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【メンバーインタビュー】自分で自分を縛っていた縄がほどけた。自衛隊員から空間デザイナーへの軌跡

現在木下商会最年少で、自衛隊員というキャリアを持つ泉さん。洋服や音楽、野球観戦などなど、周囲が把握しているだけでも多趣味なことが伺える、異色のキャリア以外も個性的でたくさんの見どころのあるメンバーです。

そんな泉さんに自衛隊入隊までの経緯、そこからどうやって空間デザイナーになったのか、夢を追いかけた軌跡を語ってもらいました!


プランナー:泉 尚希さん

福岡県出身。大学受験がうまくいかず、己を叩き直すために陸上自衛隊に入隊。土木・建築施工を専門とする部隊で測量士として勤務。元々設計職への憧れがあり、その夢を捨てきれず4年で退職し専門学校でCADを専攻。その後、千葉の設計事務所での設計アシスタントを経て木下商会入社。

「なんでもそつなくこなせるタイプ」、初めての大きな挫折経験

–自衛隊員から空間デザイナーという珍しいキャリアですが、どういった経緯があったのですか?

実は、自衛隊に入隊したのは大学受験がうまくいかなかったからです。元々建築に興味があって地元の大学の建築学科を目指して受験をしたのですが、合格は叶いませんでした。

父が自衛官で、前々から「大学に合格できなかったら浪人はせずに自衛隊に入隊する」、「最低でも4年間は在籍する」というのは約束していて、その約束を果たした形です。もちろん悔しかったし、すごく落ち込みましたが、受験に失敗した自分を戒めるため、己を鍛え直すため、と入隊を決意しました。
自衛隊には父と約束した4年間在籍し、その後建築の専門学校に通い、設計事務所を経て木下商会に入社しました。


–建築学科を目指していたとのことですが、建築に興味を持ったのはいつ頃ですか?

建築に興味を持ち始めたのは5〜6歳の頃で、両親のマイホーム購入がきっかけです。当時両親と一緒に色々なモデルハウスを見て回っていて、ロフトとか入り組んだレイアウトとか、いかにも子どもが好みそうな秘密基地っぽいレイアウトを見てはすごくワクワクして、完成を楽しみにしていました。 でも実際に建ったのは外観も内観も超スタンダードな家だったんです。モデルハウスで見た秘密基地のような家を期待していたので、待ち望んでいた完成にも関わらず全然ワクワクしなかったんですよね。 これが建築に気持ちを動かされた最初の経験だと思います。

しかしそこから建築一筋になるわけではなく、小学生のときは野球少年だったので本気でプロ野球選手になりたいと思っていました(笑)

次のきっかけは中学生のとき、ちょうど建築への興味を自覚し始めたタイミングでした。祖父母の家のリフォームが必要になったと聞き、無邪気にも「将来、祖父母の家を建て直すことができたらな」と考えを巡らせ、「建築家になる道もあるのか」と思い至りました。そして、高校在学中に建築の道に進路を絞り地元の大学の建築学科を受験することを決めます。

–そんなに小さい頃から興味があったとは驚きです。高校時代はどんな学生でしたか?

高校は地元の進学校に入学しました。学生時代はどちらかと言えば真面目で苦手なことがなく、「なんでもそつなくこなせるタイプ」だったと思います。

あとは、これは今もですが、何においてもやるからにはやりきりたい、突き詰めたい性格でした。中学生までは野球を続けていましたが、高校では様々な都合で野球から離れテニス部に入部したので、「未経験者でもこれだけできる」というのを示したくて努力を重ねていました。しかし、努力はしましたがテニスよりも野球、というかチームプレーの方が得意だと気づきました。

チームプレーというところでは、学校行事にも積極的でした。ここでも突き詰めたい性格が出て、受験期に入ると行事よりも勉強優先になる人がほとんどの中、僕は逆に「高校生活最後だから」とより気合を入れて参加していました。でも、ふとした瞬間に根の真面目さが顔を出し「勉強もやらなきゃ」と焦りや葛藤を感じることもしばしばでした(笑)


–音楽や洋服、野球観戦など多趣味な印象ですが、この頃にはもう?

