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成果を最大化するための選択とは

こんにちはココロ・ミル 屋嘉比です。

中学受験2月で受験が終わり、3月末の現在、ココロ・ミル渋谷校では新六年生を中心とした春期講習開催中です。

一年のはじまりの時期であり、この一年間どのように子供たちの学力を向上させていくのかを思案している時期です。どのような目標を設定し、どのような教材を使い、どのような計画を立て、どのような手順で学習を進めていくのか。何を選び実行し、何を捨てていくのか。ということを選び抜く大切な期間となります。

そこで本日は “選択する”というテーマについて書きたいと思います。



なぜ選択することが必要なのか?

“選択と集中”という用語があるように何かに取り組む際、何を行い、何を捨てるかを選択する必要があるかと思います。

例えば、一日のスケジュールにおいても退勤後飲みにいくのか、まっすぐ家に帰るのか、それとも街を一人ぶらぶらとするのか、など無数の選択肢から意識的にせよ無意識的にせよ何か選択を誰しもがしているのではないでしょうか。

私は日常においても仕事をする上でも選択するということへの意識を大きくしています。その理由を語らせていただきます。

1.時間の制約があるから

選択するということに意識を傾けている一番の理由は時間の制約という面からです。ここはやはり中学受験を例に語らせていただきます。(得意分野なものでして。)

中学受験に出題される全範囲は本屋さんに置いてある受験参考書の目次を見ることで大体の範囲を知ることができます。

しかしながら全範囲を把握したからといって全範囲を完璧にできるようにすることは大変難しいことです。

中学受験に出題される全範囲となると膨大な量となり、大人でも一全てをこなすのは難しいほどの分量です。それをまだ子供の段階において一年で全てをこなすというのはほぼ不可能といえます。

そこで子供にとって本当に必要なことを選択することが解決策へと繋がります。

志望する学校の過去問はほとんどの場合公開されていて見ることでき、やるべき範囲、勉強量をある程度推し量ることが可能です。

目標校に対する適切な範囲、勉強量を把握し、実際に勉強する範囲、勉強量を選択することで時間制約に立ち向かうことができると考えています。


2.努力量と成果は比例しない場合も多い

選択することに意識を大きくしている二つ目の理由は、努力量と成果には比例関係がないとうことに気がついたことです。

語弊が生まれそうなので少し詳しく話したいと思います。努力が無駄という話ではなく、努力量に対しての出力は実は一定ではないのでは、という話です。

ここは私自身の経験から語らせていただきます。

小学生の頃に野球をやっていました。打つことと走ることは得意だったのですが、守ることはてんでダメでした。打つ練習を10時間することと、守る練習を10時間することで得られる野球の総合的な力は前者のほうがはるかに大きかったと感じました。そこで私自身チームのためには守るほうは目をつむってもらい、打つ練習を重点的にしていこうという選択をしました。(本当は打つほうが楽しかったという理由が90%でした。)

その選択は正しく、打つことでチームに貢献できることが多かったのです。

要するに得意なことのほうが大きく伸びる、ということを言いたいのです。

子供たちに勉強を教える場においてもそのことを感じます。

算数はぐいぐい伸びるが、社会の漢字は同じ時間をかけてもなかなか伸びない。

暗記することは得意だが、深く思考する問題はなかなか伸びない。

そういった得意不得意に差が大きい場合、私は苦手なことにはあまり突っ込みすぎないというスタイルを取ります。伸びる部分を大きく伸ばしていったほうが相対的な成果は大きいと考えているからです。

苦手の克服も時には必要なことは感じていますし、苦手だからと避けては通れない部分もあります。(漢字や計算などは特に)

それでもやはり成果を最大化することが一番大切だと考えているので努力量に対し伸び代が大きいことを実行するための選択を行っています。

以上、選択することの大切さについての考察となりました。

引き続き共に働ける仲間を募集中ですのでお待ちしています!

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