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【社員紹介】村端響|出会いと行動

誰と出会い何をどうして実行するのか―

慶早進学塾大阪校講師の村端です。

私は現在大学4年生ですが、2年生のときに大阪校を鴨井塾長とつくりあげ、そこから講師として働いています。

人が自分自身の事柄について決断をするとき、必ずその理由とそれに関係する人物が存在すると私は思っています。恋愛であったり進学であったり趣味についてであったり、すべて自分一人で完結することなどありません。それが出来たら"community"という言葉は存在せず、人間はこれほどまでに発展した暮らしを送っていないでしょう。

今回は私の例として、どのようにして慶早進学塾―ひいては鴨井塾長と出会い、なぜ慶早進学塾で働いているのかについて紹介していきたいと思います。ただ適当に応募して受かったから適当に続けている、というわけではありません。ぜひ慶早進学塾に興味を持っていただけたら嬉しい限りです。

・慶早進学塾との出会い

私の地元は岐阜県で、中学生のときから岐阜県内では有名な某塾に通っていました。なんと慶早進学塾ではありません

そこは特に岐阜県の公立高校入試に強く、高校合格後もそのままその高校部に通うことになりました。15歳までは子供の人数が少なすぎて小学校と中学校でほぼメンバーが変わらず全員友達というような状況で、その後県内でも栄えている地域にあるような高校と塾に通うことになり、出身中学や所属高校など関係なく大勢の人と知り合うことが出来ました。その中の一人に伊藤という男がいました。高校も違い、結局その塾も1年生の終わりに彼も僕も辞めてしまったのですが、交友関係は続き、今では週1で一緒にサウナに行くような仲です。

そんな彼から、彼の新しく通っている塾で一緒に勉強しないかと誘われたのが夏前頃です。放課後彼に指定された岐阜駅に行くと、そこには伊藤と鴨井さんが立っていました。これが初めての鴨井さんとの出会いです。そのまま連れていかれたのは、なんと焼肉屋。好きな物食べていいよと言われましたが、男子高校生にとってこれほど嬉しいことはありません。ガンガンに食べました。

・慶早進学塾に入塾しなかった理由

それまで経営者というとお固い印象がありましたが、鴨井さんと会って話すうちにそのフランクさと話の面白さ、人の本質を見抜く力に惹かれました。それまで自らや本当に親しい友人からの内なる自分に対する評価や所感と、周囲や大人からの評価や所感に大きな差異がありましたが、会って数十分なのに自分のことがよく分かっているなと感じました。伊藤が塾に入ってから成績がしっかりと伸び、楽しそうに勉強している理由もすぐにわかりました。

焼肉を奢ってもらって、その後綺麗で快適な校舎で数時間自習をするまでしましたが、結論から言うと入塾はしませんでした。

それはなぜか。高校の頃の自分が怠惰だったということと、変化を好むような性格ではなかったからです。

僕は高2から、新しく全国区の某大手塾に入塾していました。大手ということもあり、たくさんの高校の友人と毎日楽しく過ごしていました。ブース型ではなくオープンスペースで友人達と自習するていで参考書を開き、実際はずっと喋ったり一緒にご飯を食べに行ったりしているような状況でした。悪い表現ですが、そのぬるま湯に浸かっているのが心地よく、本気で勉強をしていなかったとも言えるでしょう。

もう1点、変化を好むような性格ではなかったと書きましたが、正確には変革を起こす勇気が無いほどに精神が未熟だったと言えるでしょう。上記のようなぬるま湯を離れ、新しい環境に身を置いて上手くいかなかったらどうしようという恐怖に似た感情があったのだと今振り返ると思います。

・それでもなぜ一緒に働くことにしたのか

時は経ち、大学生。高校の途中まで空手をやっていたため、その経験が活かせると思い日本拳法部に入部し、また、法学部生のみのサークルに入るなどして楽しい日々を送っていました。それらに手一杯で、授業を少し休みがちでバイトも全くしていませんでした。しかし、1年生の夏頃足の怪我が原因で退部し、それまで生活の中心と言っても過言ではなかった部活が抜け落ち、大きな喪失感を感じていました。