そうですね。野球は元々好きでしたが、音楽や洋服などのカルチャーっぽい趣味に興味が出てきたのはこの頃です。服は高校生の頃の部活の友達に教えてもらってハマりました。一緒に服を買いに博多まで出かけたのは良い思い出です。

今まで勉強で苦労した経験があまりなかったので受験もまあ大丈夫だろうと高を括り、受験期に入っても趣味に行事に青春を謳歌していました。

結果、大学受験は失敗します。人生で初めての大きな挫折でした。
進学できないとなったときはもちろん落ち込みましたが、自衛官の父から「自衛隊の中にも土木建築の部署がある」、「建築や設計に携われる」という話は聞いていましたし、父との約束は「最低4年は在籍」で、4年在籍すれば建築の専門学校に通えるだけの資金が貯まるとわかっていたので、なんとか受け入れることができました。

今振り返ると、正直勉強は疎かになっていたと思います。でもそのことに関しては後悔よりも「どうせなら遊びに振り切っていればよかったな」と思っています(笑)

捨てきれなかった設計職への憧れと夢を追いかけ、茨の道へ

–自衛隊ではどのような仕事をしていたのですか?

希望していた土木・建築施工を専門とする部隊に配属され、測量士として働いていました。
しかし、自衛隊入隊から半年の間は教育期間で、年齢が近い人と一緒に教育を受ける環境は学校や部活の雰囲気に近く、「仕事」という感じはしていませんでしたね。
僕は教育期間終了後に測量の資格取得のためにさらに3ヶ月間教育を受けたので、現場に出るまでは入隊してから1年くらいかかりました。資格を携えて現場に出て初めて「仕事」をした実感が湧き、うれしかったです。


–自衛隊は厳しいイメージがありますが、実際はどうでしたか?

たしかにきついこともたくさんありました。あまり読んだことはありませんが、漫画などで描写されている感じは結構リアルに近んじゃないかと思います。

仕事内容もですが、休日やプライベートが制限されるというのもありました。外出するためには外出届や行動計画書を書いて申請・承認をもらわなければいけないので、ただでさえ外出のハードルが高いですし、若いうちは休日でも「もしも」に備えなければならず、完全な休みではありませんでした。海外旅行は夢のまた夢ですね。
SNSを見ると大学に進学した友達の投稿が目に入ってきて、長期休みや海外旅行の投稿を見てはうらやましく思っていました。

そんな感じで、自衛隊はきついこともありましたが自分の強みを活かして仕事ができているし、人間関係も良いし、部隊にいながら建築士の資格を取得できるし、職場環境としては良かったので自衛隊を続ける選択肢も考えました。わざわざ自分から大変な道を選ぶこともないなと。


–それでも専門学校への道を選んだのはなぜですか?

設計職への憧れ・夢を捨てきれなかったからです。

大学ではなく専門学校を選んだのは、自衛隊で働きながら大学受験の勉強をするのは難しかったのと、専門学校には社会人入学への優遇措置があり、入学しやすかったからです。自衛隊でもCADに触れる機会があり基礎的な使い方はわかっていたので、そのスキルを伸ばすことができる建築専門学校のCAD科に入学することを決めました。

ちょうどコロナ禍のタイミングで、うらやましく思っていた大学生活のようにとはいきませんでしたが、たまたまその年は一度仕事を辞めて入学してきた人が多かったので、彼らとの絆が深まり、充実した学生生活を送ることができました。

–設計事務所への進路はどのように決めたのですか?

1年生の冬になると就活が始まりました。「入学から半年ちょっとでまた次の進路を考えるのか」と少し面食らいながらも、建築士が個人でやっている、いわゆる「アトリエ」と呼ばれる建築事務所をメインに考え始めました。そういったところをメインに置いたのは、アトリエから来ていた非常勤の先生の授業が面白かったのと、早く色々な経験を積みたい、アトリエならスピード感をもって仕事ができそうだと思ったからです。
そして千葉県にある古民家改修や重要文化財のリノベーションなどを手がけるアトリエに縁があり、インターンに足を運ぶようになります。

専門学校卒業までずっと地元の福岡に住んでいて、地元のことは大好きでしたが、なんとなく東京への憧れはあり、「これからの人生で東京に出るなら今このタイミングしかない」と思っていたし、在学中に古建築への興味が強まっていたので願ったり叶ったりの進路でした。

無事に専門学校を卒業して、そのアトリエに設計アシスタントとして入社します。興味のあった古建築、それも小規模から大規模なものまで、さまざまな事例に実務で触れることができて楽しかったです。
ただ、体力・精神力の消耗が激しい職場環境でした。もちろん良い部分もたくさんありましたが、一般的にアトリエが大変と言われる理由を身をもって感じました。何よりもあんなに思い焦がれた建築が嫌いになりそうになってしまって。とにかくそれが辛くて、一旦建物を建てる分野の仕事から離れようと思い転職活動を始めました。

そんな中、Wantedlyで木下商会を見つけました。そして代表のnoteの「一緒に会社をやっていくための仲間探し」の記事を読み、こんな仲間を集めたいと思う代表の元なら楽しく働けるのではないかと思い、入社を決めます。

村山太一@木下商会|note
村山太一 株式会社木下商会代表。いい仕事をする!とか、圧倒的成果をだす!など、ビジネスの世界で当たり前すぎて誰も疑わない言葉が多く、それは向いていない人がゲンナリしています。仕事のための仕事をやめて、好きな領域で少しだけ世界を変えれば、それがビジネスなります。そのお手伝いします。
https://note.com/kino_murayama/


「建築」から離れて手に入れた、自縄自縛から解放された感覚

–木下商会ではどのような仕事をしていますか?

