすらやっていて、できることも増えている。「同級生たちより目線が上がっているな」という実感があったりして、大変ながらもがむしゃらに取り組んでいたのは楽しかったです。


振り返ると、僕の原点はこうしてがむしゃらに働いてきたことにあって、特にグッドウィルのアルバイト時代に培われたと思います。グッドウィルの創業メンバーは、仕事を通じて、自分の成長と共に世の中にない新しいサービスを作り出すことを目指している人達だったので、この出会いはとても衝撃的でした。そんな人達ばかりの環境に身を置くことで働くことの楽しさを覚え、自分の仕事観が思いきり変わりました。本当に運命だったのだと思います(笑)。そういうところからも、「他の人が休んでいるときも仕事をして、少しでも何かできるようになりたい」という価値観が育まれたんだと思います。


海外経験が仕事人生の転機に。マネジメントの考え方が大きく変化


―かなりがむしゃらに働かれていた中島さんですが、挫折の経験も多かったと伺っています。

自分自身では挫折をしたとは思っていないのですが多くの失敗をしていて、周りからは「中島さん、よくマスターピース退職しませんでしたね」と100回ぐらいは言われています(笑)

詳しくお話をすると、27歳の頃、株式会社グッドウィル・コミュニケーションに転籍したのですが、そこで初めてかつ、かなり大きな失敗をしました。グッドウィル・コミュニケーションは、グッドウィルという親会社からMBOによって独立した子会社で、マスターピース・グループの前身となる会社です。ここでは、経理部以外の部署の仕事は全て経験しました。債権回収を行う審査室を作ったり、営業部で取締役になったり。

そんな中、31歳の時に大手人材会社の採用代行を請け負うことに。これが、最初の大きな挫折の始まりでした。面接のブッキングや説明会場での誘導などを行っていたのですが、実はしっかりと体制が整っておらず、、。その結果として、「間違った案内をしてしまい、会場に学生が誰も来ない」というようなトラブルが何度か続いてしまったんです。そのため、総額数千万円のほどのお仕事だったにもかかわらず、支払いもしていただけず、出入り禁止になってしまいました。

当時、取締役だったのですが、執行役員へ降格となってしまいました、、(笑)

本当に、笑い事じゃないですよね(笑)。その後、毎朝その大手人材会社の入口に立って、営業部長にあいさつと謝罪を繰り返し、「お話をさせてください」と何度もお願いしていました。それが功を奏してか、2か月経った頃にやっと話をしていただけて、支払いもしていただけた……という経験があります。今でも苦い思い出です(笑)。あまりうまくいかない時期でしたが、なぜか不思議と仕事自体は面白かったのを覚えています。


―その後、中国やタイの支店に異動し、マネジメント経験をされていますね。

2度あることは3度あるっていうんですかね。役員降格をもう一度経験しました(笑)。

30代前半の頃、弊社が中国・大連に出店することになり、その子会社の社長(総経理)として3~4年中国で働きました。このあたりから海外でのマネジメント経験を積みました。35歳の頃には、タイのバンコクでも子会社を立ち上げて、うまく軌道に乗せることができました。海外で働いたことによって、マネジメントや事業運営の経験が積めたと感じています。ただ、日本に帰国してコールセンターの取締役をしたものの、業績が悪化してしまい、40代半ばごろに今度は中国・北京へ行くことに。これが2度目の降格です(笑)。「お前、用無しだよ」くらいのことを言われての渡航でした。しかしそこでもいろいろと学ぶことがあり、やはり仕事は面白かったのを覚えています。かなり、苦い思い出であるはずなのに不思議ですよね。


―波乱万丈のキャリアですね。その後、どのような経緯があったのでしょうか。

日本に帰国してからは、さまざまな新規事業を担当しました。これが、自分にとってかなり成長するきっかけとなったんです。シェアハウスや食に関するビジネスなど、マスターピースがメインで手掛けているBPOとは、少し毛色の違う仕事を担当していました。ですが、ここで初めて自分たちがエンドユーザーを持って、自分たちの製品/サービス提供するということを経験しました。初めて業務委託ではなく、自社製品を提供する事業を経験したことで、「マーケティング」について学ぶことができました。立ち上げたばかりなので本業のBPOから比べると小規模な事業でしたが、ここで様々な経験を積んだことによって、今の自分があると思っています。


―さまざまな挫折経験を経て、マネジメントに対する考え方は変わりましたか?