そんな折、同じく関西方面の大学に通っていた伊藤から連絡がありました。「鴨井さんと一緒に大阪校つくらない?」これが大学生活、ひいては人生の転機だったと思います。

前述の通り、僕は変革を自発的に行えるほどの精神力はなかったのですが、小中高どの時代をとってみても、学校やクラスで一番輝いている人に憧れ、仲良くなって一緒に過ごしていました。言うなれば模倣というか、追随というか、そういった立ち位置にいたと捉えることも出来ると思います。オリジナリティに欠けるため、輝いている誰かに感化されそのような人物と一緒に何かをするということに楽しさを見出していたのだなと感じます。

その輝いている人がこの場面では鴨井さんでした。自分には出来ないだろうことをやってのけ、自分自身で道を切り開いている―この人となら自分はまた楽しく過ごせるだろうという確信があり、すぐにやりますと返事をしました。

・大阪校で働き始めて

そのようなお誘いがあった後、すぐに動き始めました。関西方面で動ける知り合いということで伊藤と僕が選ばれたわけですが、伊藤が諸事情でその当時岐阜から離れられない状態で、ほぼ鴨井さんと2人で進めました。内装など考えている段階で、テナントからすべて白紙になったのは今となってはいい(?)エピソードです。それからは一旦臨時でレンタルスペースを無償で貸してもらって面談するなどもしていましたが、4月になんとか無事開校することが出来ました。

はじめは生徒数3人でうち1人は前年はオンラインコースに在籍していた生徒でしたが、2年目には10人を超え、3年目の今は20人を突破するほどに生徒数を伸ばすことが出来ました。岐阜という学生間・学校間の距離が近く口コミ等から広まりやすい土地に比べ、大阪ではその面での知名度の拡大は難航しました。よって、鴨井さんとともにSEO対策やSNS広告の動向を追って分析・改善していったり、自ら動画制作に参加したりしました。その結果が生徒人数の増加によく現れていると思います。

また、私は慶早進学塾に通っていなかったため、他の講師違い慶早進学塾のメソッドが入っていない状態でした。もらったマニュアルを読み込むと、確かにその通りだ、なるほどそういうことかと思うことの連続で、高校のあの時に入塾しなかったことを後悔しました。しかし、あの時入塾していれば大阪にはいなかったであろうし大阪校の設立に関わることもなかったであろうということもあり、今回のテーマとは少しずれましたが人生はすべて繋がっているんだなと感じます。

マニュアルを読み込みロープレを重ねることで、生徒の指導面においても他講師と追随のないレベルまで到達することが出来ました。これは慶早進学塾の圧倒的な教務力のおかげだと考えています。対生徒だけでなく、講師や社員までイチから正しい方法を教え、それを反復によって定着させていく流れが当たり前になっていることは非常に魅力的だと思います。

上記にあった、怠惰さや性格も変化しました。規則正しく生活し、時間に余裕を持って出勤しなければ他生徒や講師にも迷惑がかかるという状況であることと、私がそもそも日常的にある程度忙しかったり負荷がかかっていたりすると逆にやる気が湧いて活動的になるということもあり、高校生の頃の怠惰な自分からは大幅に変わることが出来たと思います。卒業単位についてはまだ前途多難な状況ですが、慶早進学塾での出勤は毎回楽しみで、自分自身も良い影響を受けていると感じます。

そして、変革をする勇気のなかった自分とも随分決別出来たと思います。鴨井さんとともに大阪校の運営をしていくうちに、それまで自分1人では絶対に経験することのないようなことをたくさん実行してきました。やっていると面白いもので、楽しくなってきます。もちろん失敗等もありますが、ではその原因と解決策をともに考え、どんどん進歩出来ていることを実感出来ています。


・これから

担当生徒の指導、心理面でのサポートはもちろん、大阪校も3年目に入ったため、今年度中に在籍生徒30人以上、そして来年度中には拡大移転することが最大の目標です。将来的には全国300店舗以上、日本一教務力が高い学習塾として業界で圧倒的なリードを誇っていきます。

そのために、まずは主に動画作成をメインとする広告に力を入れていきたいと考えています。既に大阪校単体としても早慶をはじめ多数の難関大学合格の実績があります。これらの実績、圧倒的教務力、関西地域で関東私立に強みを持つ塾という点、心理学的合格法や慶早メソッドを主題として動画やSNSで発信するすることで、より多くの生徒の人生における成長のステップをつくる手助けをしていきたいと思っています。

また、社内ウィキやマニュアルの整備等、講師や社員に対する研修制度の充実も中長期的には重要です。慶早メソッドを受験時時点では習得していなかったからこそ、これらを客観的かつ詳細な視点から分析することでより良いものに仕上げていくことが出来ると思っています。

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