プランナーとして設計・デザインの提案、家具の発注、工事の手配から納品までを行っています。
入社から1年足らずですが、これまでに福祉施設を4件とパーソナルジムを1件、オフィス1件担当しました。一案件終えるごとに反省がたくさんあり、勉強の毎日です。特に最近担当したオフィスの案件は福祉施設よりも坪数が広く、要件も多かったので自分の中の引き出しがものすごく増えましたし、プロジェクトの進め方にも学びがありました。

木下商会の仕事の進め方は基本的に一つのプロジェクトに一人のプロジェクトオーナーがいて、周囲の協力を得つつもオーナーが一人でプロジェクトを納めるというやり方です。一つ一つ分解してみればそれぞれの仕事の難易度は高くない場合が多いものの、自分で決裁・進行する大変さを思い知りました

これまでは何をするにも申請・承認が必要な仕事の進め方をしてきたので、入社後しばらくは自律的に動くことの多さに衝撃を受けたのを覚えています。特に入社初日、出社してすぐに一人で現場に行き、職人さんと工事の調整をしたのは鮮烈でした(笑)

木下商会の環境は前職の設計事務所よりは自衛隊の頃に近い感覚です。上下関係や制度がしっかりしているという意味ではなく、メンバーひとりひとりに個人プレーができるだけの個の力があり、目標がある。そのうえで会社としての目標も見据えていて、互いに助け合うチームプレーの場面もあります

個人的には今の環境がしっくりきていて、高校生の頃に野球部からテニス部に転向し、自分は個人プレーのテニスよりもチームプレーの野球の方が得意だと気づいたときを思い出します。性格の話に戻るのですが、「突き詰めたい性格」でチームプレーが得意だと、「一人で突き詰めたいけどチームでやった方がうまくいく」というようにミスマッチが起こるんですよね。そういった部分を相互に補うことができる今の環境はありがたいです。

あとは、木下商会に入社してからは開放感があります。どういうことかと言うと、自分で自分を縛っていた縄が解けたような感じです。

学生の頃からずっと建築をやりたいと言い続け、自衛隊を辞めてまで専門学校に行って、勝手に自分は建築をやらなければならないという使命感を背負っていました。その使命感から開放されたような感じです。

過去に学んできたこと、やってきたことも大切にしながらもそれに縛られすぎず、今の仕事を楽しんでいます。

–具体的にはどんなやりがいや楽しさがありますか?

一番のやりがいは自分が携わった空間ができあがったときのお客さんの反応です! 自衛隊にいたときの災害派遣では被害に遭われている方からの感謝でやりがいを感じていいのか、自分の中で葛藤があって素直に受け止められなかったので、今は思いっきりやりがいを感じています。

もう一つ、足で経験を稼ぐ楽しさがあります。たまに地方の案件もあるので出張をはじめ、クライアントとの打ち合わせや現地調査、工事現場、ショールーム見学など、実際に見て体験して学べることが多くあります。足で稼いだ経験が自信にも繋がっていて、いいサイクルになっていると思います。

–今後の目標を教えてください!

一つ明確な目標として地元の福岡で仕事をすることがあります! 地元が好きなので身近な人に自分の仕事を見てもらいたい、知ってもらいたいです。

自分で仕事をとれるようになることも目標なので、福岡の案件お待ちしています!

–エントリーを検討している方へ

どんな業界の方でも、少しでも気になったら気軽にエントリーしてほしいです。僕がそうだったように、今まで学んできたこと、やってきたことを手放すのって簡単なことではないと思うんです。やっぱり積み上げてきたもの活かしたいし、新しいことをやる不安もあるし。でも僕は建築から少し離れて空間デザイン業界に入って良かったと思えたからこそ、自信を持っておすすめします。

あと、個人的には家族のような信頼関係を築ける人と働けたらうれしいです。エントリーお待ちしています!



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空間デザイナー│明日を楽しみにしながら働く人を増やす場づくり
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