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【創業ストーリー#1】カンボジアで創業した理由

汚い環境を変えたくて、自分が一人黙々とごみ拾いをしていると、隣で気にせずポイ捨てをしていく。ポイ捨てを注意すると、面と向かって「お前に頼んだ覚えはねえ」と捨て台詞を言って去っていく。僕が8年間を費やしてやっていることは、この連続のような気がしてなりません。何のためにこんなことをやっているのか。そんなことを思う日もあったかと思いますが、当時のことはあまり覚えていません。

ストライキ、浸水、停電、失踪、窃盗、村八分。Momが呼んでいるので早退したい、体調が悪いので明日休みます←今日から休め、黒魔術にかかったので早退したい等々。いやいや、なんかのギャグですか?笑、って聞く前に既に帰ってるし。仕事する前の問題が山積みすぎでした。「仕事とは何か」というところから説明する必要があり、時には農業しか知らない従業員の親に会いに行って、「仕事とは何か」を説明したこともありました。

思えば創業したてのころはマザーテレサのような寛大な心とブルーハーツのような反骨精神を足して2で割ったような、そんな心持ちで仕事をしてました。3歩進んで、2歩下がる、いや3歩、4歩下がって、ちょっと前に進む。その積み重ね。

そんな、砂漠を歩いているような途方もない道のりを乗り越えられたのは、ほんとここ最近のような気がします。従業員、クライアント、株主、その他支えてくれた皆さまありがとうございます。

僕は大学を卒業して23歳の時に単身カンボジアに移住して、日系のITベンチャー企業に就職。所謂、新卒海外パターンです。当時はセカシューなんて界隈では言われていたけど、海外就職=グローバル人材なんて大手=安定並みに古い価値観。むしろ日本にいた方が環境は圧倒的に恵まれていたと思います。そして、3年間カンボジアの首都プノンペンで働いたのち、カンボジアで独立。その後、日本でも法人を設立。今年はベトナムにも進出予定で、気付けば32歳に。それが今の自分です。

カンボジアで創業した理由

この8年間で自己紹介をした際に聞かれる質問の中で圧倒的に一番聞かれるのが、なんでカンボジアなの?です。

人生なんて所詮たまたまの連続です。
YouTubeがない時代にYouTuberなんて当然生まれていないし、昭和の時代にウェブデザイナーになりたいと思う人もいない。何をやるのか、なんて個人的にはひどくどうでも良いし、結局はその時代の環境に踊らさえてやりたいことや、自分の将来の夢が定まっていく。

そう考えるとやはり、自分がカンボジアで起業をしたのも、たまたまであったとしか言いようがない。世界200カ国ぐらいあるなかでカンボジアという国を選んだ理由なんて、大した理由があるようで、大したことない。ただ、自分にとってゼロからやるにはちょうど良い国に思えたのです。学歴も資格もコネクションも全く関係のないゼロからの積み上げ。昔ファミコンのドラクエを買った初日のような、あの時、あのワクワク感を感じるには、当時のカンボジアが自分にとってはちょうど良い気がしてました。

当時は岡本太郎の「自分の中に毒を持て」のコトバを噛みしめながら、カンボジアに行ったのを今でも覚えています。

危険な道を取るか、安全な道を取るか、迷ったら、危険な道を取る

大抵の人は安全な道を取るので、危険な道を取る=ニッチな存在、相対的に価値は上がるだろうと、当時よく思ってました。今も最先端なことを最底辺でやろうとしてるのは我々ぐらいではないでしょうか。

何故起業したか

次に多い質問、何故起業したんですか?に関してはそれなりの理由があります。一言で言うならば下剋上ビジネスがしたかったから。

前職時代、カンボジアで自分と現地の若者たちと一緒に働き、触れ合い、日本の業者からアウトソーシングの仕事をいただく中で、制作者側の人間として常に敗北感を常に感じていました。現地の従業員はそこらへんの日本人より優秀なのに、時1ドルくらいでこきつかわれて、日本のクライアントはまるで我々を奴隷のように扱う。奴隷は言い過ぎかもしれませんが、我々が仕事を発注してやっていると言わんばかりの仕事の仕方。末端の工程ではなく、上流からビジネスに携わるためにはどうすれば良いのか。そんなことを考える日々。

資本主義下、経済各社を利用したアウトソーシング業務はどうしても発注者側が優位な立場。勿論全員がというわけではないですが、ビジネスの座組が良いとは思えません。しかし、世の中はそうやって成り立っているのも事実。資本主義に中指を立てたところで仕事が無くなるだけ。結局途上国の人たちは社会性を売りにしたお涙頂戴ビジネスか、すごく薄利多売なおこぼれ頂戴ビジネスしかできないのか。

85%の確率で途上国に生まれる世界にも関わらず、世界を動かしているのは先進国の中の、ほんの一握りの人たちという事実。

ふーん、って聞いている日本人も結局間接的にそういったビジネスに加担しているということを知ってほしい。今日本という超コストがかかる生活をしている一方で、ファストファッションがあってすごく安い価格で物が買えていて、豊な暮らしができているのは紛れもなく、それよりも低い価値で一生懸命働いている人達が、世界の何処かにいるからです。

太陽が出れば陰も出るということを、知っている日本人がどれほどいるのだろうか。少なくとも僕は知ってしまった。世界中色々な国へ旅をしたけど、日本ほど恵まれた国はないなと思ったのと同時に、世の中はどこまで行っても不公平だなと感じました。それでも、僕らのように先進国と開発途上国の両方を知っている人にしかできないビジネスもあると思うのです。

自分のミッションはそうした途上国でよくある奴隷ビジネスから這い上がる人材を見つけ、下剋上ビジネスを一緒に企て、革命をおこすことです。ボクシングで例えると那須川天心がメイウェザーに勝つみたいなそんな感じ。革命的ですよね、そういう世界をつくりたくて、起業しました。

不公平は世の中で唯一平等に与えられた権利、時間というものを最大限に有効活用し、経済的合理性をもって正々堂々とフェアなリングの上で戦う。そして、辺境から世界を変えていく、そのために起業しました。そのためにはそれ相応の戦い方(戦略&戦術)があると思います。そのあたりを含め、少しずつ創業時の想いを紹介できればと思います。

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