大阪万博の舞台で、AIが歯を診断する。私たちが目指す「医療の民主化」への挑戦
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あいさつ
こんにちは。神戸ソフト代表の松岡です。
2025年の大阪万博。この歴史的なイベントの舞台で、私たちは一つの大きな挑戦に取り組みました。AIによる歯の診断システム。何万人という来場者が立ち止まるブースで、その場でAIが歯の健康を瞬時に判定する——そんなシステムでした。
なぜ歯か。なぜこの挑戦に熱くなったのか。そして、そこから何を学んだのか。その話をしたいと思います。
技術的な「壁」との対峙
AIによる画像認識は今や一般的な技術です。でも「歯の診断は違う」でした。
私たちが目指したのは、病気そのものを検出することではなく、「未病」の段階を見つけることでした。つまり、虫歯や歯周病がまだ顕在化する前の、わずかな兆候を捉えること。歯ぐきの色の微妙な変化、歯並びのずれによる特定部位への負荷、プラークが付着しやすい傾向——こうした「まだ問題ではないけれど、このままでは問題になるかもしれない」という状態を、AIで見つけ出す必要があったのです。
これは、一般的な診断AIよりもはるかに難しい課題でした。医師が数十年かけて培う「経験則」の領域に踏み込む必要があったからです。明確な「正常」と「異常」の線引きではなく、グレーゾーンの細かい変化を、データとして学習させなければなりませんでした。
さらに厄介なのはデータの質でした。実際の口腔内画像は角度も光も被写体も千差万別。同じ人の歯でも、時間経過とともに微妙に変化していく。未病の状態を「正解」として定義することそのものが、解釈の余地がある。その曖昧さの中で、どうモデルに「気づき」を与えるのか——それが私たちの課題でした。
私たちは、歯科医師や歯科衛生士と何度も対話を重ねながら、彼らの「勘」や「経験」を言語化しました。その言語化されたルールと、実際の画像データを組み合わせて、モデルに学習させていきました。ただ高い精度を目指すのではなく、患者さんが早期に予防行動を起こせるような示唆を与える診断——それが私たちの本当の目指す形でした。
「万博」という制約がもたらすもの
万博ブースは、一つの現場でした。ネットに接続できない可能性もあった。リアルタイム処理が必要でした。何千人もの来場者がいて、一人あたりの対応時間は限られていました。そもそもブースのカメラで撮った画像の特殊な入力形式に対応しないといけませんでした。
こうした「本当の制約」の中での最適化は、社内のPoCのモデル開発とは全く別の話でした。エッジデバイスでの推論、レイテンシーの削減、不確実な入力への堅牢性——こういった実装レベルの課題と毎日向き合いました。
正直、苦しいこともありました。でも、この苦しさの向こう側に見えたのは、技術が現実に触れる瞬間だったのです。
なぜ歯の診断なのか
医療格差は、日本だけの問題ではありません。世界中で、歯科医にアクセスできない人たちがいます。定期的に診てもらう余裕のない人たちがいます。
AIが、その「壁」の一部を壊すことができるのではないか——私たちはそう考えました。
すべての診断をAIで完結させようなんて思いませんでした。でも、セルフチェックのきっかけになる。早期に異常に気付く手助けになる。予防医療への第一歩になる——そういう可能性が、ここにあったのです。
大阪万博は、その可能性を世界に示す舞台になりました。
私たちの本当の課題
技術的な課題と同じくらい重要だったのが、信頼でした。
医療AIに求められるのは、高い精度だけではありません。その判定がなぜなのか、ユーザーに理解してもらう必要がありました。AIの苦手な領域が何か、どういう時に信頼できなくなるのか、正直に伝える責任があったのです。
だから私たちは、モデル自体の改善と同時に、UI/UXにも時間をかけました。患者さんが不安に感じないような説明の仕方。医師が信頼できるような出力形式。そういう細部の設計が、実は最も大切な部分だったのです。
挑戦を通じて私たちが学んだこと
正直に言います。このプロジェクトは、楽ではありませんでした。
医学の知識を身につける必要がありました。論文を読み込むこともありました。歯科医師との対話の中で、自分たちの実装が本当に臨床的価値を持っているのか、問い直されることもありました。
でも、その先に見える景色は、特別でした。
自分たちが書いたコードが、実際に医療現場で動く。それどころか、大阪万博という、世界が注目するステージで動く。万博を訪れた何千人もの人たちが、そのシステムで自分の歯の健康状態に気付く。その気付きが、予防行動につながっていく。そういう「小さいけれど確かな変化」を、目の当たりにすることができたのです。
それが、私たちが本当に作りたかった未来でした。
大阪万博を超えて
大阪万博は、始まりに過ぎませんでした。
この経験を通じて学んだことは、医療の他の領域にも応用できるはずです。皮膚診断、眼底検査、その他たくさんの医療診断。どれもが、「病気そのもの」ではなく「未病」の段階を見つけるという同じ課題を抱えていました。
神戸ソフトは、小さな会社です。でも、小さいからこそ、本当に大切なことにフォーカスできたと思っています。利益だけを追い求めるのではなく、技術が本当に社会に役立つ形を作ること。そこに熱を注ぐこと。
この挑戦を共にしてくれたエンジニアたち、そして本プロジェクトに果敢に取り組まれた歯科医師に、本当に感謝しています。
小さな会社だからこそ、大きな変化を作れる。