マネジメントもそうなんですが、様々な価値観を受け入れるようになりました。

お恥ずかしながら、20~30代の頃は、「オラオラ系のマネジメント」をしていました。当時は周りもアメフト部の後輩だったり、ラグビー部出身だったりと、体力勝負の社員ばかりで、「徹夜できないんだったらもうお前、帰れ」みたいなマネジメントをしていました。今思うと、多分自分の価値観を突き通していたのかもしれないですね。でも、海外に行ってから、マネジメント方法は大きく変わりました。それは、「多様な価値観」を受け入れざるを得ない状況に直面したためなんです。海外ではそれまでのような自分一辺倒のマネジメント方法は通用しなかったんです。

「このままじゃ、だめだ。」

そう思い、海外のマネジメント経験から多様な価値観を需要すること、さらには上下関係を強調するというより、フラットな関係性でいられるよう、意識するようになりました。また、その頃初めて子会社の社長という立場になったので、「不安な顔をしないようにしよう」と心がけるようになりましたね。いつでも笑って「大丈夫だぞ」と言えるよう、意識していました。そのあたりから、働き方ももちろんですが、価値観の受け入れ方が明らかに変わったと思います。


何度でも立ち上がれた理由は「挫折も前向きにとらえてきた」から


※ここでインタビューに同席をしていた、人事責任者の石川取締役に中島社長の印象を聞いてみました。


―周囲の方から見て、中島さんはどのような方でしょうか。

石川:「挫折を経験しても、その後の復活の仕方がすごい」という印象です。私が中島社長と出会ったのは、、、えっと、すみません、普段は社内で誰も「中島社長」とは呼んでいないので、いつもどおり親しみを込めて「樹里さん」て呼びますね(笑)、その樹里さんが中国・大連で総経理に就任した頃です。私は「中国で働きたい!」と思い中国に行ったのですが、当時の中島にとって、中国行きは降格後の措置であり、本意ではなかったと思います。そんな中、与えられた場でとても前向きに、その仕事の面白さを見つけていたんです。信じられますかね??他の人だったら「もう辞めてやる!」と思いそうな挫折を何度も経験しているのに、その経験を前向きにとらえているんですよ。そういう風に、失敗しても仕事へのモチベーションを上げるのが、とても上手な方だなと思っています。「逆に海外のマネジメントが学べてよかった」「あの時マーケティングを学べたことが今役立っている」と言っているので。私たちにとっても、その姿勢は学ばせていただくところが大きいなと思っています。


―さまざまな挫折を経験する中で、中島社長は「辞めたい」と思ったことはありましたか?

私はストレスに鈍感なんですよ。。。

これまでいくつかの適性検査を受けたことがあるのですが、どの結果も「ストレス耐性が強い」もしくは「ストレスを感じすぎて麻痺している」という結果になり、ストレス耐性の数値が異常に高いのです。。。

回答に戻りますが、挫折をしても、「やってられない」と思って辞めたくなったことは一度もないです。

性格の問題もあるかと思いますが、そもそも自分は出来ない人間だからです。私は今でこそマスターピースの社長をやっていますが、出来ていないことだらけで日々失敗の連続です。

出来ない人間だからこそ、失敗、挫折することは避けられないので、それを悔やむのではなく、それをどうやって改善するか、どうやって成功させるかの努力をするしか方法がありません。

以前、「本当に辞めようか」と思うこともありましたが、それは挫折をしたからというよりも、自分の失敗によって周囲に迷惑をかけてしまったからでした。

でもそんなときは、逆に周りの人が助けてくれて、立ち直れました。だからこそ、今の自分があるのだと思います。そして、さまざまな挫折を乗り越えて今まで続けてこられたのは、物事を前向きにとらえていくことが人より得意だからかもしれませんね。


さまざまな挫折を経験しながらも、その事実から逃げず前向きに向き合うことで、ご自身の成長につなげてきた中島社長。大きな失敗から逃げず、より大きな成果に繋げるバイタリティの高さは、社会人として良い結果を残すよりも難しいことかもしれません。そして、代表取締役になっても自身の正攻法に固執することなく、さまざまな価値観を受け入れています。これは、挫折を何度も乗り越えてきたからこその強みなのでしょう。過去の経験を生かし、周囲の気持ちに寄り添いながら、異なる価値観を受け入れる。企業の代表が盲信しがちな「正攻法」に固執せず、さまざまな価値観を受け入れる中島社長の考え方そのものが、マスターピースの変化に強い企業風土を表しているのではないかと感じました。


インタビュー企画第一回目はここまでとなります。


中島社長のキャリアの赤裸々な公開について、前述した半生には続きがあります。


2020年頃より、創業者で代表取締役会長と今後の世代交代について話をするようになりました。


続編をお楽しみに!


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