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『KASHIKA』社名に込められた想い〜"可視化のちから"とは?

"問題"は可視化されてない状況下で育つ。
〜可視化されると"浄化"が始まり世の中は"豊かさ"に向かって動きだす〜


例えば、アメリカのヒップホップを例に「可視化が持つちから」についてお話しさせてください。
今や音楽・ダンス・ファッションなど、アメリカを代表するカルチャーの1つとして確立され、ヒップホップ界のスターや、彼らに憧れる若者もいますよね。しかし「ヒップホップ」は元々ニューヨークのサウス・ブロンクス地区という"スラム街"から生まれた音楽でした。

1970年代初頭、サウス・ブロンクス地区には職を失い、貧困でドラッグにおぼれる人や、犯罪に手を染めギャングになる若者、古いボロボロの建物が並ぶ町...
世間ではディスコが流行していた頃ですが、貧困なアフリカ系アメリカ人の若者達は、ディスコに遊びに行くお金がありません。そこで彼らは公園に集まりパーティーをするようになったのです。

そしてその中に、当時最強のギャング団だった少年バンバータ・カヒム・アーシムがいました。彼は従兄弟が警官に射殺されたことをきっかけにストリートライフから足を洗い、あるとき論文コンテストで優勝して得た賞金で世界旅行に出かけます。向かった先は自分のルーツであるアフリカ。そこで見たのは、
「早朝から農作を耕す人」「自身で店を構え商売をする人」...

「ブラック・ピープルが朝早く起き出して、自分の店を開け、農業やら色々なことをやって、
国を支えている姿を目にしたんだ」


自分と同じ黒人が、貧しくも独自の文化と風習で豊かに暮らす姿に心を打たれ、少年はブロンクスの街に平和をもたらすために働くことを決意します。

帰国後、「暴力のエネルギーをカルチャーに向けよう」と宣言しギャングを解散、ヒップホップによって黒人の意識改革を目指しました。こうして少年はヒップホップ文化の発展と、ギャング時代の衰退に貢献することになりました。
度々「音楽で世界は変わらない」「芸術は何も生み出さない」と言われますが、
ヒップホップはブロンクスの抗争を減らし、人々の心を豊かにし、経済にも影響を与えました。

私たちが考える「可視化のちから」とは。

この話から学べることは、「可視化」されることで世の中は豊かさへ向かっていくということ。
犯罪、貧困、ジェンダー、うつ病、いじめ、、あらゆることがこれまでも「可視化」されることで、世の中が理解を示したり、回復へ向かおうと努力を続け、世界は少しづつ良くなろうとしています。

私たちはデータの「収集・加工・整理」によって「あらゆることを可視化」する。
それがKASHIKAが世の中に生み出す価値であり、ミッションです。

今は広告業界という、世界からすれば小さな市場かもしれませんが、それでもその小さな市場でイノベーションを起こし続けていきたい。そしてゆくゆくは「可視化のちから」を体現する新規事業も既にイメージしています。その話は、是非私たちとお会いして、あなたの前で直接語らせてください!

『可視化の力で世界をより豊かに』というパーパスを掲げ、わたしたちは挑戦し続けます。

参考記事
https://diggity.info/culture/south-blonx-2/
https://vevelarge.com/hiphop-history/

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